2007年12月22日土曜日

スパイダーマン(サム・ライミ監督)

 毎朝のスクールバスにはいつも乗り遅れ、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけて、クラスの不良にからかわれてばかり。ピーターは典型的な“イケてない”高校生だ。隣に住む幼馴染のMJに片思いをしているけど、いつまで経っても気持ちを打ち明けることもできない。
 だけどそんな彼は遺伝子改造されたクモにかまれたことによって超人的な能力を手に入れ、うだつの上がらない日常と決別することになる。
 この変化する主人公の描き方が本当に爽快だ。さんざんコケにされた宿敵の不良を完膚なきまでに叩きのめす。あるいは壁をすいすいとよじ登る。クモの糸を放って、ビルからビルへとターザンをするように一瞬で移動する。しまいにはイベントでプロレスラーをぶっ倒して賞金を勝ち取る。そして、この力を活かして街の平和を守る正義のヒーローとなるに至るのだ。
 「冴えないヤツが冴える」瞬間、冒頭の「ダメなピーター」が「華麗なスパイダーマン」へと成長していくさまを原作の持ち味を活かした、アメコミそのものの軽快なノリで映し出していく。
しかし、「敵」のキャラクターをステロタイプな「悪党」に描いていないことで、物語は奥行きも持っている。凶暴なグリーン・ゴブリンは主人公の親友の父であった。彼らが互いに正体を探り合う展開はスリリングで、作品を大いに盛り上げる。
テンポよい演出と、見せ方の「ツボ」をきっちり押さえた迫力あるアクションシーンは、ホラー映画出身のサム・ライミ監督だからこそ可能になったと自分は思う。『スクリーム』を撮ったウェス・クレイブンも『ミュージックオブハート』という感動作を作り上げたように、「怖がらせる」ことを生業としてきた職人は器用な人が多いのである。
誰しも若い頃には「変身願望」や「強さへの憧れ」を抱いている。けれどもそれは大抵、叶わぬ願いに終わってしまう。だから、私たちはピーターが指先からクモの糸を放つとき、そこに自身の見果てぬ夢を重ね合わせて、大きなエールを送りたくなる。
だが、スパイダーマンの活躍を横目に自分は対照的な別の映画を思い出した。
それは『アメリカン・スプレンダー』である。こちらの作品は「冴えない男がいつまでも冴えないまま」の話だ。主人公の漫画家ハービーは「変身できないピーター」だと形容できる。しかし、それでも彼は現状にめげないで自分なりの幸せをつかみとっている。したがって、この映画から伝わるのは「凡庸であること」への「イエス」というメッセージなのである。彼の背中は「冴えないことは大した問題じゃない」と力強く語っているように見えた。
逆に、ピーターの場合、「冴えた」のだけれども遂に最後までMJには告白できないままだし、父をスパイダーマンに殺された親友は彼への復讐を決意していた。ヒーローにはヒーローならではの苦悩や葛藤が山積しているようである。スパイダーマンをすることも無条件にハッピーなわけではないようだ。だから、自分はやはりクモの糸を指先から放てないままでよかったのかな、と見終わった後ぼんやり呟いたのだった。了

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