2007年12月8日土曜日

ヒトラー最期の12日間(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)

 「人は未来を急ぎすぎる。あまりに多くの未清算の過去を残して」[1]
 妻がユダヤ人だったが故にナチスに追われ亡命生活を余儀なくされた、独の詩人・ブレヒトはこのような言葉を残した。
 そして、「過去」というものが「歴史」に変わるまで、およそ60年だと言われる。従って、61年前に終わった第二次大戦の体験者が社会からいなくなりつつある現在、私達は生の過去がよそよそしい歴史へと変わりつつある瞬間にまさに立ち会っているのであろう。[2]
 あの戦争とは何だったのか。なぜ、有史以来最悪の死者と破壊を世界にもたらしたのか。
 本作はヒトラーという指導者をテーマとすることによってこの問いに正面から応え、未清算のまま歴史に変わろうとする過去をわずかでも「清算」しようと試みたものである。
 1945年4月、連合軍の猛攻にさらされるベルリンの地下壕の中でヒトラーは叫び、喚き、怒鳴りながら側近たちに指示を出し続ける。だが、どうあがいても形勢を挽回できないことが分かると「ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るしかない」。と述べ、国内のあらゆる生産施設を破壊するよう命じた。そして、「国民に慈悲を」という懇願には「わが国民が試練に負けても、私は涙など流さない。それに値しない。彼らが選んだ運命だ、自業自得だろう」。と切り捨てた。
ヒトラーという人間の恐ろしさがこうして浮き彫りにされてゆく。しかし、本当に何よりも恐ろしいことは、彼が「選挙によって権力を握った」。という事実に他ならないのだ。だからこそ部下のゲッペルスもまた、「同情など感じない。彼らが選んだ運命だ。驚く者もいようが、我々は国民に強制していない、彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ」。と吐き捨てる。
彼らのこういった言葉は、民主主義という制度の脆弱性と危険性を鮮烈に暴露していよう。ナチスが台頭したワイマール共和国はその当時、世界で最も進歩的であると評され、各国の模範とされた民主主義憲法を持っていた。だがヒトラーらはそれを逆手に取り、言論・結社の自由の名分の下に極右的な意見を宣伝し、暴力的な集会を開催したのである。そして、対抗勢力を弾圧しつつ大衆を熱狂させて選挙で政権を奪取するに至る。次いで全権委任法を作り、完全な独裁体制をここに確立した。この時憲法はもはや死んだも同然となった。
 民主主義の保障する自由を乱用して民主主義を破壊する自由を行使した、このナチスの
エピソードは「トロイの木馬」と呼ばれる極めて重要な問題だ。民主主義を否定する自由を認めないことは民主主義の原則に反するのではないか、否、それを許すことは民主主義そのものを殺しかねないのではないか、ということである。[3]
だが歴史が伝えるのは、多くの人間は偏狭な民族主義と愛国心を、平和や共存という民主的な価値よりも好む傾向にあるという紛れもない事実である。理性や知性に訴える政治家よりも憎悪と対決を叫ぶアジテーターの方を選挙民は愛してしまう。
「西欧の民主主義など衆愚政治でしかない」。と公言するヒトラーを狂信的に支持した当時のドイツの民衆は確かに蒙昧であったかもしれない。けれどもそのような指導者を生み出した責任は、全て一人ひとりの選挙民達に容赦なく降りかかってくる。それが民主主義という制度の苛烈な本質に他ならない。まさに「自業自得」なのである。
無論、日本もまた例外ではない。当時多くの民衆が真珠湾攻撃に喝采を送り、アメリカとの開戦に歓喜したことは言うまでもない。
だがしかし敗戦後、国民は皆、一様に「政府に騙された」。とだけ語った。自らの責任に言及する者はいなかった。「私は悪くない」。と内心思い込んでいた。
この態度には、ホロコーストの首謀者にも係わらず「自分はただ命令に従っただけだ」。と裁判で主張し続けたナチの高官・アイヒマン[4]と重なるものを感じる。
これに対し、一国民として敗戦の現場に立ち会ったある人物はこのように語っている。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲では俺がだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」。
 「だが、だますものとだまされるものが揃わなければ戦争は起こらないのであり、従ってだまされたとさえ言えば一切の責任から解放されると考えるのは間違いである」。
 「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実の中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力や思考力を失った、国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」。 
そしてこのように結論する。
「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でもだまされるだろう。いや現在でも既に別の嘘によつてだまされ始めているに違いないのである」。[5]
この一節にはまさに、指導者にのみ責任を押し付けて戦争の過去を未清算にしたまま未来を急ぐことへの渾身の警告が込められているであろう。
彼の言葉が今なお有効であることを思い知らせる出来事が先日あった。財政破綻した夕張市のある市民が「自分は市に何も迷惑をかけていないのに、なぜこんな負担を負わすのか」。と市の説明会で職員に詰め寄る光景が報道されたのである。だが、「何もしなかった」ことは民主主義社会においては自らの責任放棄でしかない。政治への無関心を決め込んでいた多くの市民達は乱脈行政のツケを全て背負わされる形となった。「騙されること」同様「行動をしないこと」も罪なのだ。それもまた権力の専制と腐敗を助長させるだけだからである。
「ナチ等が共産主義者を攻撃した時私は多少不安だったが共産主義者ではなかったので何もしなかった。次いで社会主義者を攻撃した時も何もしなかった。次いで学校が、新聞が、ユダヤ人が攻撃されたときもまだ何もしなかった。ナチ党は遂に教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。しかし、それは遅すぎた」。[6]ある聖職者はこう後悔した。
日本国憲法にも、このような条文がはっきりと記されている。
「第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
「人間が歴史を学んで分かることは人間は歴史から何も学ばないということだけだ」。[7]などというニヒルな諦観を排して、我々がこうした過去の事実から真摯に未来への教訓を得ようとするならば、それは上記のように騙されること・不作為であることの取り返しのつかない責任を常に決して忘れないことであり権力への警戒を絶えず怠らないことである。
そして、さらに民主主義にとって不可避かつ最も重要なアジェンダは、冒頭に記したような「トロイの木馬」という問題に違いない。
かつて福沢諭吉は「パトリオティズム」という言葉を「報国心」と翻訳し、偏った不公平な心であるとみなしていた。[8]あるいは「偏愛心」と訳した辞書もあった。そしてワイマール憲法よりもはるかに非民主的な憲法下の当時でさえ、近代国家樹立の中心人物であった井上毅までも「君主は人民の良心に干渉せず」と言っていたのである。君主であろうとも自分の理想を臣民に押し付けてはならない、それが立憲制であると当時の政治家は理解していた。[9]
戦前日本の破滅は、このような立憲制の理念がナチスと同じように為政者により徐々に踏みにじられ、死に追いやられてゆく過程を国民の側が許してしまったことに起因する。
だが、この過ちは「愛国心」というものが世界から消え去るまでまた何度でも繰り返すかもしれない。
「人間という種族から愛国心という奴を叩き出すまで諸君は決して静かな世の中をおくることはあるまい」。[10]ある劇作家の言葉である。
けれども、「国家」が存在する限り決して「愛国心」は無くなることはないであろう。だが、いまだ「国家」に代わるより良き統治機構が見つからない現在、「国家」は必要悪であり、誰もが依存せざるを得ないものである。ならば、唯一の解決策は「愛国心」との向き合い方だろう。上述したように、この感情は偏狭なものであり、常に排他的だ。同胞を愛することは他者を憎むことと同義となる。だから、いつの時代も「愛国」を叫ぶ政治家や集団は自国の外部と内部に「我々の敵」がいて我々の生存を脅かしている、と煽り立てて止まない。しかし、無論「愛国心」は彼らの占有物ではないのだ。したがって、たとえ「愛国心」を無くすことが出来なくともこれを悪用する「愛国者」は不要であり有害な存在でしかないため、無くすことが出来るし、無くすべきなのである。
