2007年12月12日水曜日

バッファロー‘66 (ヴィンセント・ギャロ監督)

 才人と名高いヴィンセント・ギャロの作品である。下馬評が総じて高かったので自分も期待していたのだが、はっきり言ってあまり面白いとは思わなかった。
 この作品を観てまず気づくのは映像の「クセ」だ。画質の色あせ具合は’70年代のハリウッド映画とダブって見える。また、カメラアングルもトリッキーだ。例えば主人公と誘拐した女、彼の両親の4人が食卓を囲む場面。正方形のテーブルに一同は座るのだが、カメラは必ず誰か一人と入れ替わって、残りの3人を撮るというスタイルである。ようするに4人いるはずなのに常に誰か1人が不在になってしまっている。これに似た場面を前にも見たことがある。松田勇作主演の『家族ゲーム』だ。ここでは一家の食事風景は、長方形のテーブルに全員が横一列に座るものとなっている。単なる食事の場面も工夫次第で印象的に仕上がるということに観客はこれを観て気づかされた。
また、ギャロは主人公の回想場面をホームビデオで再現するという手法も使っている。
 だが、これらの独自の技法がそのまま作品の面白さにつながっているかといえば自分はうなずくことが出来ない。あるいはその他にも、有名になったボーリングのシーンは自分にはコーエン兄弟の『ビッグリボウスキ』を連想させて新鮮味に欠けていたし、展開される数々の会話もタランティーノの脚本作に比べれば凡庸だ。また、BGMやカット割りに緩急をつけてテンポアップを図るという定石も踏んでいないため、だらだらと同じペースでストーリーが進行するばかりで次第にアンニュイさを覚えるようになった。                                        
 このように、不満だらけの本作だったが、あえて魅力を上げるならばヒロインを演じるクリスティーナ・リッチの強い存在感だ。日本で言えば安達裕美のようなポジションにいた彼女を子役から見事「女優」へと脱皮させたという点だけは、抜擢したギャロの感性の確かさが伝わり、次回作への期待へもつながった。了

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