2007年12月22日土曜日

免許がない(明石知幸監督)

 「ちゃんと前後確認しろよバカヤロー!!」
 教習生に平気で罵声を浴びせる傲慢な教習所の教官。スキーやダンスや水泳のインストラクターがこんな暴言を吐くことがあるだろうか。前者にはなく、後者にあるものは「世間の常識」であり、「サービス業意識」である。
 現在、この国の自動4輪免許取得者数はおよそ6千万人に上る。[1]これだけの人数が各々20万円もの大金を払い、数ヶ月の時間を費やして尊大で無愛想で、「どう教えるべきか」もまともに「教わって」いない「教官」なるものに頭を下げて我慢し続けながら、ハンドルを握る日を夢見ているのだ。
 この作品は、人気俳優である主人公が念願の自動車免許を取得するために悪戦苦闘する様を描いたコメディ映画である。実際のイメージを誇張して、くせ者の教官ばかりが登場して、観客の爆笑を誘う。物語の本筋は、主人公が彼らを相手に奮闘する部分にあるのだが実はしかし、この作品は、「教習所」というシステムを通じて「官僚支配」を鋭く風刺する硬派な映画でもあるのだ。
作家の猪瀬直樹は以前、週刊文春の連載「ニュースの考古学」において「毎年、免許の更新時期が来ると“民族大移動”が起こる。ハガキ一枚で若者から老人までが呼び出され、仕事も休んで現金持参で手続きに行く。官尊民卑の典型だ」と書いていた。
 教習所は国の許認可が必要な業種であり、準公共機関に位置付けられている。したがって、警察や陸運局から天下りしてきた役人が多数勤務する。
 また、運転免許や交通取り締まりも警察庁の管轄であり、したがって車にまつわることは「お上」が最初から最後まで完全に掌握している構図となっている。
 こんな国は世界的にも珍しいのである。そもそも欧米には「教習所」などなく、身近にいる人から皆、運転技術を教わるという。そして、免許取得には試験だけ受かればよく、費用も数万円で済むらしい。したがって、この作品は海外の人が見てもあまり理解されないであろう。「不思議の国ニッポン」というオリエンタリズムをさらに助長するに違いない。
 我が国と彼の国の大きな違いは「官の民への信頼」の有無である。大の大人に「前後確認」から「踏み切りを渡るときは窓を開けて耳と目で電車が近づいていないか確かめる」ことまで手取り足取り教えてやらなければ、「未熟で愚かな民衆」は安全に運転など出来ない、というお上の強い思い込みが準公営の教習所への「事実上の強制通所」というシステムを生み、確固たるものとしているのである。
 遅れて近代化した国、特にアジアの国々では「お上」が「民」を指導しリードしていくべきであるという「パターナリズム」の考え方を支配層が持っているとしばし分析される。
 日本も例外ではないのである。「シートベルトをしなさい」、「選挙へいきましょう」、「ゴミのポイ捨てはやめましょう」など、“啓発”と銘打った「役所」による「民」への命令、説教のスローガンが溢れているのは、北朝鮮と日本がダントツだと四万田犬彦教授はしばしば指摘している。
 本作がリアルに再現しているように、教習生にぶしつけに指示し、はんこを押すか否かは気分次第だったり、人によって判定基準が異なったりする教官たちの仕事の不透明性、恣意性はまさに我が国を蝕んでいる、役所の裁量行政や官僚の「選民意識」が垣間見れる最も身近な一例に他ならない。
 けれども、私たちは教習所になど頼らなくとも立派に運転できるようになるはずだ。一体いつまで、国民はお上から箸の上げ下げまで指図される“子ども扱い”に甘んじるつもりなのだろう。合格発表でガッツポーズを決める主人公の姿を捉えた明るいラストシーンを見ても、自分はどんよりとした気分になってしまった。了
[1] 『自動車教習所完全ガイド』アスペクト1996 まえがき参照

0 件のコメント: