2007年12月31日月曜日

クラウゼヴィッツの暗号文(広瀬隆著 新潮社1984)90点


 平和と平和の間に「戦争」があるのでなく、戦争と戦争の間に束の間の「休戦としての平和」がある、という方が本当なのではないか。本書を読むと、このように思えて仕方なかった。
 周知の通り、有史以来人間は互いの殺戮を繰り返してきた。それは21世紀に突入した現在でさえ変わっていない。それどころか、ますます殺し合いの手段と方法は冷酷なものとなりつつある。無差別の自爆テロ、市民を巻き添えにするクラスター爆弾、放射能をばら撒く劣化ウラン弾、数々の細菌兵器etc…例を挙げればきりがない。 
 だが、だからといって「戦争は人間の、治らない悲しい性だ」等としたり顔で語る者には自分は常に激しい憤りを覚える。これほど無責任なエクスキューズはないだろう。
 自分は小さな頃、「戦場に行って戦う相手は見ず知らずの外国人たち」だと知って「なんで直接なんの恨みもない人を殺さなくちゃならないの?そんなことできるわけないよ」と素朴な疑問を大人に尋ねたことがある。それに対して「それが戦争なんだよ」という答えにならない答えばかりを聞かされてきた。
 そもそも「戦争は人間の本能である」というテーゼ自体単なる迷信でしかないのだ。
 1986年、ユネスコは「暴力についてのセビリア声明」という後に有名となった、とある声明を発表した。その内容は「人類にとって戦争は生物学的必然性のあるものではなく、1つの社会的発明に過ぎない。したがって平和は可能なのである」と明言する。[1]これは、本書の中で紹介されたクラウゼヴィッツの「戦争は政治の継続である、他の手段をもってする政治の継続以外のなにものでもない」という言葉ともほぼ重なる。しかし、彼という人物は決して平和を愛していたわけではないことも著者は記す。
 本書によればトルストイは彼を尊敬するどころか「勝利のためには民衆の流血など惜しまないただの鬼畜」と見ていたという。軍人からすれば彼はまさに最大の教師に違いないのだがしかし、文民にとっては彼は無慈悲で冷徹な「戦争職人」でしかないのであろう。
「流血をいとう者は、これをいとわない者によって必ず征服される。戦争は厳しいものであり、博愛主義のごとき婦女子の情が介入する余地などない」
 『戦争論』において彼はこのように断言する。(本書302頁)
 それゆえ、常に“敵”を作り出し、残虐な戦いを繰り広げずにはいられない人々を著者は「クラウゼヴィッツ人」と呼び、我々でなく彼らこそが本当は戦争を引き起こすのだとする。この分析は証左にいとまがないだろう。古今東西、国内で民衆の不満が高まると必ず権力者達は外国をスケープゴートにして攻撃し、求心力の維持を図ってきた。あるいは「自衛の戦い」と称しては利権のための「侵略」戦争を繰り返してきた。歴史上ほぼ全ての戦いはこれらの理由から生じている。それは本書からもよく理解できることだ。 
したがって、人間そのものは「戦争」など好まないのである。戦争をせずにはいられないのは、流血をためらわない「クラウゼヴィッツ人」だけなのだ。だから、我々に「宿命的な悲しき性」があるとすればそれは「戦争をする」ことではなく、「彼らにぬけぬけと権力を与えてしまう」無知と蒙昧に他ならない。だがしかしその愚かさは理性による学習によって、必ずや克服できるはずだ。クラウゼヴィッツを反面教師とすることによって。了
[1] デービッド アダムズ『暴力についてのセビリア声明』平和文化社1996参照

2007年12月30日日曜日

不平等社会日本(佐藤俊樹著 中公新書2000)

  昨今「中流崩壊」が頻繁に語られているのは自分も知っていた。それに関する文献も読んだし、教育テレビで放送している東大教授・苅谷剛彦氏の 『学歴社会という神話』[1]も観た。氏は「所得格差が子供の学習意欲と重なっている」と指摘する。「有名大学への入学者の多くが私立進学校・年収1千万円家庭の出身者である」という話をそこから自分は思い出した。これはすなわち本書の言う「知識エリートの再生産、機会不平等化」ということだろう。
 このテーマについて語るとき、必ず避けられないのは「そういうあなたの家庭はどうなの?」ということである。自分のプライバシーを開示せざるを得ない。
 自分が入学した早稲田大学政経学部では、本書の分析通り、やはり中高一貫の私学出身で裕福な家庭の学生が非常に多かった。しかし、自分の場合正反対で、小中高と全て地元の公立学校に通い、家庭の年収も1千万など遠く及ばないものである。したがって、「自分は完全な叩き上げだ」という強い自負心を抱いている。
 だが、現実では本書も指摘するように社会を動かす政治・経済エリートたちは大半が「世襲化」しており、「叩き上げ」の者は減少している。しかし、「ノブリスオブリージュ=高貴な責務」意識の薄弱な二世、三世たちがエリートの地位を親から譲り受けることは害が多い。
 ここで問題となるのは「世襲」批判の中身である。単に「二世」というだけで批判されるのは理不尽だろう。本来は「高貴な責務意識」の欠如こそ指摘すべきだ。しかしこれを誰も言わないのは「総中流信仰、反エリート層意識」が人々にまだ根強いためではないか。
 単なる「二世批判」は「エリート層」そのものの否定の願望である。が現実には今や歴然と「エリート階級」は出現しつつある。それを認め、批判の内容を現実を踏まえた「二世三世の人にはしっかりと高貴な責務感をもってほしい」というものに代える勇気を持つことこそが日本の現在の閉塞状況打破のためには必要なのではないかと思う。それは著者が処方箋の一つに掲げる「西欧型階級社会への意識的な志向」に結びつく。だが、著者はすぐにこの案を「能がない」と一蹴するが自分は他の処方箋より余程現実的で有効なものに感じたのだった。
 確かに「おごり高ぶったエリート意識」など誰も求めていないが、「真っ当な責任感・自負」というものはエリートには不可欠だろう。「親から地位を継いだ者は継いだ者なりに、叩き上げで実績を作った者は作った者なりに」矜持を持つべきである。現在は本人の得た「地位・実績」が「世襲」によるものか「実力」によるものかが混同されて分かりづらいため、その矜持が生じにくいのではないか。
 また、「叩き上げ」エリートが出現するためには「機会の平等」が欠かせない条件である。しかし著者は、「機会の平等」が存在しているか否かは「特定の不平等要因が働いていたかどうかという形で後からしか知りえない」と語る。
 著者は他の論文の中でもこの問題について説明している。
 「ノーベル経済学者のセン教授の不平等論は機会を直接測定しようとするもので、それには『その人が本来なら何ができたか』を把握する必要がありそれは個人の生への全面的干渉になるのでハイエクは機会平等の全面的展開に反対したのだろう。このセン―ハイエク問題は階層論研究においても重要である。」[2]
 だが自分はこの意見に反発を覚える。この考えは「公教育での各人への均等な機会提供・能力開発」への感情的批判(子供への過干渉・税金の無駄使いだ、といった)に短絡してしまう恐れはないか。不本意にも「小さな政府主義者」に悪用されるのではないか。それを自分は強く危惧するのだ。
 苅谷剛彦・東大教授は前述した『学歴社会という神話』の中で、「所得格差による学習意欲格差」という不公平を是正するためには公立学校での少人数制、習熟度別授業等のきめ細かい教育が「階層に関わらず各生徒の学習意欲を公正に育て能力を開発してあげる点」で今こそ必要だと言っていた。同時に公・私立校共通の「最低限全員が学習しなければならない学習内容=ミニマム・スタンダード」を確定すべきだとした。これこそ「機会平等」の理念であり、自分は大いに共感する。
 自分も「所属階級・出身のせいで本来持っている素晴らしき資質が未開のままに放置されてしまう」という事態は社会の進歩にとって大きな損害だと考える。
 著者も刈谷氏も共に日本の不平等化拡大を阻止したいと考えていて、重なる点が多いがこの「機会平等」に関しては対立があるように思える。本書への自分の最大の批判はこの部分である。
 ゆえに是非ともこの二人に対談して「教育における機会平等」というテーマで具体的な論争を行ってほしいと思う。
 著者は「機会の不平等は後からしか分からないので、不平等が将来見つかったらそのとき、すなわち後から補償すれば良い」とするが教育における不平等は本当に「後から」十分に補償できるのだろうか。初等教育での不公平は何年も経ってからでは取り返しがつかないだろう。だからこそ幼少期の「英才教育」に血まなこになる親が大勢いるのだ。この点について著者の見解を知りたいと強く感じた。
 また、「個人の能力・可能性を丁寧に探す公教育」というのは「個人への全面的干渉」に当たるのだろうか。「セン―ハイエク問題」において著者はハイエクのこの「全面的干渉になる」という考え方を支持するようだが、その考えをそのまま教育政策にもあてはめてよいのだろうか。
 本書は非常に高い論理的説得力を持つが、以上の点に自分は大きな疑問を感じた。了
[1] 刈谷剛彦『学歴社会という神話』日本放送出版協会2001参照
[2]『 中央公論』2000年11月号 中央公論新社参照

2007年12月29日土曜日

経済対立は誰が起こすのか(野口旭著 ちくま新書1998)

 「国際競争力」、「日米経済摩擦」、「貿易黒字激減の危機」、「産業政策」等、マスメディアの経済欄で当然のように使われている言葉、語られている内容が実際は正確な定義も、まともな事実認識も出来ていないずさん極まるものである、という事実を本書から知り、自分は瞠目した。
 本書を徹頭徹尾貫くのは「自由貿易の発展こそ全体の利益となる」という見解だ。というより、これは「思想」でなくれっきとした「事実」であると、著者は強い論理的説得力をもって説明する。安い輸入品による国内産業の衰退・失業増に対しては「管理貿易策」よりマクロ経済政策の方がずっと有効である、ということに目からウロコが落ちた。自分も常々たいていの人と同様、マスコミの影響などで「セーフガード」を強く支持し、「にわか経済ナショナリスト」となっていた。だが少し冷静になって考えれば大半の国民はその衰退産業の当事者ではないわけで輸入により、不利益よりも利益の方を享受するのだから輸入阻止を求めねばならない理由はどこにも存在しないのである。別に無理してまで高価な国産品を買う義理は現代の自由主義経済の中では持たない。
 とはいえ、農業に関して、自分は著者と違い市場経済に完全に含めて考えるのではなく「食糧安全保障」の立場から特別な産業として政府が保護すべきだと考える。しかし、大半の産業分野においては常に人々の「最大多数の最大幸福」を実現するためには政治権力の介入は極力防ぎ自由競争に任せるのがよいだろう。その延長に自由貿易の推奨がある。
 だが自由貿易の拡大は大きな苦痛を伴う。必ず比較優位産業・劣位産業を顕在化させ、後者から前者への労働力等生産資源を移転させるという「構造調整問題」を発生させる。
この「摩擦的失業」の発生は不可欠だ。その混乱が甚大な時はセーフガードも仕方ないが貿易利益を得るためにはあくまで臨時的措置にとどめるべきだ、と著者は述べる。ただし経済学者は自由貿易を「利益がある」から勧めるのであってあまりに摩擦的失業がひどいならケインズのような保護主義者にもなりうる、とも言う。
 今の日本経済はまさにそのボーダーラインと思う。「第二次産業空洞化」といえる激烈な状況で「メイドインチャイナ」の製品ばかりが巷に溢れ返っている。先日中国産のネギ・シイタケにセーフガードが行われたがそれ以上に工業製品にこそ必要に感じる。この現状をどう判断すべきなのか。経済の専門家の間でも意見が分かれているようだ。不良債権問題でもそうだが経済専門家においても真っ向から意見が分かれている場合、政策担当者は一体、どのようにどんな人物を選びアドバイスをもらえばよいのだろうか。そう、ここにこそ「政策プロモーター」という怪しげな、そしてトンデモな人物が政治に介入し実権を握ってしまう余地があるに違いない。
 それは日本政府が良い例だ。竹中平蔵大臣は一般受けは良いが経済学者の世界では全く評価されていないし、あまりにコロコロ意見が変わることから「らっきょう」とさえ呼ばれている。まさに典型的な政策プロモーターだ。大臣になったためますます著書は売れ、メディアへの露出が増えた。本人はさぞ幸せなことだろう。だが我々国民からすれば、デタラメ・トンデモ経済政策を政府に吹き込んで実行されたらたまったものではない。そういえば彼は、本書で「トンデモもの」として喝破されている「サプライサイド経済学」の強い信奉者でもあると聞いたことがある。知れば知るほどいい加減な人物に思える。
 なぜ政治家はこんなトンデモ・エコノミストにやすやすと騙されてしまうのか。それについてのもっと深く突っ込んだ分析が欲しかった。自分としては彼らプロモーターは政治家・一般人に対し非常に分かりやすく経済問題を説明し、同時に自信を持ってその処方箋・特効薬を示すという点に特徴があるのだと思う。もちろんそれは「ブードゥ・エコノミクス」に基づくものであるのだが。それでも、とにかく選挙に勝ちたい、すぐに実績を上げたい気持ちで一杯の政治家には「天使の声」に聞こえるのだろう。
 一般の人々も、複雑な事象を簡潔に説明する言葉に魅力を覚えてしまう性癖をもつ。この、政治家・一般大衆の性質を巧みに利用して己の地位・名誉を求めようとするのが彼ら政策プロモーターに他ならず、まるで古代や中世に権力者に取り入った呪術師、占い師とその姿が重なって見える。竹中平蔵は現代のラスプーチンだといえよう。
 ではこうしたトンデモ・エコノミストに政治家が騙されないためには何が必要なのか。本書ではそれについての言及がないことが悔やまれる。自分としてはまず第一に「経済オンチ」を政治家に許さないことだと考える。だが小泉・阿倍首相も共に経済には疎いことで有名であった。
 為政者がトンデモ経済学に騙されないためには、自分は新古典派・近代経済学派、マルクス経済学派といった各種の経済学派が「経済における地動説」に当たる公理を「経済学辞典」として編纂することを提唱したい。政治家はその書を政策判断の基準にすればよいだろう。
 最後に本書に対する自分の最大の疑問を述べたい。
 著者は「産業政策」というものを害でしかないと切り捨てているがかつて明治政府が行った殖産興業政策は日本の工業生産を急増させることに成功したという事実についてはどう考えているのだろうか。
 また、戦後の高度経済成長をもたらした要因の一つである個人貯蓄率の高さについて所得税制での高額所得者に対する軽減措置など政府・日銀が財政・金融面でそれを促進する成長政策を実施していたという点に関しても著者は「害」であった、とするのだろうか。
 経済は「閉ざされた体系」であるので一方の産業の成長は他方の衰退による、と語るが社会全体のさらなる成長すなわちGNP上昇はどう捉えているのか。
 戦前の工業化、戦後の高度成長という社会全体の経済成長とそれに関与した政策に対する著者の見解に自分は納得できなかった。了

2007年12月28日金曜日

自由主義の再検討(藤原保信著 岩波新書1999)

 「もし連合した協同組合組織諸団体が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府と周期的変動とを終えさせるとすれば、諸君、それはコミュニズム、“可能なる”コミュニズム以外の何であろう。」[1]
 ここでマルクスがいうコミュニズムとは、生産者―消費者協同組合のグローバルなアソシエーションによって資本と国家を揚棄するアソシエーショニズムのことである。これはコミュニズムを国家的統制経済だと見なす通念とは全く無縁である。自分はここに「マルクスの可能性の中心」[2]を見る。本書の内容には強い説得力と共感を感じたのだが、数少ない疑義を覚えた点の一つに著者が「社会主義経済は計画経済であり、実現不可能だった」と社会主義経済システムへの深い考慮をせず、一蹴してしまったことがある。徳の富への、政治・道徳の経済への従属という近代自由主義社会での「価値のヒエラルヒーの転倒」を強く批判しているのだから、この社会への具体的な対案として「資本主義経済」への現実的アンチテーゼを示すべきだったと感じる。
 「経済至上主義」を是正するには別の経済システムを表すのが最も有効である。コミュニタリアニズムが理想とする経済システムとは具体的にどのようなものなのか、それこそを何よりも知りたいと本書から思った。
「最初から人は言語共同体のうちに存在していて、この中での他者との関係から己のアイデンティティを得て、また、ここから善悪の観念を獲得していく。これは共通善である。」というコミュニタリアニズムの考えはマルクスの「人間は類的存在である」という考えと大きく重なると言えよう。そして両者は共に「人が人を手段として扱うこと=他者の手段化」を危惧する。すなわち、コミュニタリアニズムもマルクスもその思想の中心にあるのは、カントの命題である「他者を己のための手段としてのみならず同時に目的として扱え」という倫理的態度であろう。それは現代資本主義システムとは完全に相反することは誰もが分かる。
 著者は人間の営為を可能な限り自然の相互依存と共生の体系と調和しうるよう転換を求めているがこれも「自然の目的化」に近い。この「他者と自然の目的化」の実現のためにはどうしても新しい経済システムが不可欠だ。それを「社会民主主義」である、と考える人がいるが自分は同意しない。実際には社民主義の国においても自然は壊され他者は手段化されている。自分はしたがって社民主義を「省エネ商品」や「ハイブリッド車」と同じだと指摘する。たとえ少なかろうともやはりCO2を排出していることには変わりがなくいずれにしろ温暖化は進むのと同様、社民主義も結局、資本主義の一形態に過ぎず害を生んでいることに変わりはないからだ。
 とはいえ、「統制経済」の不合理性・不可能性もまた明らかかもしれない。だが、「生産手段を公有化し経済そのものを人々の意識的コントロール下におく」というマルクスの考えはいまだに色あせていない。
 したがって、その実現に向けた具体的な方法が極めて重要な課題となってくる。これについて柄谷の『可能なるコミュニズム』[3]においては地域通貨LETSと生産協同組合を用いることを提唱している。それは非常に高い現実性を持っているように感じる。
 コミュニタリアニズムは「コミュニズム」とは違うとしても「アソシエーショニズム」に近いのではないか。マッキンタイヤーのいう「実践」の場=関係の網の目を可能な限り究極的に全地球規模に拡大し、そこでの共通善に貢献するか否かにより内的善と徳を定義することが必要だ、と著者は終章で述べているが経済におけるその「関係の拡大」こそ「グローバルなアソシエーション」に他ならないと自分は思う。
 消費生産共同組合とLETSのグローバル化の中で人々は徳を得て内的善を実現していくことが出来るのであろう。そして自然も内的善の概念の対象とされるようになるはずだ。
 コミュニタリアニズムについて本書ではあまり詳しく述べられていないが自分の現在の見解は以上のようなものである。この思想は自由主義自体を否定するものではないとされるが、自分個人としては「この思想をラディカルに実践しようとしたならば、現代資本主義経済の枠を“突き破らざるを得ない”のでないか」と強く感じる。自由主義の片翼をもぐのかもしれない。だから、「新しい翼」も同時に準備していなければならないだろう。私たちが今よりもっと良い世界へと飛んでいくための翼を―了
[1] カール・マルクス『マルクス・コレクション VI フランスの内乱・ゴータ網領批判・時局論 (上)』筑摩書房2005参照
[2] 柄谷行人『マルクスその可能性の中心』講談社1990参照
[3] 柄谷行人『可能なるコミュニズム』大田出版1999参照

2007年12月27日木曜日

ニーズ・オブ・ストレンジャーズ(マイケル イグナティエフ著 風行社1999)

 「愛のニーズは満たされない」
 著者が『リア王』を引用するなどして主張したこのテーゼこそが本書の核心である。
 福祉国家においてさえ、生活保護を受ける人、介護サービスをされる老人は「尊厳」のニーズが常に満たされていないという事実を著者は暴露する。「冷めたリベラリスト」というスタンスから「財を完全に分配しても満たしえないものがある」という政治の限界、リベラリズムの臨界について考察を進めていく。その筆致は含蓄に富み説得力を持つがしかし、自分はさらに「市場経済の過酷さ」という観点から独自に思索を試みたい。
 公共政策論においては「市場の失敗」ということを取り上げる。そして市場メカニズムに任せては分配不可能な財が存在するという事実から、政府の機能に注目していく。サミュエルソンの公共財概念では私財とは分配不可能なものであり、公共財とは全員享受可能で非競合性と非排除性という大きな特質をもつとされている。[1]
 では本書がテーマとする「愛」や「尊厳」というものはこの両者のどちらに属するのだろうか。どちらでもないならば、分配の主体はどこにもないのだろうか。
 仮に存在するとすればそれは、公共政策論において「第三の道」と呼ばれる、市場・
政府ではなく、NGO・NPOによるヒト・モノの分配が該当するかもしれない。
 各種ボランティア団体は食料や生活物資の支援、あるいは子どもや老人への人的アービスなど様々な活動を実施しているが、なかでも自分が注目するのは「地域通貨」の取り組みである。この発明は慈善事業においてエポックメイキングなことだったと感じられる。  なぜならば従来ボランティアをしてもらう側は常に「受け身」でありもっぱら「施される」立場であったのに対し、被奉仕者が地域通貨を「謝礼」として奉仕者に渡すことにより、両者の立場は「対等」で、「互酬的」なものへと変わることが可能になったからである。この時双方をつなげる感情は「憐憫」、「同情」から「共感」、「連帯」へと移るだろう。
 したがって、この通貨は「奉仕される側」が求める「尊厳」や「自尊心」といった心のニーズを満たしうるのかもしれない。
 円やドルといった支配的な通貨が築くネットワークがマックス・ウェバーの言うところの「ゲゼルシャフト」であるなら、地域通貨が紡ぎ完成を目指すのは「ゲマインシャフト」だと言えるはずだ。
 だがユートピアはまた、ディストピアでもある。ボランティアに潜む「危うさ」も見失ってはならないだろう。
 先日、阪神地震での救援活動熱の高まりに対して「動員されたボランティア論」が指摘されたり、政府によって「中学生の奉仕活動義務化案」が提唱されたことは周知の事実である。だが、「強いられた善意」とは語義矛盾でしかない。また、社会や共同体からの有形無形の圧力により促される「自発性」は虚構に他ならない。
地域通貨はそれを助長する手段に利用される恐れがあるのだ。多くこれを保持する人ほど地域や学校、職場でプライオリティを与えられるようになったら、ボランティアは事実上「義務」となってしまう。しかし、それは未来のことではなく、「使役としての優しさ」という問題は既に市場経済の中では顕著になってきているのである。
 それはすなわち、「感情労働」という新しい労働形態の発生だ。たとえばマクドナルドの「スマイル0円」やビッグカメラの「笑顔一番接客」のように、過当競争化した現代のマーケットでは商品そのものでなく、付随するサービスによって差別化を図る流れが加速している。しかしそれは、現場の労働者へさらなる「自己疎外」を強いることになる。時給800円足らずで常に「へりくだった態度」と「愛想笑い」を求められるのだ。
 とりわけ深刻なのは介護や看護といった、「他者の体に触れる労働」の現場である。赤の他人である老人や患者を裸にして入浴させる、体を拭く、オムツを替える等の作業は望まずして擬似的親密さを呈し、利用者の性の問題にまで労働者は直面してしまう。こうした性質の労働をある学者は「魂の労働」と呼ぶ。[2]
 「感情労働」、「魂の労働」はポスト工業化の時代に生まれた「新たなサービス業」であろう。成熟した経済の中で売る商品に困った企業は「感情」までをも市場に供給し始めたのである。
 前述したように、著者イグナティエフは「愛のニーズ」の分配不可能性を本書で主張しているが、だが熾烈な競争と淘汰の止まない市場経済では遂に「優しさ」「愛」までもが売りに出されるに至った。無論、それは偽製のFriendlyであり、擬製のIntimacyに他ならなのだが。
とはいえ、たとえ嘘偽りで束の間のものであろうとも「愛のニーズ」は満たされないよりはわずかでも応答されることを、幸せに成りたい者なら誰もが望むのである。
その卑近な証左を挙げるとすれば、例えばキャバクラやホストクラブの活況だ。これらの店では毎晩のように金銭を代価として、うたかたの「愛のゲーム」が繰り広げられている。ホストやキャバクラ嬢は己の心を確信犯的に使役することによって高い報酬を得るのだ。この点が前述した介護士や看護師の「魂の労働」とは対照的である。つまり、彼らが行っているのは「逆手に取った感情労働」だと言えよう。
こうした労働が隆盛になったのは新自由主義の潮流が強まって以降だといわれる。イグナティエフと『魂の労働』を記した渋谷の両者が共に大きな関心を示すのも「ネオリベラリズム下の感情労働」であった。
したがって、本書を補助線として展開した自分の考察は、「リベラリズムと福祉国家が最後まで満たし得なかった『愛のニーズ』を、最も『愛』や『慈悲』を嫌悪するネオリベラリズムが『満たそう』としている極めてアイロニカルな現実が私たちの前に広がっている」という、あまりに暗い結論に至った。
この台頭は止まらないのかもしれない。なぜならば、偽ブランドやコピー食品への需要が恒常的に高いように、私たちは高嶺の花のRealityよりも手の届くFakeの方が大好きなのだから。たとえそれが「笑顔」や「愛」だろうと同じなのだ。了
[1] サミュエルソン『厚生および公共経済学』勁草書房1991参照
[2] 渋谷望『魂の労働』青土社2003参照

教育における「政治的中立」という病  

  「政治的に偏った映画は見たくないね」
 マイケル・ムーアの『華氏911』を見るかと記者団に聞かれた小泉総理(当時)はこう言い放った。恐らく現代の日本で最も「偏って」いるであろう人物のこの発言は昨今の世相を象徴的に表している。
 それは職場や学校を席巻する「政治的なもの」への強い忌避と拒絶の空気である。特に、社会に出る前段階の「学校」という空間での「無政治化」は若者の低投票率、アパシーの大きな要因となっていることは明白だろう。
 この問題に関して、久保友仁という青年が「高校生の政治活動に関する自由の保障を求める署名」を集めている。彼は以下のような実例を挙げる。
 「生徒会が核実験反対署名を呼びかけようとしたら『政治的な活動はよくない』として学校に許可されなかった」
 「生徒会新聞で有事法制や住基ネットについて取り上げようとしたら教師に『載せないでほしい』と言われた 」etc…
 「これでは皆、社会に関心をもって行動するのはいけないことと思ってしまう」と彼は語る。この強い圧力は、学生運動の高揚が高校にまで波及することを恐れた文部省が1969年に、高校生の政治活動を禁止する「69通達」を出したことに由来する。
だが、2004年国連子どもの権利委員会は、子どもの集会/結社の自由などを保障した子どもの権利条約に沿って、こうした政治活動への規制を見直すように日本政府に勧告した。しかし、文部省はいまだに35年前の立場を変えようとしていない。[1]
そして、こうして「無政治化」された小中高校で12年間を過ごした若者達はどうなっているのだろうか。
「早稲田に入ればきっと周りは皆社会的関心の高い熱い奴ばかりなんだろう」と入学前、自分は大きな期待をしていた。だが、ふたを開けてみれば以前と同様「普通」の人々がほとんどであった。真面目な文化系サークルよりも「スーフリ」に代表される軟派サークルの方が新入生の心を圧倒的につかんでいた。とはいえ中には活発な左右の「政治系」サークルもあるにはあった。けれども彼らに近づいて話してみると皆どこかのメディアや論客のカーボンコピーばかりに思えた。「自分自身の問題意識」というものを持っていない気がした。すなわち彼らは自分に言わせれば真の「政治的人間」ではなく、「信仰的人間」なのである。
あるいは、逆にあまりに「自分探し」にこだわりすぎて、カルト宗教に入ったりしてますます自分を見失ってしまう者も少なからず見受けられた。
そして大半の学生は入学時と変わらない「政治的無関心」のまま卒業の日を迎えるようだ。彼らに伺えるのは確信犯的あるいは無意識な「積極的政治的中立」という態度表明である。「私は無党派、偏っていない」と胸を張る。こうすれば異なる他者との摩擦を回避できると考えているのだろう。しかし、教室に置いてある反戦デモやNPOのビラには目もくれずに、つまらない講義のくだらないプリントには我先にと群がる光景は高校生と何ら変わらず、自分には見るに堪えなかった。
思うに「不偏不党」もまた「偏って」いる。今・ここの諸問題にブラインドとなり、価値判断を退けた無批判的現状追認に他ならないからである。だからこそ本来は「学問の自由」を保障され、学生に対して語りかける機会を与えられている教授陣こそが率先して啓発を試みるべきだと思う。しかし、政治学や経済学を論じる者でさえ大半は時事問題に触れないという惨状である。教育者の側もまた、「政治的中立という病」に深刻に蝕まれているらしい。
一般に人々が成長する過程である種の政治的価値観・態度を形成することを「政治的社会化」と呼ぶ。その形成期は15~24歳にあたるとされる。[2]この重要な時期に前述したような「無政治化」された教育現場で「信仰的」あるいは「中立的」、「自分探し的」姿勢で過ごす現状は民主主義社会の発展という観点からすれば極めて憂慮されることではないか。
そもそも中立的で偏らない教育など有り得ない。「不偏不党」は現状肯定の保守である。
「教育問題とはつまり政治問題である。現実の公教育は二面性を持っている。すなわち一方ではそれは支配階級による国民統制の機能を持ち他方で民衆の権利としての教育の要求を反映させてもいる。そしてその二つの面が拮抗しながら現実の公教育の性格を決めている」。ある専門家はこのように述べている。[3]
現状を見ると大学までもが過度に「無政治化」されているという前者の面の肥大化ばかりが著しい。それによって政治的社会化途上の若者はアパシーばかりを加速させていく。
しかし、丸山真男はこう語る。
「民主主義を担う市民の大部分は日常生活では政治以外の職業に従事しているわけです。とすれば民主主義はやや逆説的な表現になりますが非政治的市民の政治的関心によって、また『政界』以外の領域からの政治的発言と行動によって初めて支えられているといっても過言ではないのです」[4]
民主主義とはもっぱら政治家が政治を担うのではなく、1人1人の草の根によって政治を支える仕組みに他ならないのである。
では、諸外国はどうだろうか。例えばアメリカでは学校に政治への関心を育てる授業や課外活動が多数あり、生徒は政策を作り演説をし、選挙活動をする。模擬議会も何度も経験する。そこで親しくなった友人達が後に実際の政治活動の仲間となることもある。その差は我が国とは歴然だ。
最後に映画監督・伊丹万作が、なくなった1946年の4月に書いた一文を紹介したい。
「我々が今まで政治に何の興味も感じなかったのは政治自身が我々国民に何の興味も持っていなかったからである。」[5]
 消えた年金、薬害肝炎、ネットカフェ難民、貧困…現在の日本には政治が取り組むべき深刻な課題が山積している。だが、国会では、インド洋で自衛隊がアメリカ軍に無料で給油を続けられるようにすることが最重要テーマになっている。
残念ながら「国民に関心のない政治」はいまだに続いている。この惨状は民主主義の発展のみが打破できよう。それには教育現場の「脱無政治化」こそ不可欠なのだ。了
[1] 『週刊金曜日』2004/9/17付参照
[2] 久米郁男他『政治学』有斐閣2003 391頁
[3] 堀尾輝久『教育入門』岩波新書1989参照
[4] 丸山真男『日本の思想』岩波新書1961参照
[5] 伊丹万作『伊丹万作全集〈1〉』筑摩書房1982参照

2007年12月26日水曜日

セキュリティと寛容を巡って

 先日夜7時過ぎのことだ。自分が乗り換えのために千葉駅構内を歩いていたら、混雑する改札付近で警官が集まっているのを目撃した。気になって近づいてみると彼らに囲まれて中東系の外国人が職務質問を受けていた。彼は持っていた大きなバッグを開いて中身を一つずつ取り出し、必死で自分は不審者ではないと訴えているようだった。自分はこの光景に衝撃を受けた。これはまるでアメリカやイスラエルと全く同じだと感じた。そして不快感も覚えた。人通りの多い改札のそばで大勢の警官が1人の外国人を高圧的に取り調べるやり方は明らかに人権意識に欠け、本人に多大な苦痛を与えているはずだからだ。
 最近駅では「只今テロに備えて警察と協力し特別警戒態勢をとっております」というアナウンスを頻繁に聞くが、それは外国人をテロリスト扱いする態勢のようである。しかし、警察庁の統計によれば重要犯罪検挙人数のうち来日外国人の占める割合は全体の2.9%に過ぎないし検挙人数の4割は入管法関連の違反者である。外国人イコール潜在的犯罪者だとする石原慎太郎ら右派の政治家・メディアの表象は余りに一方的なものだろう。しかし、残念ながら彼らに賛同する国民は増えている。
 東浩紀は「セキュリティの強化を望むとき私たちが念頭に置くのは社会全体の利益や福祉ではなく自分あるいは家族、友人何人かの安楽な生活だ。それには異物は排除したほうがいい。」と言う。[1]「安全」を渇望する人々にとって外国人は危険な他者に過ぎないのだろう。これはイラク戦争を支持したアメリカ人を見ても理解できる。テロを恐れる彼らにとってイラク人は、空爆によって排除すべき異物に過ぎなかった。
 また、最近我が国の法務省はウェブサイトで不法滞在の外国人についての情報を一般市民から募り始めた。これに対してアムネスティが「人種差別撤廃条約に抵触する差別行為だ」と批判する声明を発表し、問題となっている。
 自分もこのサイトを見たのだが、誹謗中傷や偏見に満ちたネット上の掲示板と何ら変わらない印象を受けた。そして、社会全体が非寛容になってきている、排除の論理に支配されつつあるという強い危惧を抱いた。
 しかしそもそも、自由と民主主義を原理とする社会は「非寛容」(原理主義や民族主義)に対してさえ「寛容」で望まなくてはならないはずだ。「寛容」こそ、この社会を維持する根源的理念であろう。
 それに関してオウム真理教を扱ったドキュメント映画『A』では信者に対する警察と地域住民の圧倒的非寛容が克明に映されていて非常に興味深い。本作を見ると、オウム信者より、排除の論理にとり付かれた我々の社会の方が恐ろしく思えてくるのである。
今や排除の論理は膨張の一途を辿る。多少なりとも我々の安全を脅かす存在へそれは仮借なく速やかに行使される。たとえばビルの回転ドア、公園の回転遊具は子どもの事故を受けて、全国で使用が禁止され、点検作業が行われたことは記憶に新しい。
 しかし、重要なことは「事故は以前から起きていた」ということだ。それが今になってセンセーショナルなトピックに浮上してきたのである。「事故の事件化」といえる。このまま、子どもの危険をどこまでも回避したいという要求がエスカレートすれば、学校からは柔道やマラソン、水泳などわずかでも事故の恐れのあるものは全て消滅するように思える。
 ここからうかがえるのは「生のリスクはゼロにできる」という強い思い込みである。『ボーリングフォーコロンバイン』の中でも、英国では殺人事件は減少しているにもかかわらず、殺人ニュースの時間が増え続け、人々は不安を高めているとリポートしていた。
 したがって「止まない不安」と「安全への固執」は先進国共通の病理であろう。これが社会を「非寛容」なものにしている。だが、多元性を一元性に、多様性を画一性へ強引に収斂させ、リスクファクターを排除しようとする戦略はさしたる効果がないといえる。
 歴史を振り返れば分かるように、戦後ドイツがナチスを非合法化してもナチズムは無くなっておらず、江戸幕府がキリシタンを弾圧しても、信仰は抑えられなかった。
 また、ブッシュが「テロとの戦い」を開始して以来、スペインやイギリスで爆弾テロが起きたように世界は現在、逆にますます危険になった。
 したがって、「非寛容は必ずしも我々の安全を保障し得ない」と、はっきりと断言できるのである。了
[1] 東浩紀「情報自由論」第4回 『中央公論』2002年10月号 中央公論新社参照

