2007年11月29日木曜日

RIZE (デヴィッド・ラシャベル監督)90点


これは“dance”というよりも“battle”の記録である。
 全米1の犯罪地域・ロサンゼルスのサウスセントラル地区。外を歩いただけで理由もなく射殺されるような極限の日常の中で、生きる活路をギャングでなくダンスに見出した若者たちの青春の軌跡をカメラは追いかける。
 麻薬の売人をしていたトミー・ザ・クラウンは出所後更生してこのように考えた。
 「ダンスに打ち込ませれば、若者達を悪の道から遠ざけることが出来るはずだ」。
 元来楽天家のトミーは、ロス暴動のあった‘92年、人々を励ますためにピエロのメイクをしてストリートで踊り始める。子供や若者たちを次々に引き込んでいき、やがてダンスは一大ムーブメントとなっていった。
 「ダンスは心の波動だ」。
 一人の青年は力に満ちた目で、こう語る。この言葉はまさに端的に、彼らにとってのダンスというものを表している。貧困・差別・暴力、彼らが日々直面する苦難への激しい怒りを全身で表現するのだ。だからチーム同士の対抗戦ではエキサイトし、互いを手で突き飛ばし、にらみつけ、挑発する。はたから見たら、今にでも殴り合いになるのでないかと不安にさせられる。けれどそれはギャング同士の抗争とは全くの別物である。どれだけ白熱しようとも彼らは決して力になど訴えない。ここではダンスこそが全てだ。トミーの一途な情熱により、若者達は次第に暴力を憎みダンスを愛する人間へと変わっていっていた。
 彼らが踊る「クランプ」と呼ばれるダンスは、リズムに乗せて、全身をけいれんしたように猛烈な速さで激しく動かす。そのスピードは本当に尋常ではない。その光景はある一節の文章を思い起こさせた。
 「モオツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつかない」。[1]
 腕を、足を、腰を、首を、肩を、生まれながらに恵まれた、黒人特有の優れたリズム感と身体能力で激烈な速度で揺さぶる。それはまるで、日常にまとわりついた悲惨と悲壮を全速力で振り切ろうとするかのようである。泣く暇さえもないほどの加速によって。
 従って物語の佳境、街のナンバーワンの座を賭けたチーム対抗ダンスバトルは、必見に値する大迫力のものとなっている。憤り、哀しみ、苦しみ、情熱、誇りといったあらゆる感情を互いに体中から爆発させてクランプによって真正面からぶつけ合う。それはまさに暴力のない戦争である。相手の体に一滴の血も流さないのに、どんな凄まじい銃の乱射よりも激しく相手の心に打撃を与える。「すごいクランプだ!オレの負けだ!ちくしょう!」と。けれども、銃撃を受けて殺された場合と違い、負けてもいつでも相手にリベンジできる。銃を手に取るのではなく、更なる一層の厳しい練習という正当な努力によって。
 トミーは、このダンスバトルを無事に大成功させた矢先自宅に空き巣に入られて家中を滅茶苦茶に破壊される。「頑張るといつもこんな仕打ちが待っているんだ!」涙ながらに心情を吐露する彼の姿からは、この街で生きることの想像を絶する苦難が伝わってくる。
 けれども、彼によってダンスの世界を知ったある若者はこのように言った。
 「どんなブランドより、高級品より、俺達自身に価値がある。俺達自身が特別なんだ」。 多くの若者がトミーによって、誇りと尊厳を取り戻した。彼はクランプする希望だった。
[1] 小林秀雄『モオツァルト・無常ということ』新潮文庫 参照

ジャーヘッド(サム・メンデス監督)85点  


 「戦争はもう起きない」。観賞後そう深く感じた。もう、我々人類はあの、史上最も忌まわしい災禍の一つからようやく解放されることができたのだ。まさに快挙である。
 かの19世紀独の天才軍人・クラウゼヴィッツは「戦争」というものをこう認識していた。そして史実は、その認識が完全に正しいことを証明する。
「戦争は一回かぎりの決戦で終結するものではない」。
「戦争中両者は互いに挑発し合って闘争は際限なく発展し止まるところを知らない」。[1]
1991/1/17に「開戦」し、同年3/3に「終戦」した「戦争」、イラク国内への猛空爆「砂漠の嵐作戦」により南部の軍事施設は瞬く間に壊滅し、次ぐ地上戦「砂漠の剣作戦」によって既に弾薬も食料も底を尽き疲弊しきっていたイラク兵達はなす術もなく逃げまどい虐殺された。そしてイラクは降伏した。これが「湾岸戦争」と呼ばれたものの経緯である[2]
死者の数の対比をしてみれば、この時ここで起きたことの真実が鮮明に浮き上がる。
 アメリカ軍149人、イラク人15万人。その差、約1千倍。市民であれ兵士であれイラク人達の殺され方もまた、類を見ないほど凄惨なものだった。五体をバラバラに引き裂くクラスター爆弾、皮膚に張り付き人体を焼き尽くす白燐弾、小さな核と言われる気化爆弾。出口を封鎖され塹壕に留まっていた数千人ものイラク兵を生 き埋めにした米軍の戦車とブルドーザー。[3]
 わずか2ヶ月未満で終わり、殺され方も犠牲者数も、余りに一方的だった「戦争」、それが「湾岸戦争」に他ならない。上述したクラウゼヴィッツの格言は、この事例には全くあてはまる余地がない。もはや「戦争」という呼称自体が適切ではないのかもしれない。     
 したがって、実話に基づく本作の中でも[4]、登場する戦場の海兵隊員たちから私たちに最も強く伝わるものは、従来の戦争で兵士に見られた恐怖や緊張、昂揚ではなく、弛緩と退屈と厭世なのであった。終始、主人公たちには気だるさがつきまとう。いつも何かが噛み合わず、鍛えた体は持て余すばかりだ。待機に次ぐ待機、戦場のはずなのに戦闘にも出会えない。終盤ようやく主人公に訪れた、狙撃手としての腕の見せ場も直前のところで上官に止められてしまう。そして彼が何時間も機を窺って射殺するはずだった管制塔のイラク軍将校は、戦闘機の爆撃により5秒足らずで建物ごと木っ端微塵に吹き飛ばされる。再び気だるさだけがさらに大きくなって、主人公に襲い掛かった。ついに最後まで、敵兵に襲撃されることは一度もなかったのである。
 こうして、期待外れと空振りの連続だった彼の滑稽な「戦争」はその幕を閉じる。故郷に帰るバスの車内できっと彼はこう振り返っていたに違いない。
 「唯一エキサイティングだったのは、テレビ局のカメラの前で毒ガスマスクを付けて仲間とアメフトをした時だった」。と。戦闘と違い、こちらはワンサイドではなかった。
ボードリヤールは報道の視角から「湾岸戦争は起こらなかった」。[5]と喝破した。自分は旧来の「戦争」という史実から「湾岸戦争は起こらなかった」。と今、深く確信している。
[1] 広瀬隆『クラウゼヴィッツの暗号文』新潮文庫 140頁
[2] Wikipedia「湾岸戦争」参照
[3] ジョエル・アンドレアス『戦争中毒』合同出版 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    28頁
[4] アンソニー・スオフォード『ジャーヘッド/アメリカ海兵隊員の告白』アスペクト
[5] ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』紀伊國屋書店

2007年11月28日水曜日

ベティ・ブルー(ジャン=ジャック・ベネックス監督)95点


  「There’s someone in this crazy world for me」、こんな歌詞をかつて聞いたことがある。[1]当時、中学生だった僕は素直にこの言葉を信じていた。「世界はいつでも狂っているけど、きっと愛だけは信じられるものなのだろう」。と。
 けれどもそんな考えは、「サンタクロースは実在する」。というのと同じ位、稚拙で空虚な妄想だったと気づくのにそう時間は掛からなかった。
 見栄や嫉妬や打算や欲情、「愛」ほどにギトギトした人間の行為は他にない。
 いや、そもそも、それ以前に「愛」などというもの自体が、実はどこにもないのかもしれない。目には見えないし、耳にも聞こえない。手で触ることもできない。
 「言うまでもなく、恋愛は幻想である。膀胱にたまった尿が個人を便所へと駆り立てるような具合に、個人を恋愛へと駆り立てる実体的なものは何もない。普遍的人間性なるものが存在しているかどうかは知らないが、もし存在するとしても、そのようなものに恋愛の基盤があるわけではない」。[2]ある心理学者はこう喝破する。
 先日の「純愛」ブームで一儲けした面々もきっと誰一人こんなものを信じていないだろう。彼らは間違いなく「金」の方を信じているはずだ。ただし、上述した心理学者によれば「拝金主義」もまた一つの幻想に過ぎないとされる。
 ようするに彼に言わせれば、人間は本能の壊れた動物であり、それぞれが様々勝手な私的幻想を抱いて生きているのである。俗にいうところの「価値観の違い」云々であろう。
 「恋愛至上主義」などという言葉もあるように、世の中には「恋」や「愛」というものに無二の価値を求める人たちも多い。では、具体的にそれはどんな人々なのだろうか。
 身もふたもなく核心を突いた名言がある。
 「恋愛は仕事のない人々の仕事である」。[3]
頭脳や才能、美貌などによって他者から称揚され、尊敬されたことが残念ながらほとんど無い大多数の人々にとっては「恋愛」だけが唯一最後に残された、「自己承認願望」を満たしうる可能性を秘めた存在なのである。
たとえそれが、霞や蜃気楼のような、実体のない幻だとしても。
試験や仕事でいくら評価されなくとも、「恋人」だけは「自分」という存在を肯定し、受容してくれる。軽蔑などしない。マザーテレサもかつて「人間にとって最も辛いことは、誰にも必要とされないことだ」。と語っていた。
したがって、たとえば「デートDV」問題について、「結婚しているわけではないのだから、そんなにイヤならすぐ別れればいい」。と外野の者は切り捨てがちだ。が、当事者からすれば、そこには「誰でも良いから私を必要としてほしい」。という極めて強いパトス(情念)があるために容易に別れる決意が出来ず、深く苦悩するのである。
また、DV(ドメスティック・バイオレンス)という現象も、一方的な加害者と一方的な被害者という単純な図式ではないといわれる。実は、夫と妻が暴力を通じて互いに精神的に寄りかかっている病的な人間関係がそこにはあるという。これは「共依存」と呼ばれる心理メカニズムだ。この場合、共依存者は妻の方である。自己犠牲的に他人の世話を焼き続けることで自分の存在意義を実感しているのだ。[4]
かくもこのように私たちが持つ「承認願望」の強さは計り知れない。たとえ人間が幻想によってのみ生きているとしてもこの願望は極めて原始的で本能的なリビドーに見える。
こうした「承認願望」・「共依存」というタームから、本作は明瞭に解釈できるであろう。
塗装工の青年ゾルグと流れ者のベティという、社会の底辺に暮らし、誰からも疎んじられている二人。そんな彼らが出会い、惹かれ合ったなら、その愛が加速度的に激情化してゆくのは至極当然である。
なおかつ、ベティという女性が深刻なヒステリーを患い借家には火を放ち、仕事先のレストランでは気に入らない客をフォークで刺す等始終トラブルを起こすのならばゾルグが「共依存者」として破滅的に彼女にのめりこんでいくのは火を見るよりも明らかであった。
ハイウェイを疾走する車の窓から顔を突き出して運転席のゾルグへ「Je l’aime!!」(愛してる)と大声で叫ぶベティの姿は、余りにも無垢で無邪気な、澄んだ心そのものだ。
 けれども、そのような純心さを持つが故にこそベティは、激しいヒステリーを通すことでしか外の世界と関係できない。彼女は、傷付いては攻撃し、攻撃しては傷付くという不毛な行為を繰り返す。けれどもゾルグだけはそんな彼女を決して見捨てはしない。
 この展開は『「死の棘」日記』[5]という名著を連想させる。自らの不倫が原因で狂気に陥った妻の止まることのない責めに、ただひたすら毎日耐え続ける男の話である。
 ゾルグも敏雄も、痛々しいまでにベティやミホに静かに寄り添い、堪え、忍ぶ。
 余りにも不器用で朴訥な形で、彼ら二人は彼女たちへの「気持ち」を表現している。だがそれは外から見たら単なる「共依存」であり愛情というより「同情」なのかもしれない。
 ベティのヒステリーはエスカレートの一途をたどり、遂には出産できないショックから自らの片目をえぐり、精神病院で拘禁されるまでに至る。
 だがそれでもなお、否、ますますゾルグは彼女のために自分を捧げる。妊娠したと聞いては、費用を稼ぐために銀行強盗まで行ってしまう。
 人々が生きる「世界」は、自分たち二人のためだけに存在している、という境地にまで彼と彼女の「共依存」が到達した時、二人はまさに、この世をもぎ取る。
 最後にゾルグは、病院に忍び込み、錯乱したベティを自らの手で殺めるという挙に出る。
 もはやここには、既成の法規や倫理や通念が及ぶ余地などない。「承認への欲求」以外の全てのものはことごとく失効している。世界は彼にひざまずくのだ。
 こうした破滅的な恋の逸話を聞くたび、僕は常々こう思う。
「愛す男が馬鹿なのか、愛した女が馬鹿なのか」。
 実のところは、どちらも同じくらいに哀しい愚かな生き物なのだろう。在りもしない「愛」などという錯覚を信じ、騙され、裏切られ、傷付け合うことを繰り返す私たち。
 だが、「自己承認」を求める欲動が人間に存在する限り、虚構の「愛」は決して消えない。
そして、「愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる」。[6]のである。     了
[1] カーペンターズ『I NEED TO BE IN LOVE』
[2] 岸田秀『ものぐさ精神分析』中公文庫 174頁
[3] モンテスキュー
[4] あさみ・まな『いつか愛せる-DV・共依存からの回復』 朱鳥社参照
[5] 島尾敏雄『「死の棘」日記』新潮社
[6] ニーチェ『善悪の彼岸』新潮文庫