そのために不可欠なことが、「木馬をトロイに決して入れない」という現実的な選択だ。デモクラシーの大義の下に、自由を否定する自由までをも許してしまったことにナチズムという狂気の台頭は明確に由来する。この問題は別の言葉で表すならばこうである。
 「「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」[11]
 進歩的知識人であったある人物は「そうすべきではない」と述べた。だが、戦後ドイツは反対に「そうすべきである」と明言した。ドイツの憲法では、かつてのナチスの教訓から「自由な民主的基本秩序」という憲法の基本価値に当たる部分の改正を禁止し、それを脅かす政党は憲法違反として解散させる、という規定も設けられているのである。[12]
 この考え方は、現在北欧で伸張している右翼政党に皮肉にも顕著に見られる。例えばデンマーク国民党はネオナチと異なり、社会民主党以上に福祉重視の政策を掲げ、同性愛者の権利を擁護し少数派の生き方を尊重する姿勢を強調する。他方でこのような価値を認めないイスラム教徒の移民排斥を訴えるのである。こうして、「不寛容なイスラム社会と対抗する寛容な国民政党」というイメージを前面に押し出すことに成功し多大な支持を得た。[13]
 いうなれば、彼らは「リベラルな保守主義者」という形容矛盾した新しい勢力なのである。だが、このような「トロイに入れる者は寛容な者のみとする」、という「不寛容」な考え方こそ、自由を守る賢い戦略なのではないか。そして、この政党のような「寛容に対してのみ寛容であれ」という勢力にとって、「愛国」を掲げることは「寛容な我々の社会を愛する」ということとなる。これは、運命共同体としての国家や伝統などではなく憲法の規範的な価値に国民のアイデンティティを求めるべきである、とする哲学者ハバーマスが提唱した「憲法愛国主義」[14]に相似する理念だ。
したがって、それはネオナチのような偏狭な民族主義とは異なる、暴力や流血を招かない、より穏健で安全な「愛国心」の形を示しているであろう。惨事をもたらしかねない、ナチスのような「右翼」から「民主主義国家」というトロイを守るものは実は、「あなたの意見には100%反対だがあなたがそれを言う権利は100%命を賭けて守る」[15]とする「左翼」ではなく「ただし、自由を脅かさない範囲内において」という留保を付ける、ナチスの影を振り払った新しい「右翼」なのかもしれない。
 最後に、ナチスに追われながらブレヒトが書き残した言葉を再び紹介しよう。
 「英雄のいない国は不幸だ!」「違うぞ!英雄を必要とする国が不幸なんだ」[16]
 なぜなら、英雄はいつも戦争を引き連れて現れるからである。了


[1] ベルトルト・ブレヒト『ブレヒト詩集』土曜美術社参照
[2] 野上元「『過去』が『歴史』へ変わるプロセス」『朝日新聞夕刊』2006/12/7付参照
[3] 宮沢俊義『憲法論集』有斐閣参照
[4] ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』みすず書房参照
[5] 伊丹万作「戦争責任者の問題」『伊丹万作全集1』所収 筑摩書房参照
[6] ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』未来社参照
[7] ヘーゲル『歴史哲学講義』岩波書店参照
[8] 福沢諭吉『文明論之概略』岩波文庫
[9] 樋口陽一・山室信一「国家とは何か」『朝日新聞』2006/6/18付参照
[10] バーナード・ショー
[11] 渡辺一夫「「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」『渡辺一夫評論集 狂気について』所収 岩波文庫参照
[12] 樋口陽一『個人と国家』集英社新書参照
[13] 「新右翼の欧州」『朝日新聞』2006/12/1付参照
[14] 上述「国家とは何か」『朝日新聞』2006/6/8付参照
[15] ヴォルテール
[16] ブレヒト『ガリレイの生涯』岩波文庫

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