草の乱(神山征二郎監督)

 「圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ!!」
 1884年、埼玉県は秩父の山間に雄叫びが轟いた。生糸の暴落と増税、高利貸しによる土地の取り上げに苦しむ民衆が、明治政府に正面から立ち向かった。後世の歴史に名を刻むことになった、秩父困民党の蜂起である。
 本作が導入部で描くのは現代からは想像もつかないような圧倒的貧困と不正義の跋扈だ。その日の食事にも事欠き、しかも裁判所や警察、役所もことごとく資本家の味方に回り、もはや困窮する彼らが頼れるものは無きに等しかった。ここからは「国家」というものが「暴力を通じて富を得る運動」である、という実体がうかがえる。国家は巨大な暴力を背景に自らの暴力だけを正当として税を徴収し、富を蓄積するのである。[1]
 それでは、本作の貧民たちのように合法的な意見表明と問題解決のための政治的チャンネルを完全に絶たれた者が、対峙する「国家」へ向けて取り得る最後の手段は何であろうか。
 それは、ガンジーが行った英製品ボイコット運動や塩の行進、あるいはキング牧師らが指導した公民権運動に代表されるような「直接行動」に他ならない。あまり知られていないが、この伝統は我が国にも存在する。
 江戸時代、慶長から維新期までの約280年間における百姓一揆の発生件数は、打ち壊し、強訴、逃散、不穏など様々な形態のものを総計すると3000件を超えるといわれる。[2]
 したがって、巷間に流布される「日本人は羊のようにおとなしい」という俗説は、全くの虚偽である。
 そして、さらに注目すべきは民衆の側が時には暴力の行使さえためらわなかった、という事実だ。この映画においても、民衆救済のために困民党を結成した農民達は、怒りに燃え上がってついに高利貸しの家を焼き討ちし、役場に乱入し、警察署まで襲撃する。
 この迫真の場面は、「暴力=悪」とし、「国家の暴力のみが合法」とする、我々がメディアと教育によって植え付けられた単純な認識を根底から揺るがした。
国家の名の下、警官は蜂起した民衆を射殺しても罪に問われないにもかかわらず、地主と結託して彼らを飢え死に寸前まで苦しめた警官たちを斬り殺した者は死罪に処されてしまう。
 したがって本作は、国家の暴力が正当性を持たず、正義にも拠っていないこともありうる、という極めて重大な真実を暴露している。
 この問題について、ある思想家はこのように述べる。
 「たぶん暴力/非暴力というカテゴリーは、このあまりに多様な力に満ちた溢れた世界を腑分けするには余りに貧しい言葉なのではないか。略、先ほどあげた、暴力とゲバルトという文節は、国家が自らの「不正な」物理力の行使を合法性や正当性というゲームのもとで隠蔽しているという認識から、むしろみずからに国家から向けられた暴力というカテゴリーを当の国家に向け返し、自らの対抗的な力の行使をゲバルトと呼びなおすことで、力をめぐる国家による「定義力の独占」に対抗し異なるゲームの場を開こうとの試みだと考えることができる。」[3]
 秩父事件は、まさに日本の近代史における国家と民衆の間に繰り広げられた「ゲバルトゲーム」の嚆矢に他ならなかったのだ。
 この戦いは、民衆の敗北に終わった。首謀者達は捕らえられ、処刑場に散っていった。だが、主人公であるリーダー・井上伝蔵は官憲から逃れて、北海道に潜伏することに成功した。そして、本作では、彼が晩年、死の床で子孫たちへ自身の正体と事件のことを語り出すシーンが描かれている。
 それまで、政府とメディアによって、「極悪非道の暴徒たち」が起こした騒ぎだと喧伝されていた事件の真相を初めて知った彼らの胸には、井上の魂がしっかりと受け継がれたように見える。
 19世紀仏の革命家ヴィウザックは「自由の木はただ暴君の血をそそがれる時にのみ生長する」と述べた。この言葉に対して強い拒否感を抱いたのなら、我々の「ゲーム」は敗北に終わるのである。了
[1] 萱野稔人『国家とは何か』以文社2005参照
[2] 青木繁「『佐倉義民伝』と上方歌舞伎」『しんぶん赤旗』2005/5/10付参照
[3] 酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社2004序文参照

2007年12月25日火曜日

回路(黒沢清監督)

 スクリーンの中では全てが黒になってゆく。白昼さえも夜になり、日なたさえもが日影に変わる。陽の光は枯れてゆく。それと同時に「生」の火も消えてゆく。そして誰もいなくなる。
この作品の核心は「黒」という色である。画面には常に影が落ち、時には完全に漆黒へと染まる。しかし、忘れてはならないのは、その「黒」は決して従来の意味での死や闇や消失といった「負」のイメージの表象とは全く異なっていることだ。
「インターネットを通じて現れてくる幽霊」がストーリーの鍵を握っているように、またコンピュータのプログラミングを研究する大学院生が「人は皆つながりたいの、でもつながれないのよ」と語るように、本作の主題は「つながり」であり、「黒」はその隠喩として描かれている。
哲学者ジンメルは「人間というのは結合をめざしながらも常に分割を行わざるをえず、分割せずに結合することもなしえない存在者である」と記す。[1]
私たちは、身体は皮膚によって隔てられているのに心は常に他の誰かとつながりたいと求め続けている。しかし、その渇望には絶対に超えられない壁がいつも立ちはだかる。それこそが「死」という存在なのだ。 
落命の際は誰しも一人きりである。だから、その孤独と寂しさに耐え切れない者も出てくるのかもしれない。特に、24時間365日、ネットやメールで誰かとの「つながり」を必死で保ち続けている私たち現代人にはそのような者が多いことだろう。
本作において、そうした人々が取った選択が「生前から死んでおく」という方法だ。ネットに接続されたパソコンの画面から現れる「死者」と、自分の死の前から「つながり」を持つことで、彼らは死後の孤独や寂しさを打ち消そうとする。
昨今社会問題になっている「ネット心中」が、「死に対峙する局面」を用いての「生きている他者」との擬似的親密圏を形成する行為であるならば、本作の登場人物たちの行動もそれを連想させる「極限的なつながり」の形を示唆している。
この時、本作において「黒」の持つ意味は、「絶望」から「希望」へと180度反転する。
私たちが生きるこの世界はあまりにカラフルなキャンパスだ。だから、彩りたちが一つになるのはとても困難である。だけども唯一「黒」だけはどんな色であろうと自身と同じ色へまとめることができる。さらには、この世界だけでなく、彼岸に広がる「あちらの世界」とも私たちをつなげてくれる。だから寂しさなんてどこからも消し去ってくれる。
実際に、「暗在系」という、目に見える世界以外のもう1つの世界が存在するという科学理論もある。ここではありとあらゆるものは「素粒子の霧」のような状態のエネルギーとなって、太陽も地球も月も渾然一体となって、区別はなくなっているという。そして、人は死後、この世界へ入っていくのだと言う意見も聞く。[2]
あらゆる孤独に耐え切れなくなったとき、私たちはもう「埋葬された皇帝よりも生きている乞食のほうがよい」[3]というほど、「生きる」ことへの執着を喪うのかもしれない。了
[1] ジンメル『橋と扉』白水社1998参照
[2] 玄侑宗久『死んだらどうなるの?』筑摩書房2005参照
[3] ラ・フォンテーヌ『ラ・フォンテーヌの寓話』沖積舎1996参照

ライフ・イズ・ビューティフル(ロベルト・ベニーニ監督)

 もう何度も見る、ナチスに指示されてユダヤ人たちが貨物列車に乗り込む光景、また再びの殺伐とした強制収容所の風景。けれども他の多くのホロコーストを扱った作品と、この映画では、放つ色彩が全く異なっている。
 今まで感じたこともないリズムと鼓動がこの作品から、僕の胸に聞こえてきた。
 語尾の上がる、独特な抑揚の「イタリア語」というラテンの言葉を止まらぬ速さでまくし立てる陽気な紳士が本作の主人公だ。
 したがって『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』とは異なり、この映画は全編伊語で進んでいく。「イタリア語」という言葉が用いられていること、これが本作のアルファでありオメガである。
 英語、ドイツ語、スペイン語、中国語。世界に数多ある言語はそれぞれに様々な語感を備える。そして、文法や話法など言葉それ自体とは別に、「語感」というものはとても大きな力を持っているのだ。ある研究者はこう述べている。
 「ことばには、意味とは別に描かれる潜在意識の印象があり、それは世界共通の印象なのである。」
「ことばを発する際に、口の中で起こる空気の流れ、舌の動きといった物理現象が、意味以上に意識の質に影響を与えている。」[1]
作中において、伊語はとても心地良くノリの良い響きを持っている。一方、それとは対照的にナチスが話すドイツ語は陰鬱で威圧的な印象である。
今や銀幕の世界は、他の分野と同様にハリウッド発の英語が支配的だ。つい自分は「悪化が良貨を駆逐する」という格言を思ってしまう。なぜならば、「普遍言語」で作られたものがすなわち、「超時代性」を獲得したものとはならないからである。
そうではなく、その地域で呼吸する言語によって歴史や風土を描いた作品こそ、深く人々の記憶に刻まれることであろう。つまり、逆説的だが「土着性こそ普遍性」なのである。無論、それは偏狭なナショナリズムではなく、「ふる里の訛り懐かし 停車場にそれを聞きに行く」[2]と歌った石川啄木の心境のごとく、ふと異郷で耳にしたならばまざまざと郷里の思い出がよみがえるような、母語に対して私たちが持つ深い愛着のことを示す。
小気味良い伊語をまくしたてていた陽気で、けれども教養も備わった高貴な精神の男が、家族も財産も何もかも「ユダヤ人である」という理由だけでナチスによって全て剥奪され、最後には自分の命までも奪われたことを、この映画を見た人は皆いつまでも忘れないだろう。そして、この作品を大切に胸の奥へとしまうであろう。
本作が成功したのは、今まで述べてきたように「イタリア語」という言葉を使っていることが第一の要因だと言える。また前半と後半を見事なコントラストで描き分けた演出も功を奏している。
ハッピーエンドで幕を閉じる、都会での楽しく心温まる恋のドラマから、強制収容所での主人公一家の悲惨で過酷な日々へとストーリーが変わることによって、見る者は極めて大きなショックと哀しみを覚えることになるのだ。
けれども、最期まで微笑みを絶やさなかった主人公の姿は私たちへこう伝えたかったのだと思う。
「人生は苦しんで生きる値打ちがある」[3]ものだと。了
[1] 黒川伊保子『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』新潮新書2004参照
[2] 石川啄木『新編 啄木歌集』岩波文庫1993
[3] 大島博光『アラゴン』新日本出版社1990 

グッバイ、レーニン!(ヴォルフガング・ベッカー監督)

 「信じること」は勇気が要る。かつてパスカルは「信仰に賭けてみても、何も失うものはない。だから信じてみればよい」と語った。[1]しかし、その対象が「神」ではなく「思想」だとしたなら、どうだろう。未来永劫不変の真理だと思っていても歴史はいつか必ずそれを覆してしまう。けれども信じたイデオロギーの死の後にも人は人生を歩み続けていかねばならない。本作の主人公の母は、そうした苦悩を背負った者の1人であった。
 東西冷戦の時代、西独へ夫に亡命されてしまった彼女は母国・東独と「再婚」した。もてる全ての情熱を理想の社会主義を実現する活動に注いでいった。そして、何度も党から表彰されて、その献身ぶりは日に日に加速した。
 けれども物語の主人公である息子は反政府デモに参加して、警察に捕らえられる。その場面を偶然目撃したショックによって彼女は意識不明に陥ってしまう。しかも、担ぎ込まれた病院のベッドで寝込んでいる間に愛し続けた祖国は崩壊してドイツは一つに統一された。したがって、彼女にとってこれらの出来事はフロイトの言葉を借りれば「世界没落体験」に他ならなかった。
 本作の見せ場は主人公が母のために、無くなった東独を「再建」しようと奮闘するプロットである。病院で眠る母のベッドの半径2メートルだけは時間が止まったまま、「祖国」が生き残っている。信じたイデオロギーも消えてはいない。彼女の知らぬところで息子が、旧東独のモノ・ヒト・情報を必死でかき集めていたからだ。けれども、いつまでも母を騙し続けることに周囲の人々は反対する。しかし彼は、「真実などない、解釈しかない」(ニーチェ)と考えていたのだろう、決してそれを止めることはなかった。
 やがて自分自身も「世界で一番小さな国」を作る作業に夢中になっていった。デモに参加するほど反発していた祖国であったが、東西統一後の混沌と新たな暮らしの中で、次第にかつての祖国を思う気持ちは変わっていた。
 芽生え始めたノスタルジアが原動力となって、「理想の東独」を彼は心に懸命に描き出した。しかし、それでもどうあがいても、大きな穴の空いたボートみたいに汲めども汲めども「現実」という冷たい水が次から次へと、母の病室と自身の胸に流れ込んでくる。だから遂に彼は、外に広がる統一されたドイツを母に受け入れさせる決断をする。
 この時、「統一」という言葉は重層的な意味を帯びる。一つは字義通りの東西ドイツの統一を指し、一つは引き裂かれた母の内面の「統一」を示す。
 母の精神に起きたことを喩えるならば、それは体内における物質の破壊と吸収の過程である「異化」と「同化」である。
 信じたものの瓦解による、一時の自我の「断裂」は、やがて「現実」の受容から「統合」へ、そして「恢復」へと向かっていく。信じたものとの共に自身もなくなることはできないのが人生なのである。
 だが、東独を愛した人間にとっては理想的な統一の光景がラストシーンには広がっていた。その「恢復」はあまりに優しいものだった。
 「1990年、資本主義体制の崩壊した西独を東独が吸収合併した」
 この「事実」は、最愛の母への息子からの最高で最後の贈り物となった。彼女は祖国を抱きしめたまま安らかに永遠の眠りに就くことができた。了
[1] パスカル『パンセ』中央公論新社2001

2007年12月23日日曜日

21グラム(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)