ロング・エンゲージメント( ジャン=ピエール・ジュネ監督)90点


  「我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘れられず」
 強い哀愁を帯びたこの歌は、若倭部身麻呂という、今の静岡に当たる地に住む一人の農民の手による。7世紀、政府は朝鮮からの侵攻を想定し、九州北部警備のために「防人」として東国の人間を徴兵した。彼にもやがて命令が下る。その折に詠まれた作品である。
 防人の兵役は三年間とされていたが、実際はいつ帰れるとも知れず、また、帰る際の費用は全て自己負担であり、たとえようやく任を解かれても、行き倒れになって亡くなる者が数多かったという。(「防人の歌」『万葉集』所収 参照)
 彼もまた、無事に妻と再会することが出来たのだろうか。この歌は、時代と場所を越え、20世紀のフランスで、戦場に行ったきりの恋人の帰還をひたすら待つマチルドにも届く。
 灯台守をしていた青年・マネクは第1次世界大戦の勃発により、過酷な前線に徴兵される。敵前逃亡容疑での見せしめの処刑、凄まじい機銃掃射、止まらない砲撃など、凄惨な塹壕生活の中で、勇敢だった彼もやがて精神を蝕まれ、故意の負傷をしてしまう。
 そして軍法会議にかけられ、他の4人と共に「ドイツ軍との中間地帯に放り出す」という残酷な刑が下る。そして、一人また一人と銃火に倒れてゆく。彼もまた重傷を負う。
 だが、彼の死を直接見た者はいなかった。だから、マチルドはマネクの無事を信じ続け、小児マヒで不自由になった体をおして、懸命に彼の消息を探してゆく。
 その姿はもはや、ただ嘆きながら恋人との再会を願うだけのか弱い女性などではなかった。戦場の兵士よりも強い勇気と意志に満ちていた。
 彼女を駆り立てるもの、それは言うまでもなくマネクへの愛に他ならない。そして、マネクもまた、中間地帯の極限状況の中で、そばの枯れ木に彼女の名前を彫り続けた。
 二人とも、戦争などによってその愛がついえることを決して認めたくはなかったのだ。
 開戦前、マネクは彼女を背負って、自分が勤める灯台の近くの崖に登り、波の音に負けないくらいに大きな声で「マネクはマチルドを愛してる!」と叫んだ。そして岩場に二人の名前を刻んだ。決して消えないように、深く、しっかりと。
 このシーンは作中で最も美しい。同時に、自分はある歌詞を重ね合わせた。
「べーラ!ベーラ!でもいいし、ヴンダバーでもいい。どんな言葉だっていい。あなたがどんなに素敵か伝えたかったの」。(アンドリュー・シスターズ 「素敵なあなた」)
ここには国境も時代も越えた、幸せに満ちた変わらない愛の情景がある。
だからこそ、若倭部身麻呂もマネクも、そして彼らの帰還を待つ妻もマネクも、戦争の勝利などよりただひたすら、平和の頃のこの情景を取り戻すことだけを望んでいたのだ。 
 しかし、そんな考えを決して国家は許さないのである。戦争に協力しない態度を見せれば兵士ならば処刑され、銃後の者ならば世間から「非国民」と罵られ、虐げられる。
 普遍的な感情が、人為的な存在によって踏みにじられる。それが戦争というものなのだ。
 最後に、遂にマチルドはマネクと再会する。だが、彼は記憶喪失になっていた。だから、またしても彼女は再び、ひたすら「待つ」ことを強いられてしまう。マネクが自分を思い出す時を、つまりは、海での愛の誓いの風景がもう一度蘇る瞬間を。 
 「国益」や「大義」や「防衛」の意味なんて、私たちはずっと知らないままでいいのだ。
ただ一つ必要なのは、「どんな戦争も必ず、大切な人との不条理な別離をもたらす」、という真実に気づく程度のほんの少しの想像力なのだ。ここに、平和を守るヒントがある。  了

シリアナ(スティーブン・ギャガン監督)85点


 「石油のために血を流すな!」、湾岸の時もイラクの時も大勢の人々はこう叫んだ。しかし、それでもアメリカは決して躊躇うことをしなかった。今までも、そしてこれからも、きっとアメリカは「石油のために血を流し」続けるだろう。シビアな国際政治の世界ではそれが当たり前なのかもしれない。資源を巡っては必ず血が流れてきたことは宗主国間の「グレートゲーム」が繰り広げられた、つい最近の数世紀を見るだけでも余りに明白な事実だ。
真に憂慮すべき、そして大きな批判を与えるべき問題があるとするならば、それは大国を率いる指導者たちの「政治における嘘」[1]である。平和を求めて戦争をするような、和平を言いつつ、軍に臨戦態勢を取らせるような、偽善を超えた欺瞞である。
冷戦が崩壊し、「自由民主主義の勝利」を声高に叫ぶアメリカ政府は、本当に今まで国際社会に対して「自由民主主義」こそ唯一至上の価値としてぶれることなく一貫して振舞ってきたのだろうか。否、事実は全く逆であったことは今更語るまでもない。
「中でもノースカロライナ大学のシュルツ教授による、ラテンアメリカにおけるアメリカの援助に関する研究は有名です。約二十年前の論文ですが、その中で彼はアメリカの援助と人権侵害に非常に強い相関性があると指摘しています。彼は『アメリカの対外援助は、市民に対して拷問を行っているラテンアメリカ各国、西半球において甚だしい基本的人権の侵害を行っている国に偏っている』と述べています。中略、彼は別の研究を行ってみました。中略、すると、アメリカの援助と投資環境の好転にもっとも強い相関性があることがわかりました。つまり、投資家にとって資源などを吸い取るチャンスが増大すればするほど、その国への援助も増加していたのです。中略、では、第三世界の諸国における投資環境を良くするにはどうすればよいか。もっとも良い方法としては、労働組合や農民のリーダーを殺害すること、宗教者を拷問すること、農民を虐殺すること、社会保障プログラムの土台を揺るがせること、などが考えられます。すると投資環境が好転します。」[2]
「それどころか、アメリカ政府は、アパルトヘイト政策をとる南アフリカ共和国と手を組み、ようやく独立したアンゴラに傭兵軍を送り込んで、アンゴラの新政権に戦争を仕掛けた。」[3]
傍証にはこと欠かない。アメリカという超大国のリーダーたちが「自由民主主義」という理念を諸外国に対して本気で希求したことなど、一度たりともなかっただろう。何より重視していることは経済的利益なのである。最近の例を挙げれば、ネオコン率いるブッシュJrによる「圧制国家」発言である。国民の自由を抑圧している国としてキューバや北朝鮮やイランを名指ししたが、なぜか、王室による強権支配が行われ人権侵害の横行しているサウジアラビアは全く含まれていなかった。それは無論、大きな産油国であり親米政府だからであろう。逆に「反米民主主義国家」に対してはチリのアジェンデ政権の悲劇のように、臆することなく武力を用いて、ことごとく瓦解させてきた。
「また、CIAと国防総省はアメリカ政府が気に入らない政権を転覆させるため、代理軍を組織したりもした。中略、とりわけ1970年代と80年代、CIAは、世界中のゲリラ軍を財政援助し、訓練し、武装するのに忙しかった。」[4]
そしてこのように、アメリカの「経済的利益」のために最も「活躍」し続けている政府組織の一つがまさに本作のテーマとなっている「CIA」に他ならない。
本作は実話を基にしているというが[5]、やはりここでもアメリカ政府にとっていかに「自由民主主義」という理念などより、「経済的利益」の方が遥かに大切なものであるのかが、余すところなく描かれている。CIAは、中東某国の王位継承者の暗殺をエージェントである主人公ボブに命じる。この王子は、石油を武器に築いた父の独裁政権を嫌い、議会を作って、司法機関を独立させる民主国家の建設を目指す「自由民主主義者」であるにも関わらずだ。ここには石油を独占的に支配するアメリカの企業が、別の企業を買収してさらなる支配を狙っているという策略が絡む。直接的にはCIAとこの石油企業の結託は分からない。だがしかし、実際にワシントンDCを我が物顔で闊歩している業界ロビースト達の姿を思えば、想像するに難くはないだろう。
4人の人物のストーリーが並行して進み、濃い霧がかかったかのように全体像はなかなかはっきりと見えてこない。示唆するに留める程度の抑制的なトーンが全編を貫き、「ブッシュ」や「ビンラディン」といった刺激的な固有名詞はほとんど出てこない。観ている側としては次第に、もどかしさを覚え始める。「この作品には映画としてのカタルシスなど存在するのか?」、「このまま終わってしまうのではないか?」と。だがしかし、このような危惧は終幕、見事に「吹き飛ばされる」ことになる。まさに文字通りの「爆発」によって。
一度目は、かの王子を主人公のエージェント共々粉々にするCIAのロケット攻撃であり、二度目は、かの石油企業を合併のあおりで解雇され、イスラム過激派に入信したパキスタンの出稼ぎ青年による、王子の国での同社の合併記念船上パーティーに対する自爆攻撃である。
この時ようやく、バラバラな四つの点でしかなかったストーリーが一つの線となる。そして、国王と米政府から次期王位を嘱望される、殺された開明派王子とは対照的な封建主義者の弟の、アメリカでの同社合併祝賀会の席で見せた満面の笑顔が、全編を覆っていた濃い霧を鮮やかに晴らすのであった。彼の微笑みはこう囁いているはずだ。
「利益の前には所詮、どんな崇高な理念も勝てはしない。」と。
本作は、「世界で最も恐ろしいタブー解禁」、「地球は陰謀でできている」というコピーだった。それは暗にアメリカとCIAの国際的謀略を指している。だが実際に本作が厚く覆っていたベールを剥ぎ取って白日の下に暴露してしまったことは、「金は素晴らしい物である!金をもつ者は、自分の望むことは何でもできる!」[6]という、社会においてはっきり公言するのが「タブー」とされていた否定し難い真実であり、地球を構成しているものは「陰謀」などではなく、剥き出しの獰猛な欲望なのだという、王子が殺された砂漠以上に荒涼とした、乾ききった現実であり、資本主義が民主主義を駆逐し続けている、この世界の凄惨な死に様に他ならなかったのだ。了
[1] ハンナ・アレント『暴力について』みすず書房 2000 参照
[2] 鶴見俊輔監修『ノーム・チョムスキー』リトルモア 2002 8~10頁
[3] ジョエル・アンドレアス『戦争中毒』合同出版 2002 21頁
[4] 同上 21頁 
[5] ロバート・ベア『CIAは何をしていた?』新潮文庫 2005
[6] カール・マルクス『資本論』新日本出版社上製版 1997 221頁 