 「子どもは私の魂、体そのものだった。神はもう信じない。祈るものは何も残っていない。」
2003年末に起きた震災で子ども2人を亡くしたイラン・バムの女性の言葉である。彼女は敬虔なイスラム教徒であった。[1]
本作の主人公の一人・ジョーダンもまた、熱心なクリスチャンだった。だが、宝くじが当選したことで購入したトラックによって父子三人をひき殺してしまう。そして、この女性と同じように「もう神など信じない」と叫ぶ。
なぜ、熱心に祈りを捧げる者がかくも無情に神に裏切られてしまうのか―本作が投げ掛けるのはこの問いだ。
この難題への答えの1つに、旧約聖書の『ヨブ記』がある。信仰心の厚い義人のヨブが神によって次々と理不尽な不幸に遭わされる物語だ。この話が伝えようとするのは「善行には善果が、悪行には悪行がもたらされる」とする「応報主義」の限界と、人間を苦難に陥れて試す神の存在である。家畜も、家族も、家屋もありとあらゆる財産を全て奪われた果て、それでも信仰を捨てなかったヨブは善悪の彼岸に「神の現われ」を見る。
だが、ヨブと違って死亡事故を起こしたジョーダンは神を呪ってすぐに信心を放棄した。
しかし、皮肉にも神に「救われなかった」者が起こした事故で亡くなった者は、その後ドナーとなって臓器を提供して、心臓病で死の間際にいた「救われない」患者を「救った」のである。
けれどもそれと同時に、夫も子どもも失った犠牲者の妻は新たな「救われない」者となってしまう。
その後、彼女は夫の心臓を移植されたレシピエントを探し出す。二人はやがて愛し合うようになるが、いまだ彼女の心の傷は癒えず、「救われない」ままである。どんなに時が経とうとも彼女は決して家族を奪った犯人を赦すことが出来ず、遂に犯人の殺害を彼に依頼するのだった。しかし、その願いは叶わなかった。
だが、犯人であるジョーダン自身も後悔の念に耐え切れず、殺されることを望んでいた。
また、彼も移植された心臓が不適合だと判明して、再移植を迫られる。
そして彼のそばには、永遠に帰らない夫と子どもを待ち続ける哀れな女が立ちつくしている。
「赦し」もなく、「救い」もない光景がここにはある。ただ唯一あるのは、信じた神に裏切られた後にも、愛する家族を喪った後にも、新しい心臓に自分を拒まれた後にも淡々と流れていく時間だけだ。
「それでも人生は続く」
 物語の随所で、彼らの口から語られるこの言葉が、したがって本作の主題に違いないと自分は感じる。
無常に過ぎていく時の中を、たとえ希望を奪われようとも、歩みを止めずに進んでいくこと。その道のりの彼方に、彼らはきっとヨブのように「神の現われ」を見るのかもしれない。了
[1] 朝日新聞朝刊2004/12/26付

モーターサイクル・ダイアリーズ(ウォルター・サレス監督)

「社会とは解釈するために存在するのではない、変えるためにあるのだ」と喝破したのはマルクスである。
 この作品は、1人のノンポリ医学生が友人との南米縦断旅行を通じて、やがて「解釈」から「変革」の対象へと、世界に対する自身の態度を変えていく過程をドキュメンタリータッチで淡々と描いた映画だ。
主人公は社会の不正や悪を声高に糾弾することはない。道中で先住民や肉体労働者、ハンセン病の人々など社会の底辺に置かれて苦しむ人々に出会うが、彼の心境の変化は、言葉ではなく、表情や行動に映し出されている。
 彼は、生まれながらにどこまでも正直で温かい心を持っていた。そんな青年にとってこの旅行は、「革命」を志すのに十分過ぎるきっかけとなったのである。
 若き2人の男がバイクを駆って旅をする、というストーリーはアメリカンニューシネマの名作『イージーライダー』[1]を連想させる。しかし、こちらで描かれるのはニヒリズムである。主人公の事故死に終わるラストシーンがその象徴的だ。反対に本作は悲惨だけども悲観的ではないのだ。言うならば前者は「失望の中にある失望」を、後者は「絶望の中にある希望」を主題としている。貧困と不正に支配された南米という暗闇の大陸を疾走していく若き魂に、私たちは大きな希望を重ね合わす。
 かつて、「旅の方法」についてある作家が興味深いことを述べていた。「車と電車とヒッチハイクでは同じ道のりでも見える世界が全く異なる」というのだ。したがって、「移動手段が遅ければ遅いほど異郷の小さな事物まで気づき、発見できる」と説く。
 主人公と友人の場合、当初はバイクで、次はヒッチハイクで非常にゆっくりと旅を続けた。だから、街の片隅や山奥の小屋で暮らす人々と数多く触れ合うことが出来た。彼らは見えない運命の意志によって、いつの間にか自然と、歩むペースを「最も後ろにいる人間」へと合わせていたようだ。そうして、彼らの中で熱い何かが芽吹き始めた。
この長い旅は、「医学生エルネスト」を「革命家チェ・ゲエバラ」へと変えたのである。そして友人アルベルトもまた、遊び人の若者から人々のために尽くす立派な医師へと成長した。存命の彼は物語の終わりに登場する。年老いた現在でもゲバラの志を受け継いでキューバで医療活動を続けていることが紹介されていた。
だから自分も鑑賞後、「書を捨てて街へ出よう」[2]と思い立ち、本を閉じて窓の向こうの澄んだ大空を見上げた。了
[1] デニス・ホッパー監督『イージーライダー』1969年公開
[2] 寺山修二『書を捨てよ、町へ出よう』角川書店2004

2007年12月22日土曜日

免許がない(明石知幸監督)

 「ちゃんと前後確認しろよバカヤロー!!」
 教習生に平気で罵声を浴びせる傲慢な教習所の教官。スキーやダンスや水泳のインストラクターがこんな暴言を吐くことがあるだろうか。前者にはなく、後者にあるものは「世間の常識」であり、「サービス業意識」である。
 現在、この国の自動4輪免許取得者数はおよそ6千万人に上る。[1]これだけの人数が各々20万円もの大金を払い、数ヶ月の時間を費やして尊大で無愛想で、「どう教えるべきか」もまともに「教わって」いない「教官」なるものに頭を下げて我慢し続けながら、ハンドルを握る日を夢見ているのだ。
 この作品は、人気俳優である主人公が念願の自動車免許を取得するために悪戦苦闘する様を描いたコメディ映画である。実際のイメージを誇張して、くせ者の教官ばかりが登場して、観客の爆笑を誘う。物語の本筋は、主人公が彼らを相手に奮闘する部分にあるのだが実はしかし、この作品は、「教習所」というシステムを通じて「官僚支配」を鋭く風刺する硬派な映画でもあるのだ。
作家の猪瀬直樹は以前、週刊文春の連載「ニュースの考古学」において「毎年、免許の更新時期が来ると“民族大移動”が起こる。ハガキ一枚で若者から老人までが呼び出され、仕事も休んで現金持参で手続きに行く。官尊民卑の典型だ」と書いていた。
 教習所は国の許認可が必要な業種であり、準公共機関に位置付けられている。したがって、警察や陸運局から天下りしてきた役人が多数勤務する。
 また、運転免許や交通取り締まりも警察庁の管轄であり、したがって車にまつわることは「お上」が最初から最後まで完全に掌握している構図となっている。
 こんな国は世界的にも珍しいのである。そもそも欧米には「教習所」などなく、身近にいる人から皆、運転技術を教わるという。そして、免許取得には試験だけ受かればよく、費用も数万円で済むらしい。したがって、この作品は海外の人が見てもあまり理解されないであろう。「不思議の国ニッポン」というオリエンタリズムをさらに助長するに違いない。
 我が国と彼の国の大きな違いは「官の民への信頼」の有無である。大の大人に「前後確認」から「踏み切りを渡るときは窓を開けて耳と目で電車が近づいていないか確かめる」ことまで手取り足取り教えてやらなければ、「未熟で愚かな民衆」は安全に運転など出来ない、というお上の強い思い込みが準公営の教習所への「事実上の強制通所」というシステムを生み、確固たるものとしているのである。
 遅れて近代化した国、特にアジアの国々では「お上」が「民」を指導しリードしていくべきであるという「パターナリズム」の考え方を支配層が持っているとしばし分析される。
 日本も例外ではないのである。「シートベルトをしなさい」、「選挙へいきましょう」、「ゴミのポイ捨てはやめましょう」など、“啓発”と銘打った「役所」による「民」への命令、説教のスローガンが溢れているのは、北朝鮮と日本がダントツだと四万田犬彦教授はしばしば指摘している。
 本作がリアルに再現しているように、教習生にぶしつけに指示し、はんこを押すか否かは気分次第だったり、人によって判定基準が異なったりする教官たちの仕事の不透明性、恣意性はまさに我が国を蝕んでいる、役所の裁量行政や官僚の「選民意識」が垣間見れる最も身近な一例に他ならない。
 けれども、私たちは教習所になど頼らなくとも立派に運転できるようになるはずだ。一体いつまで、国民はお上から箸の上げ下げまで指図される“子ども扱い”に甘んじるつもりなのだろう。合格発表でガッツポーズを決める主人公の姿を捉えた明るいラストシーンを見ても、自分はどんよりとした気分になってしまった。了
[1] 『自動車教習所完全ガイド』アスペクト1996 まえがき参照

スパイダーマン(サム・ライミ監督)

 毎朝のスクールバスにはいつも乗り遅れ、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけて、クラスの不良にからかわれてばかり。ピーターは典型的な“イケてない”高校生だ。隣に住む幼馴染のMJに片思いをしているけど、いつまで経っても気持ちを打ち明けることもできない。
 だけどそんな彼は遺伝子改造されたクモにかまれたことによって超人的な能力を手に入れ、うだつの上がらない日常と決別することになる。
 この変化する主人公の描き方が本当に爽快だ。さんざんコケにされた宿敵の不良を完膚なきまでに叩きのめす。あるいは壁をすいすいとよじ登る。クモの糸を放って、ビルからビルへとターザンをするように一瞬で移動する。しまいにはイベントでプロレスラーをぶっ倒して賞金を勝ち取る。そして、この力を活かして街の平和を守る正義のヒーローとなるに至るのだ。
 「冴えないヤツが冴える」瞬間、冒頭の「ダメなピーター」が「華麗なスパイダーマン」へと成長していくさまを原作の持ち味を活かした、アメコミそのものの軽快なノリで映し出していく。
しかし、「敵」のキャラクターをステロタイプな「悪党」に描いていないことで、物語は奥行きも持っている。凶暴なグリーン・ゴブリンは主人公の親友の父であった。彼らが互いに正体を探り合う展開はスリリングで、作品を大いに盛り上げる。
テンポよい演出と、見せ方の「ツボ」をきっちり押さえた迫力あるアクションシーンは、ホラー映画出身のサム・ライミ監督だからこそ可能になったと自分は思う。『スクリーム』を撮ったウェス・クレイブンも『ミュージックオブハート』という感動作を作り上げたように、「怖がらせる」ことを生業としてきた職人は器用な人が多いのである。
誰しも若い頃には「変身願望」や「強さへの憧れ」を抱いている。けれどもそれは大抵、叶わぬ願いに終わってしまう。だから、私たちはピーターが指先からクモの糸を放つとき、そこに自身の見果てぬ夢を重ね合わせて、大きなエールを送りたくなる。
だが、スパイダーマンの活躍を横目に自分は対照的な別の映画を思い出した。
それは『アメリカン・スプレンダー』である。こちらの作品は「冴えない男がいつまでも冴えないまま」の話だ。主人公の漫画家ハービーは「変身できないピーター」だと形容できる。しかし、それでも彼は現状にめげないで自分なりの幸せをつかみとっている。したがって、この映画から伝わるのは「凡庸であること」への「イエス」というメッセージなのである。彼の背中は「冴えないことは大した問題じゃない」と力強く語っているように見えた。
逆に、ピーターの場合、「冴えた」のだけれども遂に最後までMJには告白できないままだし、父をスパイダーマンに殺された親友は彼への復讐を決意していた。ヒーローにはヒーローならではの苦悩や葛藤が山積しているようである。スパイダーマンをすることも無条件にハッピーなわけではないようだ。だから、自分はやはりクモの糸を指先から放てないままでよかったのかな、と見終わった後ぼんやり呟いたのだった。了

ブラザーフッド(カン・ジェギュ監督)

「ジンソク、ジンソク!!息をするんだ!!」降り注ぐ砲弾の雨の中、手足をもがれて喚き苦しむ戦友たちを尻目に、彼の兄のジンテは心臓発作を起こした弟の手当てに我が身を省みず、尽力する。冒頭のこのシーンが象徴するように本作は朝鮮戦争下での熱い兄弟愛を描いた作品である。
 『プライベートライアン』や『戦場のピアニスト』は共に第二次世界大戦を扱った作品だが、極めて抑制的に叙事的なタッチでその「悲惨」が撮られているのに対してこの作品は逆に叙情的な演出によって朝鮮戦争の「悔恨」を描こうとする。
 『シュリ』や『JSA』のように本作も「南北分断の悲劇」や「同じ民族同士が争う苦悩」を前面に押し出した作品ではないかと当初感じたがしかし、この映画が伝えようとするのは、もっと普遍的な「戦争の悲愴」であり、「家族の絆」に他ならなかった。
 劇中にはそれらを描く印象的な映像が何回も登場する。
たとえば、迫り来る戦火を逃れるために人々が長年住んだ我が家を捨て、なけなしの財産を背負って疎開する場面だ。それは第二次大戦中ナチスに追われたユダヤ人の難民の姿を連想させた。あるいは駅での兄弟たちの出征シーンは、見送る家族の振る旗が異なるだけで、戦時中の日本をフラッシュバックさせるものであった。
自分にとってとりわけ忘れられないのは、避難する人々や敗走する兵士達を撮った「人の海」のカットである。特に終盤での数十万の中国軍の進撃シーンは圧巻だった。
この「人の海」という存在は戦争に特有の残酷なものだと自分は思う。難民の「人海」の中では親子は簡単に生き別れてしまう。あるいは兵士の「人海」へは容赦なく、相手側から砲弾が打ち込まれる。ここでは完全に「個人の尊厳」など失われているのだ。
戦争の愚かさは戦場だけではなく、こうしたところにもあるということに気づかされた。
物語の核心である「兄弟愛」は過剰なほどの「熱さ」で終始一貫して描かれる。クライマックスの展開に至ってはかなり強引で、リアリティを欠く。だが、この「熱さ」こそ、韓国映画の最大の特徴なのだ。これを支持できるか、できないかが作品の好き嫌いの分水嶺になっているに違いない。けれども、「熱く」ない韓国映画など、単なるハリウッドの二番煎じではないだろうか。
また、本作以外にも『シルミド』など自国の過去を基にした娯楽作品が多いのも韓国独特だ。日本においては「新撰組」のエピソードが時代を超えて人気を保っているが双方ともに「史実と虚構の居心地の良い混沌状況」がうかがえる。「史実の娯楽化」という制作手法は「歴史の記憶」を薄れさせないためには有効な手段の1つかもしれない。
すぐ隣の国で遠くない過去に起きた戦争について、詳しく知ろうと思うきっかけも、この作品は自分に与えてくれた。了

サルバドル(オリバー・ストーン監督)

 「汝殺すなかれ、兵士達よ、貧しい農民を殺すのを止めよ!!暴力は暴力を生むだけなのだ」と演説した直後、ロメロ大司教は「ブタ野郎」と罵られ、射殺された。犯人は市民虐殺を繰り返す「死の部隊」と称された極右組織の一味である。
 中米エルサルバドルでは1980年に内戦が勃発した。政府軍、極右、左翼ゲリラ、アメリカ軍入り乱れての戦いは、年を追うごとに激化の一途をたどっていった。死が日常に蔓延し、人々は恐怖におののいている。なかでも貧しい農民たちは左翼に共感する者が多いため、軍から潜在的な危険分子と見なされ、殺されたり行方不明になる者が後を絶たない。彼らを支援する神父や尼僧もまた弾圧される。政府にとって都合の悪い人々は全て「アカ」と名指され、「死の部隊」の影が付きまとう。
もはやこの国では政府は国民にとって有益な存在ではなくなっていた。義務教育や医療さえ保障していないのである。その機能は「軍隊」という暴力装置にのみ特化され、人々にもたらされるのは恐怖と破壊と死だけだった。
秩序ではなく混沌があり、法ではなく暴力が、倫理でなく悪徳に支配された社会が内戦下には広がっていた。本作では当時の民兵の無法ぶり、軍隊の残虐さを表す描写が嫌悪感を催すほど執拗に描かれている。
この物語は、取材のためにアメリカから同国に潜入したジャーナリストを主人公にすえて、彼の目を通して内戦の真実を描くという手法を用いている。彼はスクープ写真を撮るため、危険な現場に進んで足を踏み入れていく。そして、悲惨で残酷な現実の数々を直に目撃する。主人公を「外国の記者」としたことで、エルサルバドル内戦を知らない人々にもよく理解できるストーリーとリアリティある映像に仕上げることに、この作品は見事に成功している。
とりわけ克明に映されるのは軍部の非道ぶりである。そもそも中南米にあるのは「軍隊」ではなく「民兵組織」だけではないかと思える。この地域の軍隊は文民統制が行われず、米軍クーデター学校の異名を取るパナマの「米陸軍アメリカ学校」で訓練された者たちが中枢を占めている。そして、左翼・民主勢力が伸張の気配を見せれば即座に武力介入し、徹底弾圧を加える。すなわち、外国への防衛手段というよりも国内に対する治安装置なのである。[1]
だが、圧倒的な富の偏在という根本的矛盾を野放しにしたまま、それに異議を唱える人々を銃の力で黙らすという方法は何の解決にもならない。飢えた農民が共産を主義とするのはイデオロギーの次元ではなく、日々の営みの中に確固とした原因が存在するのだから。
物語の終盤、主人公は現地の恋人を助けるために、彼女を連れてアメリカへ出国を図る。しかし、あと一歩のところで恋人はアメリカの国境警備隊によって捕まってしまう。
「強制送還されたら、彼女は暴行されて殺害されるんだぞ!」主人公の必死の訴えも聞き入れられずに、荒涼としたメキシコの砂漠を彼女を乗せたジープが走り去っていく。本作は実話に基づいていて、このエピソードも本当にあったことである。ラストシーンまで余りに悲惨で、本当に見る者の心を強く痛めつける。
だが、自分が鑑賞後感じた苦しみなど、同地の人々の千分の一にも満たないのだ。了
[1] 伊藤千尋『燃える中南米』岩波新書1988 56~57頁参照

2007年12月20日木曜日

A、A2(森達也監督)

  「痛い、痛い!!」路上に倒れた公安刑事が叫ぶ。近くには頭を打って横になったままのオウム信者。どちらが何をしたのであろう。一見するとよく分からない。そばにいた別の刑事が無線で「職質を振り切って逃げようとし、刑事を突き飛ばした公務執行妨害容疑で検挙」と話している。だが事の真相は本作のカメラが克明に捉えていた。実際は公安自らオウム信者を投げ飛ばしていたのだ。したがって明らかな不当逮捕である。いわゆる「転び公妨」と言われる捜査手法だ。
 地下鉄サリン事件以降、破防法適用は免れた代わりにオウム教団は公安当局の厳重な監視下に置かれることになった。そして、関係者の強引な摘発が始まった。
 アパートにビラを巻いただけで住居不法侵入罪、カッターを持っていたら銃刀法違反、銀行で受付に怒鳴ったら脅迫罪、といったように微罪による信者の検挙が相次いだ。冒頭の不当逮捕もその一例である。
 権力側によるこうした強硬な措置に対しては従来ならば市民社会の側から厳しい非難の声が沸き起こるはずだが、オウム真理教のケースではそうではなかったことが本作は鮮明に描いている。
 むしろ、普段は市民社会の「敵」である「公安」や「右翼」とも、教団施設のそばの住民たちは積極的に「共闘」しているに見えるのだ。「オウムを地域から徹底的に排除したい」という恐怖に駆られた感情が、常識や分別といったものをいとも容易に凌駕してしまったように感じる。
 ここに見られる現実は、あるラディカルな問いを私たちの前に提示している。
 「自由と民主主義を原理とする社会は非寛容(対立する者の存在を許さないオウム教団のような勢力)に対してどれほど寛容であるべきか」という問いである。
 これに対し、9・11のテロ以降、現在日本だけでなく世界中を席巻するのは「圧倒的な非寛容」ばかりだ。多元性を一元性に、多様性を画一性へ「セキュリティ」の名において強引に収れんさせようとする激しい排除と同一化の圧力が、我々市民社会の側から急速に発生しているといえる。
 あるいはたとえ憲法において高々に自由と民主主義の保障を掲げる国でさえも、たとえばドイツではナチスを擁護する言論・行動は法的に認められていない。
 しかし、国家権力をもってしてもいまだネオナチを壊滅させることには成功していない。
 この事実が物語るように、たとえ「オウム」を根絶やしにしたとしてもカルト宗教は決して無くなることはなく、「アルカイダ」を撲滅したとしてもテロは今後も絶対に発生し続けるのである。
 すなわち、「非寛容」は必ずしも私たちの安全を保障しえないということだ。オウムもテロリストもその発生には理由があり、出現の偶然性を必然性にまで高めた張本人こそ、彼らの声を無視し続けた「われわれ」の社会に他ならないだろう。
 しかし、今日もまた「原因」は置き去りにされたまま「現象」だけを我々は追い続け、何一つ問題は根本的に解決されていない。最近でも、「テロ対策」の名の下、空港では全ての入国する外国人に対して指紋と顔写真の採取が開始されるようになった。これには効果と人権の面で重大な疑問が指摘されている。また、ある大臣は「友人の友人がアルカイダでした」と漏らして波紋を広げた。こうしたどこか滑稽で的を射ない「テロとの戦い」がこの国では日々、官民総がかりで熱心に繰り広げられている。
けれども「ところでアルカイダとは何ですか?」と問われたら「凶悪なテロリスト」という単純なワンフレーズ以外、皆何一つ語ることが出来ない。誰一人「敵」を知らない。了

幼なじみ(ロベール・ゲディギャン監督)

 童心が感じた仄かな恋の感情は今となっては淡い愛の原体験となって記憶の奥へとしまわれている。そう、多くの人の場合。けれども本作の主人公である幼なじみのカップルは、幼少期の友情が思春期に恋心へと移り、互いに成人となった今、それは愛と呼ばれる感情へと変わった。そして、やがて娘は妊娠する。だから2人は結婚を決意した。幼い恋の芽吹きは摘まれることなく育まれて、ついに花開いたのである。恋にまつわるこの稀有なエピソードは、その2人が黒人の男と白人の女だったということにより、いっそう稀有なものになる。
 彼らに対して、周囲には差別や偏見の視線を投げ掛ける者も多かった。だが当の2人の間には「肌の色」を意識させる言葉も所作もどこにもない。そこには初々しくてイノセントな「普通の愛」だけが広がる。
 マルセイユの潮風に吹かれながら寄り添い歩く彼と彼女のシルエットは、どこにでもいる仲むつまじいカップルそのものだ。ただ唯一違いがあるとすればそれは肌の色だけである。
 この物語の主題はまさにここにあるのだが、数多ある同じテーマの作品とは異なり、大きな声で人種差別を告発するという手法は採らない。とても静謐なタッチでストーリーは紡がれて、糾弾の拳を高く振り上げることをしない。一見「小さな世界を小さく描く」作風のように思われたが、しかし物語は、主人公の黒人が人種差別に凝り固まった警官によって不当逮捕されたところから急速に転調する。
 2人の両親達は彼らの愛を守るため、全力で立ち上がる。彼は彼女の両親にも家族そのものとして受け入れられていた。だから彼女の父は弁護士費用の工面に奔走し、彼女の母は無実を証明するために証人を探してサラエボへと向かう。こうした献身ぶりはしかし、彼が虐げられているマイノリティーであることへの哀れみの感情ではなく、愛娘の夫である人物に対する全幅の信頼の思いに由来している。それははっきりとスクリーンから伝わってくる。
 彼女と、彼女の両親にとって彼は「黒人」としてではなく自分達と何も変わらない1人の「人間」として存在していたということ、この作品が最も描きたかったことはそこにあるのだろう。
 したがって、この映画は間接的に私たちにこう問うているのである。
「なぜ貴方たちは彼らのように人種にとらわれない生き方ができないのですか」と。
終盤、彼らは遂に裁判の勝利を手に入れた。家族の愛と、何よりも2人の紡ぐ純な愛が苛烈な現実を打ち砕くことが出来たのだ。
彼女はもうすぐ出産のときを迎える。母体の中では、2人の白い肌も黒い肌も溶け合って、「人種」などという瑣末なものはもはやどこにも無くなっていることだろう。了

天国の口、終わりの楽園。(アルフォンソ・クアロン監督)

 ティーンエイジにとって「性」は「生」そのものである。それは欲求の中心であり、興味の中核を成す。本作の主人公の高校生2人も無論例外ではない。彼女とのセックスに耽り、タバコを吹かし、ドラッグを楽しむ姿は、舞台である夏のメキシコの気だるい昼下がりと重なって、持て余した若さが弛緩しきった光景である。だらだらと快楽だけを貪るシーンが冒頭から展開されていく。
 そんなある日、2人は美しい人妻と出会う。そして、ふとしたきっかけで3人で「天国の口」と呼ばれる伝説の海岸を目指すことになる。とはいえ、彼らにとって本当の目的は実在するかも分からないそのビーチに行くことではなく、彼女を連れ出すことであった。
 そして長い旅が始まる。道中彼らはえんえんと様々な話を繰り広げる。ロードムービーの真髄とはこの「会話」だと自分は思う。車内で交わされる言葉こそが物語を編むのである。変化する風景だけを車窓から映した作品など、何も面白くもないだろう。
 本作の場合、ストーリーの転機となる会話は主人公2人の「秘密の告白」である。2人はかつて互いの恋人とセックスしてしまったことを打ち明け、共に懺悔する。この出来事は彼らにとって、怠惰な日常に訪れた久々の懊悩と煩悶となった。さらに彼らは旅のさなかにこの人妻と関係を持ってしまい、3人の関係性は大きく揺れ動く。
 3人の会話や行動を見ると彼らは皆「性」に完全に支配されているかに見える。刹那の愉悦ばかりを求め続けるその姿は「赤裸々」という表現さえも上品に思える。ただむき出しの衝動だけがスクリーンに溢れている。
 しかし、性描写が多い本作だがポルノ映画のような下品さは感じられない。なぜなら誰もが若かりし頃体験するであろう「性の甘さ」とでもいうものを上手にカメラが汲み取っているからである。
 最後に彼らは「天国の口」らしき海岸に遂にたどり着く。この美しいビーチは琉球で語り継がれるニライカナイのように、彼らに豊饒をもたらすかのように自分は感じた。
 だがそれは全く違った。もたらされたものは人妻の「死」であった。彼女はこの旅の直後ガンで死んだ。実は余命幾ばくもないのを押し隠して2人に同行していたのである。
この事実は1つのペーソスを感じさせる。すなわち、2人の「性」の圧倒的な過剰と彼女の「生」の絶対的な不足である。限られた命においては「性」は「一瞬の悦楽」でなく「生の実感」へと転化する。2人はきっとそれを彼女から教わったに違いない。このとき「性」への劣情は「生」への熱情へと昇華し、彼らは少しだけ大人への階段を上がったのである。了

2007年12月19日水曜日

ボウリング・フォー・コロンバイン(マイケル・ムーア監督)

 「銃社会アメリカ」、この言葉は自分が小さな頃から毎日テレビで聞かされてきた。いつまで経ってもアフリカのイメージが「飢餓と内戦と貧困」であるように、アメリカといえば「銃と暴力と犯罪」に表象され続けている。それはなぜなのだろう。答えはいつも決まってこうだ。「インディアンを虐殺して築いた国だから」、「貧富の格差が激しいから」、「人種差別がひどいから」、「NRA(全米ライフル協会)が銃規制に反対しているから」
 いずれもそれなりに説得力を持つがしかし、マイケル・ムーア監督は納得せず、自分なりの答えを探しにカメラを背負って全米を駆け回る。
 たとえば、南部の民兵組織を訪れて「草の根ミリタリズム」の根深さを肌で感じる。次いで、コロンバイン高校のある町へ赴き銃乱射事件の被害者に会う。あるいは自身の故郷で起きた、6才の子供同士が銃の被害者と加害者になった事件を考察する。こうして取材を重ねていく中で彼は1つの「答え」を見出すのである。
 銃犯罪と暴力を助長してやまないもの、それは人々の心に宿る「不安」と「恐怖心」だと彼は言う。ひっきりなしに殺人事件のニュースを流すマスメディア、強迫的に消費を促すTVCM…アメリカの社会と経済を回転させる原動力は人々に蔓延する「安心・安全への強迫観念」に違いないと語る。
 そしてこの考えを検証するため、今度は隣国カナダへと足を運ぶ。こちらの人々は外出の際に施錠をしないという事実にムーアは驚く。また、人種差別もほとんどなく、福祉も充実していて、殺人事件もアメリカより遥かに少ないということも彼は指摘する。母国の問題を外国と比較して浮き彫りにするこのパートは、本作の中でも非常に見ごたえがある。
 だが、ムーアの真骨頂が発揮されるのはここからだ。かつてマルクスは「社会とは解釈するためでなく変えるためにある」と述べたように、彼は単に銃社会の現状を分析して嘆いてみせるだけではなく、行動することによって一歩でも「改善」しようと奮闘するのだ。
 ムーアはコロンバイン事件の被害者達を引き連れてKマート本部に乗り込んで、弾丸の販売を全廃させる確約を取り付ける。次には銃規制反対派の牙城である全米ライフル協会の会長・ヘストン宅をアポなしで訪ねて彼と激しい論争を繰り広げる。そして帰り際に、銃で殺された6才の少女の写真を残していく。
 マイケル・ムーアという人物が激しいひんしゅくを買う理由はこのスタイルにあると自分は強く感じる。彼はまるで子供がそのまま大人になったかのように、純粋すぎる正義感と優しさの持ち主なのだ。だから「世の中なんて変わらない」と諦めている大多数の人々からすれば、うっとうしくて暑苦しいだけの存在に写るのだろう。けれども、そんな彼の作品は「皆で力を合わせて行動を起こせば必ず世の中は良くなる」という希望を観る者に与えてくれる。「あれはドキュメンタリーじゃない、プロバカンダだ」などという批判も受けるが、彼の主張はどれも極めて常識的なことばかりだ。「差別や貧困をなくそう」、「戦争をやめよう」、「福祉を充実させよう」、「雇用を安定させよう」、「銃をなくそう」
 だから、ムーアの映画が奇異で不快で、夢物語に見えるとしたら、それは今の世の中がいかに病んでいるか、ということの裏返しである。
 したがって、巨体に野球帽に眼鏡というトリッキーな出で立ちとアポなし突撃という奇抜な取材方法ばかりが目立つが、実は彼はあくなきまでに「社会正義」を追求する正統派のジャーナリストに他ならない。イマジンの歌がよく似合うムーアが自分は大好きだ。了

2007年12月18日火曜日

戦場のピアニスト(ロマン・ポランスキー監督)

 ひたすらただ、とにかく逃げること、潜むこと、そして生きて残ること―、これが第2次大戦中、ピアニストであった主人公に課された唯一の仕事だった。全てはナチスが彼に強いたことである。
 彼は本当に身も心も「弱い」。他のユダヤ人のように地下で抵抗し、銃で蜂起するという選択は決して取らない。心理学者は「怒り」は「悲しみ」に勝ると言うが、彼の場合、「怒り」や「憎しみ」、「恨み」といった感情よりも、終始それらを圧倒する深い悲しみだけがその心を包み込んでいる。けれどもそれは決して、「絶望」とは同義ではない。この点が本作の核となっている。
 目の前でナチスによって何の理由もなく一家族が射殺されるのを目撃しても、自分の家族が強制収容所に送られてしまっても、破戒され尽くした街にたたずんでも、何より、ピアノを弾くことが全く許されていなくとも、彼は「絶望」だけはしていなかったように見えるのである。
その代わり、ひたすらただただ彼は「悲しむ」のだ。声を上げて涙を流しながら廃墟となったワルシャワを歩く彼は、実はまだ「希望」を捨てていなかった。
なぜならばキルケゴールの言葉を借りれば「絶望とは死に至る病」[1]であり、彼がもし「悲しみ」ではなくこちらの感情に支配されていたのなら、とうに自害していたはずだからだ。 
 絶望によって、悲しみ、泣くことさえ無くなった時、それは精神が死んだということであり、人間が人間でなくなったということを意味する。これこそがナチスへの完全な敗北なのだ。多くのユダヤ人は既にこのような状況であったことも本作では丹念に描かれている。強制労働に駆り出されている者も、理不尽に処刑される者も、無表情のまま茫然としている者ばかりなのであった。無力感と諦めの思いだけがスクリーンを漂っていた。
 だから、「悲しむ」という感情をはっきりと現す主人公の姿は、「自分は絶望していないのだ」という、非暴力の形を採った力強い意思表示なのだと捉えることができる。
 「抵抗」とは、「勝利を収める」ということでなく、「決して敗北しないこと」だと自分は思う。とにかくも、たとえどんなに哀れで惨めな状況になろうとも決して敵の前に両手を上げて降伏しないこと、自ら死を選ばないことなのである。
 そうだとすれば「悲しみながらひたすら必死に逃げ続ける」という主人公の生き方は、死を覚悟して銃を握ったゲットーの同胞や、常に致死量の毒薬を持ち歩きながら地下活動を行っていたワルシャワの共産党員など他の登場人物たちよりも遥かにしたたかで、しぶとい「抵抗」であったように感じられる。
 そして、ついに生き延びることに成功した主人公は戦後ピアニストとして念願の復帰を果たす。ホールを埋め尽くした大観衆の前で以前のように華麗な指さばきで彼は演奏する。美しい調べの流れるこのラストシーンは、ナチスに対する最も優雅で洗練された「人間性の勝利」のメッセージに違いない。了
[1] キルケゴール『死に至る病』岩波文庫1957

ドニー・ダーコ(リチャード・ケリー監督)