落ち穂拾い(アニエス・ヴァルダ監督)85点


 以前、近所のスーパーを訪れたとき、野菜売り場で、不要なレタスの葉を入れるビニール袋を漁っている老婆を見た。周囲の目など意に介せず、一心不乱に拾うその姿は同情すらも拒んでいた。ちょうどその頃、新聞で、彼女のように「青菜集め」をしているというお年寄りの投書を読んだ。彼らのように微々たる年金だけの暮らしでは、生きるためには仕方のない事なのかもしれない。そして、貧困の広がりが大きな社会問題となっている今、こういった「落ち穂拾い」は、ますます世代や地域を越えて繰り広げられているであろう。
 ホームレス、シングルマザー、若者、中年、子供、芸術家…。収穫後のジャガイモ畑やブドウ園で、摘み残され、廃棄される予定の余り物を黙々と拾い集めていく様々な人々をカメラは克明に映し出す。多彩な彼らだが言うことは皆、異口同音だ。
「まだ食べられるのに、もったいない」。
 腰をかがめて落ちているものを拾い続ける、という行為は本当に惨めで恥ずかしい。けれども、「このまま捨てられるなんて!」という憤りと、「買えばお金がかかる」。という倹約の小さな欲という、2つの強い思いが彼らを駆り立てるのだ。
 この気持ちは庶民にとって、とても身近なものだろう。かくいう僕もまたかつて、パチンコ屋の裏に捨てられていた大量の景品のチョコレートを何度も持ち帰ったり、資源ゴミ回収の日に自転車で町内を回って、綺麗な漫画や本をかごに溢れるほど積めたりしていた。
 こうして手に入れた、たくさんの「タダ」のモノに囲まれて一時の恍惚に浸りながらも、同時に僕は大きな疑問もまた、感じた。それは、作中に出てきた、貧しい人々に食事を支給する『心のレストラン』というボランティア組織で働く男性の言葉を借りればこうだ。
 「一方では、捨てるほど食べ物が余っているのに、他方には何一つ欠けている人がいる」。
 この事実は、無論、一つの国の中にも国と国との間にも常に厳然として存在している。
 「今やろうとしているのは、ただでさえ末端の労働者の収入、所得は減らされていくのに、エリートや経営者たちは、彼らの分まで以上に分捕るという、名実共にアメリカのような社会にしようとしていることが決定的な問題です」。[1]
 生活保護の受給を拒否された失業者の餓死事件が、今の日本では後を絶たない。さらに南北問題となれば、事態はより一層深刻となる。
 「第三世界の国々は飢えた子供たちが食べるはずの食糧さえ輸出にまわし、あるいは巨大なるアグリビジネス(農業資本)の進出によって農地がバナナ、パイナップル、ユーカリ、パームやしなど輸出用作物のプランテーションへと次々に変えられている」。[2]
 したがって、現在の日本は、途上国の人々からだけでは飽き足らず、大多数の同じ日本人からまで、一握りの特権階級が日々の糧を強引に奪い取っている図式なのである。そして、かつてのローマ帝国の貴族のように吐くまで食べ、不味ければ無造作に捨て去るのだ。
 統計を見ても、食糧全体は不足していないといわれる。すなわち、飢餓が起きる本当の原因は、「ピザの分け方」に他ならない。他人が生きるのに不可欠な食べ物まで、肥え太った者が取り上げて、食べてしまうことは決して正当化できないはずだ。
 こうした「ピザの分け方」という問題について、示唆に富む発言を読んだことがある。
 「しかし、もし、それ(食糧)が適当に利用されないうちに、その人の手のもとで腐敗し、消費しないうちに果実が腐ったり、鹿肉が腐ったりすれば、彼は万人に共通な自然法に背いたことになり、処罰を免れえなかったのである。彼は自分の役に立ち、そして生活の便宜を与えてくれるもの以上には、何の権利もないのだから、これによって、彼は、隣人の分を横取りしたことになるのである」。[3] 
 ここで言及されているのは、土地が占有化される以前の古代の話であるが、「使い切れずに腐らせてしまうほど、たくさんの食糧を持つことは許されない」。というルールは、現代にも通じる普遍性を持っているといえよう。それは、他人の食べ物の盗奪となるのだから。したがって、飽食を堪能する金持ち達は、法は犯さずとも、罪を犯しているのである。
 僕自身も以前、庭の金柑の木の実を食べきれないほど多量に摘んでしまい、無駄にしてしまった時は、「なんてもったいないことをしたんだ!」と後ろめたさにさいなまされた。
 けれども本当のところは、この国には粗末にしてよい食糧など、皿一枚分もないのだ。「和風幕の内弁当」というのが、コンビニの棚に並んでいる。その食材を調べてみると、鶏肉はブラジル産、小松菜は中国産、金時豆はボリビア産であり、合計すると、19の食材のうち14が外国産となっているという。19食材の東京までの輸送距離を計算してみると合計約16万キロになる。なんと地球4周分だ。[4]このエピソードは、今年農水省が発表した我が国の食料自給率が8年連続で40%だったことからも納得ができるのではないか。
 また、輸入に依存することは、間接的に外国の人々が生きるための水までも奪っていることになる。牛肉100グラムをつくるのには2トンの水が必要だという。輸出業者は利益を得ても、地下水の汲み上げ過ぎが生産の土台を蝕んでいるのだ。例えばアメリカの中西部の大地下水層は、トウモロコシや麦の栽培に使われているため、30年後にはなくなるという。オーストラリアの学者は「水は大切だ。小麦や牛肉にそんなに使う余裕はなくなる」。と言っている。そして、長距離輸送に伴う石油使用量の増加も、地球温暖化を促進する。[5]
 このように、我々を取り巻く食糧事情は極めて深刻だ。分配も、生産も課題山積である。
しかし、僕たちはそんなことを一向に考えることもせず、平気で食べ物を粗末にし続けてきた。「粗末にするほどなぜ食べ物があるのだろう?」という素朴な懐疑すらしなかった。
 だが、前述した失業者の餓死事件のように、これからは「空腹を満たせない」人々が激増するであろう。今や、日本の貧富の格差はアメリカ並みである。年収200万円台の人口は1000万人にも上る。先日、スーパーでバイトしている弟から興味深い話を聞いた。最近スパゲティの売れ行きが急激に伸びているというのだ。米よりも割安なため、収入の少ない人たちが主食をこちらに代え始めたためではないかと思われる。しかしそのパスタさえも、職を失い手に入れることが出来なくなったら、一体どうすればよいのだろうか。
 二つの方法がある。一つは、落ち穂拾いとなって残り物の食品を漁る道だ。もう一つは、伊で実際に起きたように自分以外のプレカリアート(無安定階級)の者と結束して大群で店舗を襲い、食べ物を略奪する道だ。[6]LA GLANEUSEが、複数形のLES GLANEURS(落ち穂拾い達)へと変わる時世界は真剣に富の配分の不公平を見直すかもしれない。了
[1] 斉藤貴男『みんなで一緒に「貧しく」なろう』かもがわ出版 26頁
[2] 北沢洋子『暮らしのなかの第三世界』聖文社
[3] ジョン・ロック『全訳 統治論』柏書房 183頁
[4] 千葉保『コンビニ弁当16万キロの旅』太郎次郎社エディタス 参照
[5] しんぶん赤旗2006 8/19・8/21参照
[6] ロナルド・ドーア『働くということ』中公新書 参照

エターナル・サンシャイン(ミシェル・ゴンドリー監督)95点


  「別れたこと」も「振られたこと」も、本当はそれ自体が辛くて悲しいものなのではない。実を言えば、その出来事を「覚えている」から苦しくて、「忘れない」から切ないのだ。
 だから主人公のジョエルは、愛したクレメンタインの思い出をラクーナ社に頼んで一つ残らず消し去ってもらうことにした。初めて出会った静かな浜辺も、凍った河から一緒に見上げた星空も、夢中になって戯れた雪の積もった真冬の日も、青く染まった彼女の髪も。
 「忘却は前進をもたらす」(ニーチェ)という言葉が、ラクーナ社のポリシーだ。「幻想は短く後悔は長い」(シラー)とも言う。自分もこう思う。「人間にとって忘却は有害だが人生にとって忘失は有効である」。と。前者は「歴史」のことで、後者は「過去」のことだ。
 例えば自国のかつての戦争は決して忘れるべきでないが、失恋などすぐ忘れた方が良い。
 しかし、「忘れる」ということの難儀さをその後自分は再認識させられたのである。
施術中のジョエルは、脳の中で彼女の記憶をさかのぼり、かつての思い出を反芻してゆくうち、幸せだった瞬間が次々と甦り、徐々に「忘れたくない!」と感じ出すのだ。
彼のこの心境は、身にしみるように分かるところがあった。自分も未だに、何年も前の恋人との写真を一枚も捨てられずにいる。それどころか大切に額に飾ったままである。
人の「記憶」というのはこのように、余りにも主観的でつくづく身勝手なものなのだと改めて思う。嫌な経験はすぐにどこか遠くへ追いやって、心地良かった体験は些細なものでもいつまでも海馬の中心に大事にとどめようとする。絵画に喩えるなら、写実画ではなくゴッホのような印象画に近いと言える。ある心理学者もまた、記憶とは「過去を正確に記録する装置というよりも、熟成により味わいが変化していくワインである」。[1]と述べる。
つまり、前後も大小も遠近も、全く秩序立てて整えられていないのが「記憶」に他ならない。だからこそ、コンピューターから不要になったファイルを削除するように「思い出」は、手際よく消去することができないのだ。とりわけ、中でも最も「主観的」な「愛の記憶」についてならば、いかに取り除くことが困難なのかはジョエルの抵抗を見れば明白だ。
ジョエルは脳の中でクレメンタインと共に、懸命に「消去」の津波から逃げ続ける。彼は全力で彼女の思い出を隠して守ろうとする。そして、それによって彼女への深い愛を、もう一度確認してゆくのである。「やり直したい」。と、切に思い始める。
生きることは後悔の連続だ。だが、たとえタイムマシンが完成したとしても未来には行けるが過去には決して行けない、というのが科学では定説らしい。ならば「過去に戻れない」のなら、ラクーナ社のように「過去を消去」してしまうという手段があるかもしれない。しかし、それもまたジョエルの場合のようになかなかうまくはいかないようだ。
ここに、そんな厄介な「過去」というものの心情を見事に詠い上げた一篇の詩がある。「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに 何かとんでもないおとし物を 僕はしてしまったらしい 透明な過去の駅で 遺失物係の前に立ったら 僕は余計に悲しくなってしまった」[2] だが、その悲しみは時に喜びに成り得る。たとえ過去の記憶を消されて、既知の彼女を未知の女性に変えられてしまっても一途の心が再び二人を結びつけ、途中の愛の続きが始まった。貴女を忘れたことさえ忘れても、運命だから、また逢える。了
[1] 高木光太郎『証言の心理学』中公新書
[2] 谷川俊太郎「かなしみ」『二十億光年の孤独』日本図書センター