 あと28日6時間42分12秒―、1988年10月2日、夢遊病に侵された高校生ドニー・ダーコはこう銀色のウサギに告げられる。そして、指示されるままに破壊行為を繰り返していく。一体、28日後に何が起こるのというのだろう。
 「終末」を題材とした作品は多々あるがとりわけ本作は異色だ。「世界の終わり」の予兆はこの世のどこにも見つからない。ただ変わったことといえば、銀色のウサギが現れた日彼の部屋に正体不明の航空機のエンジンが落下してきただけだ。けれどもこの出来事さえ主人公以外の者にとっては変わりなき日常の中で時折起こる少しばかりのハプニングでしかない。この「わたし」と「あなた」の間に広がる大きな落差、これが本作の核心である。
 主人公の身にだけ起こる「日常でない事態」と、いつもと何も変わらないままの他の者達。互いの心理のコントラストは終盤に鮮明となる。両者の溝は臨界点に到達し、ついに「世界」にヒビが生じ始める。しかし、その「亀裂」もまたドニーにしか見えない。
 このように本作は極めて心象描写を重視している。いたる所に内省的な場面が散らばる。そもそも物語の鍵を握る「銀色のウサギ」というもの自体、欧米で泥酔者が見るといわれる「ピンクの象」を想起させる。あるいは高校での「愛と恐怖」というテーマの、恐怖を克服する授業、自己啓発家の講演、父による母への暴力が原因で転校してきたガールフレンドとのシーンなどに多くの時間が割かれている。そして、「地下室の扉」を主人公が開けに行くクライマックスもまた、ユングが幼少期に見て生涯忘れられなかったという「地下室の夢」[1]のアナロジーであろう。
 破綻へと突き進むドニーの姿には、岡崎京子の漫画『リバーズ・エッジ』[2]の言葉が頭をよぎった。
 「惨劇はとつぜん起きる訳ではない。そんなことがある訳がない。それはゆっくりと徐々に用意されている。/進行しているアホな日常/退屈な毎日の/さなかに」
 そして日常という平坦な戦場での「戦死者」を作者はギブスンの詩を引用して追悼する。
「ごらん窓の外を。全てのことが起こりうるのを。」
彼もまた、「終わりなき日常」[3]の「死者」となる。
したがって、世界は物語の終わりに確かに「滅亡」したのである。なぜならば、「死とはその人間にとって、世界が消滅すること」[4]に他ならないのだから。
ドニーが死んだ日も、昨日と何一つ変わらない今日があり、その後には今日と同じ明日が連綿と控えている。電車は何事もなかったかのようにダイヤ通りに走り、若者達はいつもと同じ表情で足しげく学校へと向かう。
私たちの日常というのは余りに無常で、残酷である。改めてこの作品を観てそう感じた。たとえ誰が死のうとも、この巨大な存在はリズムを乱すことなく、正確に歩みを続けていく。悲しみに暮れて立ち止まることも決してない。中央線で人身事故が起きようと誰一人黙祷など捧げないように。人間の世界は余りに非人間的なものへと変貌を遂げていた。了
[1] 福島哲夫『図解雑学 ユング心理学』ナツメ社2002参照
[2] 岡崎京子『リバーズ・エッジ』宝島社2002
[3] 宮台真司『終わりなき日常を生きろ』ちくま文庫1998
[4] ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』日本放送協会出版1995参照

ガタカ(アンドリュー・ニコル監督)

 「社会の優生学的な再編は、無制限な国家管理の名に隠れてそれがもたらす<ミクロ権力>の拡張・強化と相俟って至高の血の夢幻的高揚を伴っていた。―そして歴史の望んだところは、ヒトラーの性政策は全く愚劣な実践に終わったが血の神話のほうはさし当たり人間が記憶しうる最大の虐殺に変貌した、ということであった。」[1]
 哲学者フーコーはかつてこのように記した。ナチズムを極として、近代における「血の神話」は「レイシズム」として今なお根深く存在する。さらに現在ではこの差別主義に加えてDNA診断による人間の序列化まで進行しつつある。既にアメリカでは医療保険加入をDNAのデータを理由に拒否される事態も起きている。[2]
 本作の舞台である近未来の地球では、人種主義は完全に駆逐されたのだがそれに代わって「DNA至上主義」が世を席巻している。これは「医療的・科学的根拠」というバックグランドを持っているため、人種差別の場合のように「偏見」や「迷信」だと主張することも出来ず、極めて対抗しづらいものとなっている。
 この世界では、DNA診断によって当人の寿命、疾病、知能、身体能力、性格、容姿などが生まれた時点で判明する。したがって「機会の平等」という原理は非効率的としてしりぞけられ、教育や医療といった人的・物的資源を優れたDNA所有者へ「傾斜投資」することが肯定されている。DNAが本人の一生を全て決めるのだ。しかし、「下等の人間」と判断され、不遇な人生を歩むことを余儀なくされた主人公は、一部の遺伝子エリートだけにしか門戸の開かれていない宇宙飛行士になる夢を叶えるため危険を冒す。
 彼は、宇宙飛行士養成所=ガタカへ入るために優等遺伝子を持った他人に成りすます。「別人のふりをする」というストーリーはアランドロンの『太陽がいっぱい』[3]が有名だが、本作の場合、外見のみならず指紋と血液まで変えて、ゲートでのDNA照会をかいくぐる。したがって、彼にとって入所時の毎回の身元チェックが一番の恐怖であった。仮に身分詐称が発覚すれば即座に逮捕され、宇宙飛行士の夢も潰えてしまう。だが殺人事件の捜査のため、刑事の指示で照会作業は執拗なものとなっていく。
 この照会のエピソードは、昨今研究の進む「生態認証技術」と重なって見えた。このテクノロジーのルーツは19世紀後半のフランスにあるという。人類学を学んだパリ警視庁事務官ベルティヨンは、外見だけでなく光彩や顔の骨格で個人の識別を試みた。[4]本作に登場する刑事は彼をモデルにしているのではないかと思える。
 センスの良い美しい映像が惜しげもなく続く作品にもかかわらず、こうしたストーリーゆえ、未来はユートピアでなくディストピアに思え、あるいは主人公の悲愴な人生に深い胸の痛みを覚えてしまう。
だがしかし、それでも主人公は何度も迫り来る窮地を逃げ切り、遂に念願の宇宙へと飛び立っていった。鮮やかな閃光を放って遥か土星へと向かうシャトルの姿をカメラが青空に追っていく美しいラストシーンは、「運命とはDNAが決めるのでなく、自身で切り開いていくものだ」と力強く物語っているような気がした。了
[1] フーコー『知への意志』新潮社1986 188頁参照
[2] 斉藤貴男『機会不平等』「終章 優生学の復権と機会不平等」文春文庫2004参照
[3] ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』1960公開
[4] 渡辺公三『司法的同一性の誕生』言叢社2003参照

2007年12月17日月曜日

トラフィック(スティーブン・ソダーバーグ監督)

 麻薬との戦いは欲望との戦いに他ならない。快感への誘惑は、法を破るリスクを負ってでも生産し、流通し、密売し、富を得ようとする者たちを必ず生む。それに対して、多くの国家が莫大な予算と人員を用いてアヘン、コカイン、ヘロイン、大麻を社会から撲滅しようと躍起になる。が、歴史を見れば、その成果が上がったことは一度としてなかったといえよう。端的に言えば、この世から麻薬が消滅する時は、人間が絶滅した時だけだ。人の欲望に寄生するのが麻薬だからである。したがって人間に「寄生」している麻薬という存在を完全に排除しようとするのは夢物語であり、イデオロギーでしかない。現実的かつ唯一合理的な解決策は麻薬の「共生」だけだろう。実際、欧州やオーストラリアでは大麻使用は厳しく取り締まっていない。厳罰主義は合理的でないという考えのためだ。しかし、アメリカが採る手段は常に前者だった。「麻薬対策」の名の下でコロンビアに軍事介入をし続け、大麻使用者も容赦なく逮捕して投獄する。だが、その取り組みはご存知のように功を奏していない。政府が取り組む「麻薬撲滅戦争」は「テロとの戦争」同様、全く終わりが見えていない。合理主義ではなく、宗教道徳に基づく手法に異常なまでに固執する政府の姿勢は皮肉にも麻薬中毒者の姿と重なっても見える。
 このような事実を念頭に置いて鑑賞するならば、本作は極めて悲壮感の漂う映画に思えた。
本作はメキシコ、ワシントンD.C、カリフォルニアの3つの地域を舞台に物語が展開される。それぞれの場面を黄色、青、赤と、映像を色分けし、畳み掛けるように3話を交互に進行させていく。この演出は臨場感と緊迫感に富み、アカデミー編集賞受賞という大きな成功を収めた。
メキシコの捜査官のシークエンスは、アル・パチーノ主演の名作刑事映画『セルピコ』[1]を連想させるものだった。巨大な警察内部の腐敗へ単身で挑み、最後は何者かに銃撃されて半身マヒになってしまった主人公。本作の捜査官も熱心なあまりに麻薬カルテルに対して深入りし過ぎ、付け狙われる羽目になる。そして挙句には同僚の命を奪われてしまう。
また、アメリカ政府・麻薬取締担当の長に就任した法曹エリートのパートでは、職務に打ち込む最中、自身の娘が麻薬中毒になって矯正施設に入れられてしまうという皮肉な顛末が描かれる。
麻薬ブローカーの裁判のストーリーでは、彼の妻の謀略により証人が消されたことにより、検察の敗北に終わる。
これら3章のエピソードはいずれもが、救いがたいほどに麻薬の猖獗を見せ付けていた。
したがってこの作品に存在するのは、「勝者の不在」である。勝利への期待も勝機への希望も勝算への展望も見る側は感じることができなかった。「永続する負け戦」でしかないようにも思える。だが、最後の場面には微かだが「救い」を見つけられた。
 メキシコの捜査官は「麻薬問題は貧困問題だ」と訴えて米側に対し、情報と引き換えに国境の街に大きく明るい街灯をつけるように要求する。野球に興じる貧しい住民達を夜、その街灯がまぶしく照らし出す映像で本作は幕を閉じる。そのラストシーンは、深い闇の奥から一途の光が差していることを感じさせたのだった。了
[1] シドニー・ルメット監督『セルピコ』1973公開

2007年12月16日日曜日

ノー・マンズ・ランド(ダニス・ダノヴィッチ監督)

 2003年、74年の歴史にユーゴスラビアは幕を閉じた。国名はセルビア・モンテネグロに代わり、2006年にはこの両国も分離独立した。かつて、チトー時代独自の労働者自主管理型社会主義によって非同盟諸国の雄となった栄光の記憶はもはや遥か昔だ。今では「内戦に明け暮れる国」という印象ばかりである。
 1991年に勃発した民族紛争は先日ようやく終結した。しかし、建物や道路といったインフラの復興は出来ようとも隣人同士の間に生じた根深い亀裂はいまだ修復などできていない。もう、決してセルビア人もムスリム人も昔のように同じ街で暮らせない。
 だからであろう、この作品を貫くのは、悲壮に溢れたアイロニーである。それはことの顛末の救いのなさからも伺える。主人公である捕虜と2人の敵兵の間には結局、『ビルマの竪琴』[1]や『戦場のアリア』[2]のように、戦場における敵同士の「友情」や「和解」や「信頼」といった人間的感情が芽生えることもない。最後まで互いを傷つけあい、罵り合い、そして共倒れしてしまう。地雷を踏んだ兵士は救出に来たはずの国連軍からも見放され、置き去りにされる。だが、彼ら3人もまた内戦の被害者である。決して自業自得とはいえない。しかし、戦争への憤りよりも、理不尽な運命への諦観の方を自分は感じた。以前見た『アンダーグラウンド』[3]もこのような展開だったことが思い出される。こちらもユーゴが舞台の話で、第二次大戦の戦火を逃れて地下生活をしていた人々が50年後外に出ても再び内戦が繰り広げられていたという痛切なラストだった。
 「よそ者に我々の苦しみなど分かるわけがないだろう!!!」とでも言いたげな、見る側を突き放すが如きこれら2作の結末は「絶望」の後にも新しい「絶望」しか待機していないほど、バルカン半島とは傷だらけで救いのない地域なのだと思えてくる。
 ユーゴスラビアに存在する「断裂」はノーマンズランドだけではないのだろう。繰り返される紛争で生じた深い不信と憎悪は人々の心と心の間に埋めがたい溝を作ってしまった。その溝の間に「希望」という名のアーチがかかる日はいつ訪れるのだろうか。了
[1]市川崑監督『ビルマの竪琴』1956
[2] クリスチャン・カリオン監督『戦場のアリア』2005
[3]エミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』1995

青い春(豊田利晃監督)

 「お前、学校楽しいか?」「最高だよ、ここは天国だ」
 2人の不良の間で交わされるこんなやりとりが主人公達にとって「学校」とはどんなものかを端的に物語る。
 平日の朝8時半から夕方4時までだけ存在する、フェンスと塀で“外界”と隔てられた殺風景なコンクリートの建物の中にある「天国」。ここは「楽しい青春」を育む揺りかごだ。
自分のことを思い出しても、高校はまさにパラダイスだった。少なすぎた義務と束縛、有り余るほどの権利と自由。楽しむだけの毎日がそこにはあった。けれどもこんな生活は必ず終わりを迎える。卒業の日が来ることからはどうあがいても逃れられない。そして、残酷にも、「青春」を謳歌したものほど卒業の日に払わされる「代償」は大きいのである。
 番長もマドンナも生徒会長もクラスの人気者も、学校という舞台を失ったら、その姿はまるで12時を過ぎたシンデレラみたいに哀れだ。妖精のかけてくれた魔法は無情にも解けて、かぼちゃの馬車も美しい衣装もどこかへ消えてしまった。ぼろを着て貧相な顔をして、「社会」というザラザラした道端へ放り出されて、一体これからオレはワタシはどうすればよいのだろう、と途方に暮れる。
 例えば、「高校が毎日毎日楽しすぎて、卒業したとたん、平凡な毎日に耐え切れず欝病になってしまった」という若者の人生相談をラジオで聞いたことがある。実際自分も、3月の卒業式の後、高校生活の余韻から抜け出せるまで何ヶ月もかかった。孤独な浪人生活との落差はあまりに大きかった。中学生の頃も、卒業して土方になった不良がいきなり学校を訪れて、ベランダで1人物思いにふけっているのを見たことがある。その背中にはかつての肩で風を切っていた時の勢いはなく、秋風に吹かれて哀感が漂っていた。
 けれども私たちには皆進むべき未来があるはずで、いつまでも思い出を反芻している暇などないのである。
 とはいえ本作のような「底辺校」の不良少年達にとっては「学校で番長を張ること、クラスを仕切ること、他校のワルとタイマンすること」こそ唯一のアイデンティティなのだ。したがって彼らの生き甲斐は「学校」という存在なしに成立できない。だからこそ「卒業」はどんなワルにも勝る脅威なのである。それは、卒業式を前にして、主人公の親友が大好きな母校で自殺してしまったことからも十分に理解できる。そう、彼らには本当に「今ここ」しかない。進路なんてないし、未来なんてない。だから、彼は「期限付きの放縦」から「永遠の自由」を求めて、数々の思い出を抱きしめながら校舎の屋上から真っ逆さまにダイブしたのだろう。
 尾崎豊は「卒業」とは、「仕組まれた自由に誰も気づかずにあがいた日々の終わり」だと唄う。盗んだバイクで走り出し、校舎の窓ガラスを壊して回った「典型的な不良」である彼はそれでも、「卒業の日」を恐れはしなかった。むしろ「この支配からの卒業」なのだと叫んだ。だから、「同級生と会って思い出話に浸るのが一番の趣味」などという元不良連中を、不良ではなかった自分は強く軽蔑する。尾崎の言葉を借りるなら「本当の自分にたどり着くために人は何度も“卒業”を繰り返す」のだから[1]。本当の“強さ”とは腕力ではなく、未来と真摯に向き合う意志の強さなのだ。尾崎はそう言いたかったのだ。桜の花びらが舞い散るラストシーンを観て自分はそう感じた。了
[1] 尾崎豊『卒業』1985

2007年12月15日土曜日

マトリックス リローデッド(アンディ&ラリー・ウォシャウスキー監督)