Vフォー・ヴェンデッタ(ジェームズ・マクティーグ 監督)90点


 「いい加減目を覚ましなさい!」、女性教師・阿久津真矢は、厳しい指導に弱音を吐く教え子の子供たちを叱りつけた。そしてこう続けた。
 「日本という国は特権階級の人たちが楽しく、幸せに暮らせるようにあなた達凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているのです」。
 そして、その特権階級になれるのは、全人口のわずか6%に過ぎず、だからこそ、泣き言を言わずに一生懸命勉強しなければならないと諭すのだった。[1]
 こんな話はドラマ特有の誇張だと感じた人も多いだろう。しかし、本物の政府自身が「現実」はそれ以上に苛烈であることを示すのである。
 政府の統計を見ると、この10年間で増えている階層が2つある。年収200万円以下の層と2000万円以上の層だ。前者は24%、後者は30%増えた。人口で比較すると、1000万人と20万人である。すなわち、ごく一部の大企業と大資産家が富めば富むほど、貧困層が広がり、格差が深刻になってゆくというのが、現在起きていることの真相なのである。
 つまり、50人いたなら、49人が「負け組」であり、「ヒルズ族」など、全人口のわずか2%しか存在しないことになる。現実は、もはやドラマを超えてしまった。
 この格差拡大という事態は無論、自然現象ではない。新自由主義路線を邁進する政府によって引き起こされた事態に他ならない。
 彼ら権力にある政治家のイデオロギーとは、端的に言ってしまえばこうだ。
 「社会というものは存在しない」。[2]
 あるのは、自立し、他者に依存しない強い個人だけなのだと。そして、大切なのは市場であると。必要なのは「経済」だけでありその成長を阻害する「社会」など不要なのだ。
 だから、1日8時間旅行代理店で働くのに、契約の身分のままなので年収180万円しか支払われていない若い女性の人生など[3]、彼らにとっては何の関心もない。
 彼女は「弱者」ではない。大学を卒業し、ドイツ語も身に付けている。しかし、社員になれないのだ。責任は明らかに本人ではなく、彼ら政治家にこそある。
 1999年、政府によって、派遣労働を専門職から一般業務に原則自由化する、労働者派遣事業法の大改悪が行われたことが、彼女のようなワーキングプア[4]の大量出現をもたらした最大の元凶である。政府自身が明確な意図を持って、国民の困窮化を推し進めていたのだ。
 言うまでもなく、日本国憲法は基本的人権の尊重を高らかに謳い、99条「公務員の憲法擁護義務」において、この憲法を政府が厳粛に守ることを要求している。
 ならば、現在の与党や政治家たちの行為は明らかに憲法違反であり、既に正統性を失っていると言える。しかし、その権力は逆に増大し、極めて強靭なものになりつつある。
 なぜ、こんなパラドキシカルな現象が起きているのだろうか。今の政府が自分たちの将来を輝かしいものにしてくれる、と思っている、実際は前述した統計のように成功など望むべくもない「負け組」たちが、数多く存在するのはどうしてなのか。
 中西新太郎・横浜市大教授は、「リアルな不平等と幻想の自由」という言葉でこの事象を鮮やかに分析している。目下の新自由主義的構造改革が単なる政策転換のレベルではなく、労働・生活世界の深部にまで狂気じみた改変を導いているためであるというのだ。[5]
 この我々の意識の「改変」へ、最も直接的に作用しているものが資本主義体制堅持の役割を担う「国家イデオロギー装置」と呼ばれる諸々の社会システムである。
 サトラー議長率いるファシズム国家となった近未来の英国、ここが本作の舞台だ。だから、「国家イデオロギー装置」も絶対的なものとなっている。政府にとって都合の悪い思想や事実は、メディアは決して報道しない。学校においても、サトラー賛美の洗脳教育しか行われていない。あらゆる表現活動は政府の管轄下に置かれている。
 しかし、このような過剰に堅牢な体制だからこそ、逆に主人公のVが政府転覆のゲリラ活動を始めると、巨大なダムが、アリの開けた小さな穴から決壊するように、崩れ始めた。
 だが実際の日本社会では、一見「自由」や「民主主義」が保障されているとされ、また初等教育を中心に、批判的な視点の芽を摘んでしまうような教育体制が進行しているために、なかなかこの「国家イデオロギー装置」の存在にも、その巧妙な策略にも人々は気がつかないのだ。[6]
 ビルマのアウンサンスーチー氏もかつてこう語っていた。
 「イギリスがなぜ発展したのかというと、彼らも日本と同様規律があるからです。ただ、彼らには日本と違う点が一つあります。彼らは、小さい子供のころから、考えることができるように教育します。(中略)七~九歳になると、子供はかなり考えることができるようになってきます。何に対しても批判できるようになってきます。(中略)何が正しく、何が誤っているのかといった批判精神を持つことを特に奨励するのです」。[7]
 また、明治の自由民権思想家・中江兆民は「日本人は論理的に物事を考えることが出来ない」。と指摘した。[8]この言葉は、未だなお、有効である。
中江の嘆きの由来はやはり多分に、スーチー氏が言うように教育にあるに違いない。
そして、もう一つ最大のイデオロギー装置が、本作同様マスメディアなのだ。したがってその事実を知っているVは、国民を騙し、操縦する国営テレビ局を襲撃し電波ジャックして政府批判の主張を無理やり放送させる。民衆の目を覚まさせるために。
先の衆院選を思い出そう。優勢民営化反対派を「抵抗勢力」だと決め付け、「刺客」候補のことばかりを垂れ流し続け、自民圧勝に多大な貢献をしたものこそテレビに他ならない。
この今も、話し合っただけで捕まるという史上最悪の法案・共謀罪が国会で審議されているにも関わらず、ほとんど報道らしい報道をしていない。
そして、こんなマスメディアの正体を明白に決定付ける一件が、奇遇にも自分が本作を観たのとちょうど同じ日・同じ時刻に起きていたのである。
小泉首相が4月3日夜、金メダリストの荒川静香氏とオペラ「トゥーランドット」をサントリーホールへ鑑賞しに行った際、首相が2階席の最前列に現れた途端に観客たちが凄まじいブーイングの嵐を浴びせたという。だが、しかし翌朝の全国紙5紙はこれを一行も記事にせず、テレビは一秒たりともそのシーンを放送しなかったのだ。[9]
小泉はサトラーになったのである。だからもう、メディアはプロパガンダしか流さない。
そして、サトラーの秘密警察同様、ビラまきやデモで政府に反抗する市民に対しては専属の公安が尾行し逮捕し、長期勾留する。彼らとメディアの結託もまた甚だしい。
「テレビでも、新聞でも、俺たち警察が発表したことだけを報道する」。
今野敏著『隠蔽捜査』[10]では、国家警察の中枢に位置する長官官房総務課長が、妻に彼ら警察がメディアを通して国民をコントロールしていることを打ち明ける場面が登場する。
今や間違いなく、現実がこの映画に加速的に近づいている。
だが、この恐ろしい真実に気づいた者は未だに少数であり、しかも、Vのような超人的身体能力や頭脳もなく何の武器さえ手にしていないのだ。このような圧倒的不利な戦況で、一体私たちはどう戦えばよいというのだろうか。
一人であろうと、恐れず「声を上げる」こと、唯一無比の手段は、実はこれしかない。
Vは民衆に、かつて国王の圧政を告発するため、国会を爆破しようとして処刑されたガイ・フォークスを思い出せと訴える。自分は、フランスのCPE法を、我が国のPSE法を無名の市民たちが立ち上がって葬り去った先日の出来事を、そして何よりも、最高権力者の小泉首相へ大ブーイングを浴びせた多くの観客の良心と勇気を思い出せ、と訴えたい。
悪法と圧制を止めるには、悠長に数年後の次の選挙など待っていては遅いのだ。けれども、投票所と違い、中年の役場の職員ではなく武装した屈強な警察と軍隊が出迎える街頭へと繰り出すことを常に多くの人々は恐れ、一歩を踏み出す勇気を持てない。
だがたとえどんな武力も、正義が味方をしなければ必ず歴史に裁かれるのである。
1905年1月9日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルグにおいて、数万の労働者たちがニコライ2世の宮殿前へ生活苦を直訴しに行進したとき、警備していた兵隊たちが彼らへ無差別発砲を行い、4000人もの死者を出した。皇帝はこれにより、民衆を恐怖で支配できると考えたが、事態は瞬く間に逆の方向へ進展し始めたのだ。一挙に皇帝の権威は失墜し、この年全国規模の反政府運動が発生、その後のロシア革命の引き金となった。
我が国でも相似する事例がある。1952年5月1日、メーデーに参加した数万のデモ隊が「ゴーホーム、ヤンキー」などと叫んで皇居前広場に入り、二重橋前にいたところに武装警官たちが解散命令も予告せずに、一斉に警棒と拳銃で襲い掛かり、死者2名、負傷者1千数百人、逮捕投獄者1200人を出した「血のメーデー事件」だ。やはり当時の新聞、ラジオ、ニュース映画は警察に追随してデモ隊を「暴徒」と宣伝した。だが、その後市民たちは粘り強い裁判闘争を展開し権力側を追い詰め、ほぼ全員の無罪判決を勝ち取った。[11]リンカーンもこう語る。「力は一切のものを征服する、しかし、その勝利は短命である」。
本作のラストシーンはまさにこの歴史の真理を見事に表現している。独裁に脅えていた大衆がVのマスクをかぶり、軍隊の銃口にも怯まず国会前に怒涛の勢いで押し寄せるのだ。
不敵な微笑を浮かべた無言のマスクたちはこう語っているようだった。
「民衆が埋める街頭こそ、暴政の墓場なのだ」。               了
[1] ドラマ『女王の教室』2005 7~9月放送 日本テレビ系列
[2] マーガレット・サッチャー 森田浩之ホームページ「ロンドン通信」
[3]「年収200万円で暮らす・広がる格差社会」NHK『生活ほっとモーニング』06 2/28 
[4] 後藤道夫 他・著『平等主義が福祉をすくう』青木書店 2006参照
[5] 前掲書参照
[6] 的場昭弘『ネオ共産主義宣言』光文社新書 2006 180~181頁参照
[7] アウンサンスーチー『演説集』みすず書房 1996
[8] 『中江兆民全集』岩波書店 1983 参照
[9] 江川昭子ホームページ「EgawaSyoko journal」参照
[10] 新潮社 2006 参照 11
[11] 田中山五郎『五・一広場』本の泉社 2006参照