 散りばめられた伏線と隠喩は最後まで解き明かされず、「TO BE CONTINUED」のエンドロールの後ろへ持ち越された。まるで日本の連載漫画のようだった。第1作と異なり、単純明快なSFアクション作から『ブレードランナー』[1]や『2001年宇宙の旅』[2]の如き難解で哲学的なものへと趣を大きく変えた。生き残った人類の住む地「ザイオン」と、人間を支配するコンピュータ「マトリックス」双方の正体が徐々に明らかにされる。第一作へ「外部」と「周縁」が与えれ、物語は深遠さを帯びていく。
 随所に登場する様々な抽象的セリフは思想や宗教の文献が出典のようである。多用される「目的」、「原因と結果」、「選択」という単語も個人を超越した「何か」を感じさせる。それはこの作品においては「マトリックス」なのであった。
 また、人類の救世主である主人公を導くはずの予言者も、マトリックスが作ったプログラムの一部に過ぎないということ、主人公は「システムに反乱するアノマリー(例外)プログラム」の1つに過ぎず、彼の出現もまたマトリックスの計算の範疇でしかないだろうということ、などが次第に明らかになっていく。既にマトリックスは今まで5回アノマリーとザイオンを滅ぼしたともいう。
 したがって、マトリックスとはまるで、古代ギリシャ演劇に登場する「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」そのものに思われる。この神は唐突に現れて、全ての事態を強引に収束させてしまう。このように強大かつ巧妙な能力を持つシステムに一体主人公達はどう立ち向かえばよいのだろうか。勝算は限りなくゼロに近いようにも見える。
 しかし、「完璧に人間を支配しうる機械装置」というものは存在できるか、という問いを考察するならば、自分は「テューリング・マシン」をめぐる学術論争を思い出す。
 人間の思考が全てアルゴリズムに還元できるとすれば、人間は精密な機械(テューリング・マシン)であり、他の機械で管理可能である、という学説をアラン・テューリングは提唱した。それに対してゲーテルはかの有名な「不完全性定理」を用いてこのマシンの限界を論証し、「人間精神は、脳の機能に還元できず、いかなる有限機械をも上回る」という哲学的帰結を導いた。[3]このアカデミズムにおける真実のエピソードの中に「人間と機械の戦争」の行方を暗示するヒントがあるのかもしれない。
前回以上に怒涛の勢いで繰り広げられた、高速道路の逆走、100人以上に増殖した宿敵・エージェントスミスとのバトル、爆破されるビルでの仲間の救出といった壮絶なアクションの数々が、全てマトリックスの「想定の範囲内」だったなどとは、一人の人間として、あるいは観客としても、自分は決して思いたくないのである。了
[1] リドリー・スコット監督1982公開
[2] スタンリーキューブリック監督1968年公開
[3] 高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』講談社現代新書1999 222~235頁参照

マトリックス (アンディ&ラリー・ウォシャウスキー監督)

 今まで感じたこともない斬新な衝撃と強いデジャヴュを同時に覚えるという、極めて奇妙な感覚に自分は鑑賞後見舞われた。
 その衝撃は体験したこともない実写映像に由来し、デジャヴュは慣れ親しんだ漫画やアニメの記憶に起因する。
 実写よりも技術的・物理的制約がはるかに緩い2次元のグラフィックの中には荒唐無稽でド派手な世界が無限に広がっている。『ドラゴンボール』[1]を筆頭として、キャラたちは気ままに空を飛び、他の銀河系から襲撃しに来た異星人と戦い、一撃で取り囲んだ敵達をバタバタと蹴散らす。はてはエネルギー弾を指先から放ち巨大な岩山を木っ端微塵に吹き飛ばす。ここには重力などといった物理法則は存在しない。
 例えば自分が愛読していたスポ根系野球漫画『山下たろーくん』[2]では、投手が投げたボールがキャッチャ-ミットに収まるまでのゼロコンマ数秒という微かな瞬間の描写に数ページも費やされていた。待ち受ける打者の目のアップ、固唾を呑む観客の表情などが丹念に描かれた。あるいは大人気を博した『スラムダンク』[3]ではたった1試合が1年にもわたって連載され続けた。このような自由な時間の拡大と縮小、任意の空間の膨張と圧縮がアニメ・漫画表現における最大の個性である。
 「アニメおたく」を公言するウォシャウスキー兄弟はだいぶ以前から本作の構想を温めていたのであろう。「アニメをいかに実写化するか」、「3次元の世界で2次元の表現をどのように再現するか」、これらの課題に対する彼らの素晴らしい答えの一つはカンフーとワイヤーアクションという古典的手法であり、一つはCGとカメラを360度に敷き詰めた「ブレットタイム」と呼ばれる超高速スローモーション撮影という最先端の技法である。
 特筆すべきは、このようなテクニカルな観点だけでなく、展開される突拍子もないビジュアルの数々を違和感のないものにした脚本のうまさだ。「人類を支配するコンピュータと仮想世界の中でバトルを繰り広げる」という「なんでもあり」を可能にする絶妙な着想を閃いた時点でこの作品の成功は保証されたに等しい。この設定によって、主人公は時間と空間のくびきから解き放たれたのである。
 屈強な特殊部隊を向こうに回して繰り広げられる、銃を使った殺陣のような美しいアクション、敵が放った弾丸を見切ってかわす、現実では絶対に有り得ない攻防。スタイリッシュなシーンの数々は観る者を虜にする。過剰なまでに「見ること」を追求したこの作品は、私たちに「観るという快楽」の「絶頂」を体験させてくれた。理屈なんて抜きにして、ただ純粋に「観る」ことだけを楽しめばよかった。「驚異の映像体験」という言葉が昨今は濫用されているが、この作品こそ、間違いなくその金字塔である。了
[1] 鳥山明『ドラゴンボール』集英社
[2] こせきこうじ『山下たろーくん』集英社
[3] 井上雄彦『スラムダンク』集英社

フェアリーテイル (チャールズ・スターリッジ監督)

今日こそは、と思い空を見上げてみる。また、今回も駄目だった。やはりUFOなんて見られる訳がなかった。『二十億光年の孤独』[1]を著した谷川俊太郎のように自分も同じ宇宙の彼方にきっと宇宙人がいるだろうと思って、幼い頃は夜空を見るたび想像を広げていた。でも結局一度として、何か不思議なものを見つけたことはなかった。宇宙人だけではなく、火の玉もお化けも妖怪もそうだった。だからこの悔しさからか、今でも非科学的な事象への興味は消えない。
だが本作の主人公の少女2人は、羨ましいことに何度も森の中で妖精に遭遇する。それはやがて周囲の大人たちやメディアを巻き込んだ一大騒動へとなっていく。
何度も何度も探しに行ったのに実在を信じていた妖精に一度も会えずにいた少女の母は感激の涙を流す。また、『シャーロック・ホームズ』で時の人だった作家コナン・ドイルも彼女達の元を訪れる。そして『「妖精は実在した!!」という本まで出してしまう。第一次世界大戦中の暗い世相で、英国の人々にとって「妖精事件」(1917年のコティングリー事件[2])はまさに天から降り注いだ一滴の「希望」だった。ユングもかつて「神話に象徴されるヌミヌス(神秘)なものは人生を豊かにする」と語った。[3]この事件に出てくる妖精たちもルーツはケルト神話にあるという。私たちは非合理的な想像に夢を大きく膨らますのだろう。
「2人の少女」という主人公は『乙女の祈り』[4]とも重なるが、こちらが「思春期の少女の純情がいかにして残酷さへと転化していくか」を描くならば、本作は「幼い少女の純真がいかに夢と希望を与えるか」を柔らかな筆致で描いている。風がそよぎ、川がせせらぐ美しい森の中で無邪気に少女が踊り、妖精たちが空を舞う。そんな情景は、見る者誰もの童心を蘇らせてくれる。
『星の王子様』[5]は、「本当に大切なものは目には見えないんだよ」と言うけれど、たまには見えることもあるのかもしれない。ただし無垢な心を持った子供にだけ。でも、日本ではこうした目撃事件を聞いたことがない。なぜだろうか。欧州の大人たちは18世紀に「子供」を「発見」したのに、この国はいまだに「発見」出来ていないからではないかと思う。子供に備わる固有の権利[6]は、どれほどの大人たち・親たちに理解されているだろうか。子供たちの囁きをどの位真剣に私たちは受け止めているだろうか。イギリスでは、「発見」された子供たちが今度は「妖精」を発見して、戦争で身も心も傷ついた多くの大人たちを救ってくれた。だから、きっと「子供」を大切にするということは、ひいては社会全体を明るく、優しくするということなのだろう。
だから、「ねえ、なんか不思議なものを今日見たんだよ」と子供が寝る前にベッドで呟いたのなら、「何言ってるの!早く寝なさい」と無碍にしないで、「どんな風だったのかな?話してごらん」と今晩からはゆっくりと耳を傾けることにしよう。純真という名の心のレンズを通した時にだけ映し出されるものがあるのだから。それは「希望」というものかもしれない。妖精は今日もまた、コティングリーの深い森から人々に夢を与えてくれている。了
[1] 谷川俊太郎『二十億光年の孤独』日本図書センター 2000
[2] ビアトリス・フィルポッツ『ヴィジュアル版 妖精たちの物語』原書房2000参照
[3] 福島哲夫『図解雑学 ユング心理学』ナツメ社2002参照
[4] ピーター・ジャクソン『乙女の祈り』1994公開
[5]サン=テグジュペリ『星の王子さま』新潮社2006
[6] ルソー『エミール』岩波文庫1962参照

2007年12月14日金曜日

害虫 (塩田明彦監督)

 海に面した小さな町での、1人の小さな女子中学生の身に降り懸かる、彼女にとっては抱えきれないような大きくて重い出来事たちを描いた悲しく痛い青春映画である。「青春という痛み」を見事に描いた作品といえばすぐに岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』が思い起こされるが、この作品は『リリイ』の後に作られたものである。リリイという金字塔を前にしていかに埋没しない作品を築けばよいのか。その過酷な難題に塩田監督は自分なりの答えを示すことが出来たといえよう。
 本作の特徴はその極めて抑制された演出だ。BGMやセリフは少なく、起伏の緩やかなストーリーテリングが基調となっている。細かなカット割りもなく、カメラはゆっくりと呼吸をして情景をフィルムの中へと吸い込んでいく。北野武や岩井俊二の作風とも重なるが彼らとの決定的な違いは「映像の記号性、象徴性、あるいは代表性の強さ」である。各シーンがそれぞれに「今、何が起きているか、この人物はどんな気持ちなのか」を力強く語る。あいまいで不要に思えるシーンはない。色彩で喩えるならどの映像も皆「原色」なのだ。グレーやピンクや紫はない。そのため、「抑制した演出」という「沈黙」の世界の中でそれぞれの場面がしっかりと主張する、「黙して語る」とでも言える両義性を本作は帯びている。一例を挙げれば、主役の女子学生の洗髪後の濡れた髪を丁寧にいたわるように優しくタオルで拭く小学校教師とのシーンだ。このわずか1分にも満たない映像から「2人の間には深い愛情があった」という事実を見る側に全て伝えきってしまう。そして、「象徴的なのにベタではなく陳腐でもない」のである。したがって、文学で言えばこの作品は一篇の美しい叙情詩のようだ。また私小説的でもあるため、リアリティも合わせ持つ。
 「原色」の映像たちが見る側の感性に遠慮なく迫り、疼くような痛みを与え続ける。ラストの後味の悪さと残酷さも、「救い」の存在に淡い期待を抱いていた観客を冷たく突き放す。彼女にとっては「生きること」それ自体が「敵」なのであった。けれども赤や緑だけでなく、実は時には「透き通った白い」色をした映像もあったように思う。この純白こそが青春であり、彼女の前に広がる未来なのだろう。日常という平坦な戦場を、彼女はきっと生き延びる。[1]
[1] 椹木 野衣『平坦な戦場でぼくらが生き延びること―岡崎京子論』筑摩書房2000

アモーレス・ペロス(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)

 街ですれ違う名も知らない人々は全て皆「物語」である。それぞれにドラマがあり、一人ひとりにエピソードがある。だから自分はしばしば、隣を歩く人に「貴方の人生を話してください」と尋ねたい衝動に駆られる。そしてまた、「邂逅」とはそんな「物語」同士の交錯であり、その出会いが「偶然」であるほど、そこからは予期もしない大きな化学反応が生まれて運命を左右することとなる。
 この作品の中で「人間交差点」となるのは、1つの自動車事故である。自分はふと鑑賞中、村上春樹の『アンダーグラウンド』[1]を思い出した。この本では、作者自ら62人の無名の市民たちにインタビューし、彼らの「人生」を取材している。こちらの場合、今まで全く無関係に生きていた登場人物たちを結びつけたのは1994年の地下鉄サリン事件であった。この出来事に遭遇したことによって、被害者達の運命がその日からどう変わっていったのかを、丹念に同書は迫っていく。
 ドキュメントである同書と異なり、本作はフィクションなのだが、だからこそ脚本の実力がシビアに問われる。三人の主役達の三者三様の半生をいかにドラマチックに、かつリアリティを持たせて描き、そして彼らをいつどのように「クラッシュ」させるか。このような作品で最も成功したものと言えば近年では間違いなく『パルプフィクション』であろう。『マグノリア』も評価が高いが、自分にはあの荒唐無稽なラストは許容できない。ちなみに国内の小説では奥田英朗の『最悪』[2]が挙げられよう。
 セリフなどは『パルプ』のほうが秀でているが、編集面では、それぞれの人物の時間軸がずれていた同作と違い、ほぼ時間軸の統一されている本作はストーリーは飲み込みやすい。また、三人それぞれの人物造形も丁寧に掘り下げられている。 事故は第一話の青年にとって、ある意味で「人生の始まりの終わり」であり、2話目のモデルの女にとっては「終わりの始まり」であり、最終話の老革命家にとっては「終わりの終わり」であった。まさにこの交通事故が彼らの運命を一変させた。彼らは皆「終わり」へ向かって抗うことを許されず、いざなわれて行く。しかし、こんな、「愛の挫折」や「夢の喪失」がテーマである儚く哀しい物語のなかで、堕ちていく彼らにペットの犬だけはどこまでも優しく寄り添う。それだけが、荒野に咲く一輪のスミレのように「救い」を感じさせた。だからこそ題名は『愛と犬』と名づけられているのである。了        
[1] 村上春樹『アンダーグラウンド』講談社1999
[2] 奥田英朗『最悪』講談社2002

2007年12月13日木曜日

地獄の黙示録(フランシス・コッポラ監督)

 かのベトナム戦争において、アメリカは第二次世界大戦で投下した量の10倍以上に上る爆弾をあの小さな地域に落としたという。あるいは上陸した兵隊たちは村々を焼き払い、住民を皆殺しにしていった。政治的覇権を得る手段としての戦争が、いつの間にか破壊行為それ自体が目的化したかのように凄まじい蛮行が繰り広げられていた。
 「戦争とは他の手段をもってする政治の継続以外の何ものでもない」という『戦争論』[1]で述べられたクラウゼヴィッツの考え方はこの戦争では全く的を射ていないようだ。それよりも、ロジェ・カイヨワによるもう一つの『戦争論』[2]の分析の方が当てはまる。
同書によれば戦争とは「破壊のための組織的企て」であり、クラウゼビッツが言うように政治目的に従属するのではなく、始めから「絶対的」であり、「破壊」それ自体が目的として露出しているのである。そこでは戦争は戦争そのもの以外のいかなる目的によっても規定されていない。戦争は起こる前には「政治の一手段」足りうるがひとたび起きてしまえばもはやそれは手段ではなく、逆に破壊行為とその後始末がその後の政治を決定することになる。そこにおいて戦争と政治の関係は逆転し、戦争の「現実」が政治を規定する。
本作の中で最も衝撃的なシーンは、ワーグナーを大音量で流しながらまるでスポーツをするかのように軍用ヘリからミサイルと銃弾を雨あられと小さな農村に向けて撃ちまくるところだ。それは「ベトナム戦争とは典型的なカイヨワ型戦争だった」ということを余りに雄弁に物語っていた。ストーリーもまた、奇抜だが良く練られている。エリートだったカーツ大佐は勝手に隊を離れ、現地に王国を築く。それで主人公の兵士達は「王」となった大佐を殺すため、ナング河を遡って行く。上流へと進むごとに出会う人間、起きる出来事は非文明的となり、野蛮な本能だけに支配された古代の世界へと変わる。そしてその「退行」の帰結が、彼の誇る「キングダム」である。有能で必ず任務を果たしてきたというカーツ大佐は、「ベトナムを武力によって支配する」というアメリカの偏執狂的な願望を東南アジアのジャングルの奥地で遂に実現して見せたのだ。彼は狂気に駆られたアメリカの恐ろしい落とし子に他ならなかった。了                             
[1] クラウゼヴィッツ『戦争論』岩波文庫1968参照
[2] カイヨワ『戦争論―われわれのうちにひそむ女神ベローナ』法政大学出版局1974参照

2007年12月12日水曜日

戦争のはらわた(サム・ペキンパー監督)

 サムペキンパー監督は現在に至るハードボイルド、バイオレンス映画のパラダイムを築いた偉大な人物である。また、アメリカンニューシネマの先駆けでもある。彼の残した作品は今でもなお、十分に鑑賞に堪えうるものばかりだ。
 彼の作品の特徴は、スローモーションや巧みなカット割りによる迫力に富んだアクションシーンだ。本作でもその実力は戦争を題材とする本作でも遺憾なく発揮されている。
 凄まじい勢いで吹き出す血しぶき、燃え上がる戦車、粉々に吹き飛ぶ建造物。荒くれ者たちの殺し合いが、血糊と火薬を使って手際よく描かれていく。
 しかし、「神は細部に宿る」という言葉があるように、真に優れた映画には、さりげないワンシーン、ワンカットにも強いインパクトを感じ取れる。たとえば、喚きたてる兵士を黙らせるために戦友が荒々しい「キス」を食らわせる場面、あるいは「お前は男の方が好きなんだな!!」と上官が部下を怒鳴り上げ無理やり「イエス!」と叫ばせる場面、または捕虜にした女性兵士を襲った男が逆に局部を噛み切られる場面などである。「戦争映画」でありながら、戦うということの「病理」や「苦痛」が、戦闘以外のシーンからもまた存分に伝わってくる。それはペキンパーが持つ「男たちの世界」への繊細な洞察力の成せる業であろう。
 本作は、「男の戦争」と「戦争の男」を描く乾いた、武骨な傑作だ。了