ミュンヘン(スティーブン・スピルバーグ監督)95点


 「報復は報復しか生まない」、「テロと報復の連鎖を止めねばならない」、事件が起こるたび、これらの言葉が決まって繰り返される。けれどもそう言われた後も必ず更なる、より悪い事態が繰り返される。すると再び、これらの言葉が繰り返される。
 この言葉ほど、頻繁に使われるのにも関わらず、全くといっていいほど力を持っていない言葉も稀だろう。
 9・11テロの後にも「報復しないことが真の強さである」という言説が語られた。しかし、やはりアメリカは苛烈な報復に打って出た。そしてまた、同テロ以上に多くの無辜の人々が容赦なく殺された。憎悪と暴力のみに支配された絶対的現実の前に理性は、余りにも無力である。幾千万の言葉を積み上げても、一発の銃弾さえ止められはしない。
 本作は、1972年に発生したパレスチナゲリラによるミュンヘン五輪テロ事件へのイスラエル政府の報復作戦という史実を忠実に映像化したものである。『プライベートライアン』同様、「叙事的」に描くことが「叙情的」に描くより遥かに「叙情的」になるという、逆説的表現手法が窺える。
 11人の犠牲に対して、報復チームは最終的に9人の犯人達を殺した。しかし、7人目を殺した時点で主人公は作戦から降りる。「報復は報復しか呼ばない、空しい」と。既にこの時、3人の仲間が殺され、各地で暗殺への報復テロも起こっていた。「報復の連鎖」は止めようがなかった。主人公も自分に問うた。「報復しか手段はないのか?」
 「報復」という任務を途中で止めたこと自体に確かに、人間としての最後の「理性」を僕たちは感じるかもしれない。しかし、そうだとしても「テロと報復」は終わらない。また今日もどこかで爆発と銃撃が繰り返される。だから、ここに希望を見出したとするなら、それは余りにか弱いかもしれない。
 本当に一縷の望みがどこかにあるとしたなら、僕はそれを主人公が囁いた「殺すのでなく、逮捕すればよかった」という言葉の中に唯一、確信とともに感じるのである。
 イスラエルという国は無論、法治国家だ。罪を犯したものは、被害者や遺族の仇討ちではなく、裁判によって法に基づき罰せられる。また、この国は通常犯罪での死刑を廃止している。[1]それならば、なぜ「テロリスト」を「暗殺」という方法で、裁判にもかけずに一方的に処罰してしまうのだろうか。
 その理由とは、カントのいうところの「共通感覚」を、イスラエルはパレスチナとの関係において否定していたからでないか。そして「我らと異なる他者」である彼らとの間の「通約可能性」もまた、ことごとく拒絶していたためではないか。したがって、イスラエルは「同胞」の国民に向けては法という「理性」で統治するのに、他方、「異教徒」であるパレスチナ人に対しては、むき出しの暴力という「獣性」で支配するのであろう。
『見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行』[2]では、イスラエルと旧ユーゴは「隔てる」ということが共通しているという。また、隔てられた者の痛みを見ないことによって普通の日常生活を保とうとするのも共通していると指摘する。イスラエルにおいてその象徴的なものが現在占領地に建設されている「分離壁」であろう。
「苦しみはそれを見る者に義務を負わせる」とかつてボンヘッファーは述べた。[3]だから、自国の軍隊がパレスチナ人を理不尽に虐待し、時には殺害している現実を目撃しながら、自分たちだけは安全の保障された平穏な日常を営んでいるという矛盾に耐え切れず、イスラエル人はこうしたこと全てを「見なかった」ことにするという態度を選び取るのだろう。
 逆説的だが、高く分厚い壁の向こうから、必死で自分たちの存在を訴えようと壁を叩き続ける人々の悲壮な眼差しを「見る」ことを「辛い」と思うような感情があるならばそれは、ぎりぎりのところで彼らがまだ「理性」を無くしていない、ということの証ではないだろうか。「共通感覚」や「通約可能性」への希望はついえたわけではないかもしれない。
 自身もパレスチナ人であるエドワード・サイードも「一つの土地に二つの民は共存できるはずだ」と訴える。その主張の根幹にあるのは「共通の人間性」への信奉である。[4]
 「非合法に殺すのではなく、罪を犯した同胞と同じように、逮捕して法の裁きを受けさせる」という方法は、まさに裏返しの「共通の人間性」への信奉に他ならないのだ。
 ユダヤ人画家ヌスバウムが、ナチスに捕まり、ガス室に送られて殺された二ヶ月ほど前に描いたとされる「死の勝利」という作品は、白や黒の長い衣をまとう骸骨たちが踊りながらバイオリンや笛を奏でている絵である。[5]これを「殺す側の勝利」だと見るならば、今パレスチナを覆おうとしているのは皮肉にも、「殺す」側に回ったユダヤ人たちによる「死の勝利」だろう。だが、本作の主人公のように「殺すのでなく逮捕すればいい」と考えられる理性あるユダヤ人たちが、少数派になろうとも確固として存在し続けている為に「死の勝利」というむき出しの暴力がどうにか寸前のところで食い止められているのでないか。
「異なる他者」との同じ土地での理性に基づいた共存は、理想論でしかないのだろうか。
「アドリア海の真珠」と形容され、世界遺産に指定されている美しい町並みを誇る、クロアチア領の小都市ドゥブロブニクは中世以来、複数の民族や宗教が共生し続けている。                               
内戦の勃発により1991年この都市はユーゴ連邦軍とセルビア人による集中砲火を受けて市街地の八割が破壊され、多数の死者を出した。そしてユネスコの危機遺産に登録された。だがその後市民たちは以前のように、民族や宗派を超えて手を取り合ってかつての素晴らしい街を甦らすために立ち上がり、やがて1998年ついに登録を解除されるに至った。
セルビア人であろうとクロアチア人であろうとムスリム人であろうと、この都市の人々は自らをこう称するのである。「私たちはドゥブロブニク人だ」と。誰であれ、この街に住み、この街を愛する者ならば、平等にドゥブロブニク人としての資格があるという。信仰も出自も異なる「他者」同士を結びつける、この街にあるただ一つの価値観は「自由」だ。欧州で最も早く奴隷制度を廃止し、無償の医療体制や上下水道、孤児院も他に先駆けて築き上げた。全ては「自由」という決して揺るがないドゥブロブニクの信念の所産である。[6]
この都市の中世以来の実践は、イスラエルにもパレスチナにも、そして僕たちにも「異なる他者」との「通約可能性」や「共通の人間性」が決して夢想ではないことを如実に伝えるだろう。だからこそ、「テロリスト」は「暗殺」ではなく「逮捕」すべきなのだ。たとえ自分と同じ「国民」でなくとも彼らもまた、自分と同じ「人間」であるのだから。了
[1] アムネスティhttp://www.amnesty.or.jp/
[2] 四万田犬彦、作品社参照
[3]村上伸『ボンヘッファー』清水書院参照
[4]エドワード・W・サイード『オスロからイラクへ』みすず書房参照
[5]大内田わこ『ガス室に消えた画家 ヌスバウムへの旅』草の根出版会参照
[6]NHK『世界遺産の旅』2006 2/2放送参照

ロジャー&ミー (マイケル・ムーア監督)95点


 数年前から僕の街では、まず日立が「合理化」を、次に東芝が「コスト削減」を、三井東圧が「減産」を、矢継ぎ早に発表した。つまりは「リストラ」だ。それで、今では市役所の近くにあるハローワークはいつ訪れても働き盛りの中高年たちが鈴なりになっている。
 そんな故郷の斜陽ぶりを僕が一番痛切に感じたのは、小・中・高校の頃、毎日通って眺めていた日立の大きな高層団地がバラバラに解体される光景を偶然目にしたときだった。まるで空襲でも受けたかのように、深くえぐられて内部の鉄筋をこちらにさらけ出した姿、付近に散乱する、かつてここに暮らしていた人々のイスやソファーや机の数々。シャベルカーが毎回動くたび、幾つもの部屋が粉々になって消えていった。工事の派手な騒音だけがこの建物の追悼歌となっていた。
 翌日再び現場を訪ねてみると既に更地になっていて、「売地」の大きな看板だけがまるで墓標のようにぽつんと立っていた。
 「荒涼」というよりもこの現実はあまりに「獰猛」であった。
 僕は激しい怒りを覚えた。けれども、といって何か行動を起こす勇気はなかった。
 だが、ミシガン州フリントでゼネラルモータース(GM)が日立や東芝以上の規模で工場閉鎖と人員解雇を強行した時、この地で生まれ育ったマイケル・ムーアは敢然とその「凶暴」な現実に立ち向かっていった。
 空前の儲けを上げているのに関わらず、さらなる利益のために工場をメキシコに移そうと、GM会長ロジャー・スミスは考えたのである。
 マックス・ウェーバーは「営利の最も自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀でない」。と既に100年前に述べていた。[1]「ロジャー・スミス」は、今も昔もいる「ありふれた光景」に過ぎなかったのだ。
 したがって地震や台風のように、リストラを「天災」として受け止める人々も多くいる中でしかしムーアだけは、はっきり「ノー」と首を横に振る。これは「人災だ!!」と。
 その戦い方は余りにシンプルである。
「ロジャーに会わせろ!話をさせろ!!」
 この一心でムーアは彼を付け狙い、追い回し、食い下がる。だが、なかなかどうにも接近できない。その間にも、失業者の溢れたフリントでは次々と家賃滞納で人々が街を追い出され、犯罪は激増し、故郷は荒廃の一途を辿って行った。
 「本当にこんなやり方に意味があるのか?」、だから観ている者はそう考えざるを得ない。また、ムーアのスタイルである、この「直撃インタビュー・アポなし訪問」という手法は彼に向けられる批判や疑問の中で最も大きなものの一つに他ならない。
 例えば『華氏911』においても、上院議員たちに「あなたの息子もイラクに派兵してみないか?」と迫る場面は賛否両論だった。
 それでもなぜ、ムーアは愚直なまでにこのスタイルを変えないのだろうか。
 それは、彼の心に溢れているナイーブなまでの「人間性」への信頼のためではないか。
 「最大の悪人、社会の諸法の最も無情な侵犯者であっても、全くそれをもたないことはない」。[2]と、ロジャーを生んだ自由主義経済の理論的基礎を築いた人物でさえ述べている。
「それ」とは、人間が持つ「哀れみ」や「同情」という感情を指す。
 ムーアは、このように強く信じているのだと思う。著書の中でもこう書いている。
 「上院議員、下院議員、その他の代議士は電話、手紙、電報などに極めて敏感だ。毎日、彼らは有権者からたくさんのメッセージを受け取る。週に数分を割いて、あなたの考えを知らしめよう。人々の抗議の声によって、ブッシュの計画を止められるかもしれない。
中略、俺たちはあまりにも、無駄な泣き言を言いすぎる。同じ言うなら、もっと有意義に泣き言を言おうじゃないか。」[3]
だからムーアはいつの時でも、何が何でも当事者に直接会って問い質そうとするのだ。
彼の行動とは、つまりは「民主主義の原点」以外のなにものでもない。
したがって彼に向けられる数多くの反感や顰蹙(ひんしゅく)は、「話せばわかるなんて嘘!」[4]という、言論による政治活動へのシニカルな態度と実は全く同根である。
「仕事で疲れているから難しい問題は考えたくない」、「この席はそんな話をする場でない」、「政治的に偏っているものは良くない」、「何をしても変わらない」などと言い訳だけは雄弁に語りながら、雄弁に語る言葉を持たないリーダーたちを、我々は何ら熟慮もないままに喝采した。そして、政治や雇用や福祉の問題について真剣に考えることを放棄した。
英語が話せないブッシュと日本語が話せないコイズミに、多くの者が「YES」と叫んだ。
同時に、彼らリーダーを「言葉」によって論理的に糾弾する人々を、そのリーダーと重なるような、修辞が欠けた単語の羅列で激しく攻撃した。
「権力は腐敗する、弱さもまた腐敗する。権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる」。と、かつてエリック・ホッファーは喝破した。[5]
「批判する者だけを批判する」、「強者を非難する弱者のみを非難する」という大衆はまさに、「腐った弱者」に他ならない。彼らはナチズムの前にもいて今もこれからも存在する。
だからこそ、逆説的に、ムーアの作品は二つの意味で見事なまでに「成功」している。
彼はまず、「作品の内容」自身において、経営者や権力者の不正や欺瞞を暴き出す。
それだけでなく、その作品を、観ることもせずに嫌悪するという選択肢を同時に与えることで、そんな態度を取る貴方こそ戦わない「腐った弱者」だ、と白日の下にさらけ出す。
観られること・観られないこと、いずれにしろ成功し、マイケル・ムーアは二度笑う。
そして、こうして彼の作品が我々に向けて放つ本当の「政治的」メッセージとは、「反権力」を超えた、「話せば伝わる」という「他者の心の可塑性」への固い信頼であり、その可塑性に働きかけるものは決して「暴力」ではなく、「言葉」なのだという強い信念である。
今、日本でも米でも大企業は黒字を更新し続け、一方賃金は減り貧困が加速している。だから、彼が握るマイクは、経営者や権力者の方でなく実は我々の前にこそ、突きつけられているのだ。「マイケル・ムーアです、○○さん、貴方はいつまでこの狂った現実に黙っているのですか?」と。その問いかけに、はっきりとした言葉で応え、実際に何か行動を起こすまで彼は、僕や貴方を四六時中執拗なまでに追い回し、付け狙い、食い下がる。了 

[1] ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波文庫
[2] アダム・スミス『道徳感情論』岩波文庫
[3] マイケル・ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』柏書房
[4]養老孟司『バカの壁』新潮新書参照
[5] エリック・ホッファー『魂の錬金術』作品社