バッファロー‘66 (ヴィンセント・ギャロ監督)

 才人と名高いヴィンセント・ギャロの作品である。下馬評が総じて高かったので自分も期待していたのだが、はっきり言ってあまり面白いとは思わなかった。
 この作品を観てまず気づくのは映像の「クセ」だ。画質の色あせ具合は’70年代のハリウッド映画とダブって見える。また、カメラアングルもトリッキーだ。例えば主人公と誘拐した女、彼の両親の4人が食卓を囲む場面。正方形のテーブルに一同は座るのだが、カメラは必ず誰か一人と入れ替わって、残りの3人を撮るというスタイルである。ようするに4人いるはずなのに常に誰か1人が不在になってしまっている。これに似た場面を前にも見たことがある。松田勇作主演の『家族ゲーム』だ。ここでは一家の食事風景は、長方形のテーブルに全員が横一列に座るものとなっている。単なる食事の場面も工夫次第で印象的に仕上がるということに観客はこれを観て気づかされた。
また、ギャロは主人公の回想場面をホームビデオで再現するという手法も使っている。
 だが、これらの独自の技法がそのまま作品の面白さにつながっているかといえば自分はうなずくことが出来ない。あるいはその他にも、有名になったボーリングのシーンは自分にはコーエン兄弟の『ビッグリボウスキ』を連想させて新鮮味に欠けていたし、展開される数々の会話もタランティーノの脚本作に比べれば凡庸だ。また、BGMやカット割りに緩急をつけてテンポアップを図るという定石も踏んでいないため、だらだらと同じペースでストーリーが進行するばかりで次第にアンニュイさを覚えるようになった。                                        
 このように、不満だらけの本作だったが、あえて魅力を上げるならばヒロインを演じるクリスティーナ・リッチの強い存在感だ。日本で言えば安達裕美のようなポジションにいた彼女を子役から見事「女優」へと脱皮させたという点だけは、抜擢したギャロの感性の確かさが伝わり、次回作への期待へもつながった。了

2007年12月11日火曜日

クイルズ(フィリップ・カウフマン監督)

 「『精神の自由』よりも『自由な精神を』!!」という警句をかつて発したのは、マルキ・ド・サドを日本に紹介した作家・澁澤龍彦[1]である。
 この作品はそんなサド伯爵の「自由の精神」をエンターテイメント仕立てで描き出したものだ。ともすれば高尚で難解な物語にも成りかねないテーマを、ハリウッドならではの豪華な衣装や大掛かりなセット、テンポよい編集などによって小気味良く楽しい映画へと仕上げている。
 時はナポレオンの支配する19世紀のフランス。1789年のフランス革命は人間の自由と平等を実現しようとする、歴史上の大事件であった。しかし、そんな時世においても、低俗趣味のポルノや皇帝などの権威を茶化すものばかりのサドが書く小説は常に発禁・焚書の憂き目に見舞われた。しかし、それでも彼は決してペンを取ることを止めなかった。彼は精神病院に収容されるのだが、そこでもまだ凄まじい執念で書き続ける。ペンと紙を取り上げれば、次は自身の排泄物を使って部屋中の壁に文字を綴っていった。はたから見ればその姿はまさに狂人だった。
 しかし、ナンセンスな言葉を常軌を逸した手段を使ってまで一心不乱に書き続けるその姿は「表現する」というテーマについて根源的な問いを私たちに投げかけている。「本当に我々は『表現の自由』を享受して、何ものにも縛られず、自由に表現をしているのだろうか?」と。
「自主規制」や「差別表現」の名において自縄自縛に陥りながら次々と言葉を封印していく現代日本の文学やジャーナリズムのあり方をサド伯爵ならばどのように皮肉って書くことだろう。了
[1] 澁澤龍彦『サド伯爵の生涯』中公文庫1983等参照

ポーラX(レオス・カラックス監督)

 「待ち人がいつまで経っても来ない」というだけの演劇がある。かの有名な『ゴドーを待ちながら』[1]だ。ゴドーは待てども待てども現れない。来るのは関係のない人ばかりだ。この作品の根幹にあるのは「神の不在」といわれている。
では逆に「来た」としたら、一体物語はどのように変わるのだろう。「ゴドー」は「ゴッド」のメタファーであるのなら、仮に彼が来たのなら、そこに「神の救済」はあるのだろうか。
 本作は「ゴドー」が来た話のように思われる。古城に住む名家の青年の元に突然、「生き別れた姉」と名乗る女性が訪れる。そして、彼はすぐに彼女に魅了され始める。しかし、彼には既に結婚を誓った恋人がいた。「姉」の出現のせいで彼の人生は大きく狂いだしていったのだ。姉と名乗る女の正体は何なのだろう。彼女について分かっていることは「彼女が誰であるか」ではなく「誰でないか」だけである。面識は全くなく、ともに暮らしたこともなく、知人ではなく、家族でもない女。その存在は主人公にとって余りに謎だ。
 「招かれざる客の出現」という不条理な出来事は、私たちにも無論、縁のない話ではない。例えば自分は学生の頃しばしば「転校生」の影に脅えていた。自分と同じようなキャラクターの生徒がある日突然クラスに来て、今までに自分が築いたクラスでの地位や友情を全て奪い取ってしまう―そんな、自力では決して防ぐことの出来ない悲劇が怖かった。
けれども結局、一度としてそんな人物は現れることはなかった。しかし、主人公の元には「来て」しまったのだ。見も知らぬ女が、混沌と撹乱と愛憎を引き連れながら。
彼は結局、婚約者と彼女と3人で暮らすことにした。しかし、もはや彼の前には希望はない。時間はただ破綻へ向かって無常に流れてゆくだけである。「ゴドー」は「救済」ではなく「破滅」をもたらしに来たのだった。「神」とは時に理不尽な存在なのだから。
[1] サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』白水社1990

2007年12月10日月曜日

リリイ・シュシュのすべて(岩井俊二監督)

 いまだに絶え間なく疼く、心の古傷のことを昨今では「トラウマ」と呼ぶ。だが、その呼び方は「傷」の「リアリティ」を薄めてはいまいか。身体のケガと同じようにはっきりと「傷」と呼んで、その存在に向き合うことから逃避しないことこそ、自己の魂の回復につながるのではないか。この作品は、観る者皆が抱えるそんな過去の古傷をひどく疼かせてやまない。ただ、それが「魂の回復」にはつながらないかもしれない。ここに、この映画だけが持つ「やるせなさ」や「わり切れなさ」がある。
 本作は「どこまでも明るく爽やかで前向き」という従来の青春映画の全く逆をゆく。とにかく陰惨で暗くて「痛い」。誰もに必ずあるであろう、思春期の悪い記憶、悲しい出来事ばかりを詳細に再現していく。「中学生」という、大人と子供の狭間に置かれた不安定な存在が集う「中学校」というある種異様な空間の実像を、まるで中学生が撮っているかのごとく機微までを巧みに描き出す。
 作品の舞台は、大都市の郊外と化した地方都市である。郊外化した地方の街は大都市以上に荒んでいるといわれる。コミュニティや伝統が急激な都市化により破壊され、家族のあり方までも変貌している。少年の犯罪は大都市よりずっと多い。郊外化した地方には距離を超えて都会の悪意ばかりが流れ込んでいるのだ。善いものが模倣されることはない。[1]
そんな場所に生きる主人公達の心も例外なく荒れている。万引きや援助交際、いじめの日常化。純化され増幅された都会の欲望のみが支配する彼らの街は、ひどく哀れだ。主人公達にとって、そんな暮らしの中で純粋さと汚れなさをかろうじて保っているものは澄んだリリイの歌声と緑の田園だけである。
制服のままの主人公が田圃の真ん中で、ヘッドフォンを付けてリリイの曲に聞き入る美しいシーンはその象徴だ。
映像について述べれば岩井は非常に独創的と言えよう。スクリーンには常に淡い光が差し、全体が白っぽくぼやけている。このスタイルはデビュー作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』以来変わっていない。この光が映像を幻想的にし、かつ観る者に切ない感情を与えることに成功している。「キタノブルー」と北野武の映画を形容するが、岩井の特徴はこの「イワイライトニング」だと言える。また、演出もかなり抑制され演技も北野作品のようにぶっきらぼうで素人ぽい。これがまた映像にドキュメントのようなリアリティをもたらす。時々主人公達がハンディカメラで撮る映像に変わるがそれもまたドキュメント性を生んでいる。「演出を極力抑える」という演出手法が多用されている。
作品を貫くのは「イワイライトニング」とこの演出手法によるであろう「静謐な空気」だ。この映画の中では、行使される暴力も大きな音では主張しない。血は流れるし人は死ぬのにかまびすしさはなく、全ては静けさの調和へと帰ってゆく。それは、優等生だったが一家離散のせいで一気にぐれた星野とその仲間によって暴行された少女が、頭を丸坊主にして無言で学校に復帰するという場面に典型的に表されている。
藤沢周は『オレンジアンドタール』[2]において「授業中に抜け出した校舎の廊下はいつも何かが用意されている気がする、よく分からないけれど何かが隠れている」と書いていた。本作からもこのような思春期の繊細な感性を非常に強く感じることができる。
それでは、主人公達にとって「リリイ・シュシュ」とは一体なんであったのだろうか。彼女について頻繁に彼らがつぶやくのは、「感性の触媒」という意味らしい「エーテル」という言葉だ。彼らにとっては彼女こそ、荒んだ街と荒れた日常の中での唯一の「聖性」だったのかもしれない。非行に走った星野と主人公をつなぐのは「リリイへの思い」だけだった。けれども二人とも、結局自身のエーテルを、犯した罪によって汚してしまった。だからもう彼らの耳には彼女の歌声は聞こえない。彼らが崇め続けたリリイの旋律は、傷つき傷つけあい、心の汚れた彼らにはもう2度と届かないのである。    了
[1] 三浦展『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』洋泉社2004参照
[2] 藤沢周『オレンジ・アンド・タール』朝日新聞社2000 11~12頁

2007年12月8日土曜日

ヒトラー最期の12日間(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)

 「人は未来を急ぎすぎる。あまりに多くの未清算の過去を残して」[1]
 妻がユダヤ人だったが故にナチスに追われ亡命生活を余儀なくされた、独の詩人・ブレヒトはこのような言葉を残した。
 そして、「過去」というものが「歴史」に変わるまで、およそ60年だと言われる。従って、61年前に終わった第二次大戦の体験者が社会からいなくなりつつある現在、私達は生の過去がよそよそしい歴史へと変わりつつある瞬間にまさに立ち会っているのであろう。[2]
 あの戦争とは何だったのか。なぜ、有史以来最悪の死者と破壊を世界にもたらしたのか。
 本作はヒトラーという指導者をテーマとすることによってこの問いに正面から応え、未清算のまま歴史に変わろうとする過去をわずかでも「清算」しようと試みたものである。
 1945年4月、連合軍の猛攻にさらされるベルリンの地下壕の中でヒトラーは叫び、喚き、怒鳴りながら側近たちに指示を出し続ける。だが、どうあがいても形勢を挽回できないことが分かると「ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るしかない」。と述べ、国内のあらゆる生産施設を破壊するよう命じた。そして、「国民に慈悲を」という懇願には「わが国民が試練に負けても、私は涙など流さない。それに値しない。彼らが選んだ運命だ、自業自得だろう」。と切り捨てた。
ヒトラーという人間の恐ろしさがこうして浮き彫りにされてゆく。しかし、本当に何よりも恐ろしいことは、彼が「選挙によって権力を握った」。という事実に他ならないのだ。だからこそ部下のゲッペルスもまた、「同情など感じない。彼らが選んだ運命だ。驚く者もいようが、我々は国民に強制していない、彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ」。と吐き捨てる。
彼らのこういった言葉は、民主主義という制度の脆弱性と危険性を鮮烈に暴露していよう。ナチスが台頭したワイマール共和国はその当時、世界で最も進歩的であると評され、各国の模範とされた民主主義憲法を持っていた。だがヒトラーらはそれを逆手に取り、言論・結社の自由の名分の下に極右的な意見を宣伝し、暴力的な集会を開催したのである。そして、対抗勢力を弾圧しつつ大衆を熱狂させて選挙で政権を奪取するに至る。次いで全権委任法を作り、完全な独裁体制をここに確立した。この時憲法はもはや死んだも同然となった。
 民主主義の保障する自由を乱用して民主主義を破壊する自由を行使した、このナチスの
エピソードは「トロイの木馬」と呼ばれる極めて重要な問題だ。民主主義を否定する自由を認めないことは民主主義の原則に反するのではないか、否、それを許すことは民主主義そのものを殺しかねないのではないか、ということである。[3]
だが歴史が伝えるのは、多くの人間は偏狭な民族主義と愛国心を、平和や共存という民主的な価値よりも好む傾向にあるという紛れもない事実である。理性や知性に訴える政治家よりも憎悪と対決を叫ぶアジテーターの方を選挙民は愛してしまう。
「西欧の民主主義など衆愚政治でしかない」。と公言するヒトラーを狂信的に支持した当時のドイツの民衆は確かに蒙昧であったかもしれない。けれどもそのような指導者を生み出した責任は、全て一人ひとりの選挙民達に容赦なく降りかかってくる。それが民主主義という制度の苛烈な本質に他ならない。まさに「自業自得」なのである。
無論、日本もまた例外ではない。当時多くの民衆が真珠湾攻撃に喝采を送り、アメリカとの開戦に歓喜したことは言うまでもない。
だがしかし敗戦後、国民は皆、一様に「政府に騙された」。とだけ語った。自らの責任に言及する者はいなかった。「私は悪くない」。と内心思い込んでいた。
この態度には、ホロコーストの首謀者にも係わらず「自分はただ命令に従っただけだ」。と裁判で主張し続けたナチの高官・アイヒマン[4]と重なるものを感じる。
これに対し、一国民として敗戦の現場に立ち会ったある人物はこのように語っている。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲では俺がだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」。
 「だが、だますものとだまされるものが揃わなければ戦争は起こらないのであり、従ってだまされたとさえ言えば一切の責任から解放されると考えるのは間違いである」。
 「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実の中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力や思考力を失った、国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」。 
そしてこのように結論する。
「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でもだまされるだろう。いや現在でも既に別の嘘によつてだまされ始めているに違いないのである」。[5]
この一節にはまさに、指導者にのみ責任を押し付けて戦争の過去を未清算にしたまま未来を急ぐことへの渾身の警告が込められているであろう。
彼の言葉が今なお有効であることを思い知らせる出来事が先日あった。財政破綻した夕張市のある市民が「自分は市に何も迷惑をかけていないのに、なぜこんな負担を負わすのか」。と市の説明会で職員に詰め寄る光景が報道されたのである。だが、「何もしなかった」ことは民主主義社会においては自らの責任放棄でしかない。政治への無関心を決め込んでいた多くの市民達は乱脈行政のツケを全て背負わされる形となった。「騙されること」同様「行動をしないこと」も罪なのだ。それもまた権力の専制と腐敗を助長させるだけだからである。
「ナチ等が共産主義者を攻撃した時私は多少不安だったが共産主義者ではなかったので何もしなかった。次いで社会主義者を攻撃した時も何もしなかった。次いで学校が、新聞が、ユダヤ人が攻撃されたときもまだ何もしなかった。ナチ党は遂に教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。しかし、それは遅すぎた」。[6]ある聖職者はこう後悔した。
日本国憲法にも、このような条文がはっきりと記されている。
「第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
「人間が歴史を学んで分かることは人間は歴史から何も学ばないということだけだ」。[7]などというニヒルな諦観を排して、我々がこうした過去の事実から真摯に未来への教訓を得ようとするならば、それは上記のように騙されること・不作為であることの取り返しのつかない責任を常に決して忘れないことであり権力への警戒を絶えず怠らないことである。
そして、さらに民主主義にとって不可避かつ最も重要なアジェンダは、冒頭に記したような「トロイの木馬」という問題に違いない。
かつて福沢諭吉は「パトリオティズム」という言葉を「報国心」と翻訳し、偏った不公平な心であるとみなしていた。[8]あるいは「偏愛心」と訳した辞書もあった。そしてワイマール憲法よりもはるかに非民主的な憲法下の当時でさえ、近代国家樹立の中心人物であった井上毅までも「君主は人民の良心に干渉せず」と言っていたのである。君主であろうとも自分の理想を臣民に押し付けてはならない、それが立憲制であると当時の政治家は理解していた。[9]
戦前日本の破滅は、このような立憲制の理念がナチスと同じように為政者により徐々に踏みにじられ、死に追いやられてゆく過程を国民の側が許してしまったことに起因する。
だが、この過ちは「愛国心」というものが世界から消え去るまでまた何度でも繰り返すかもしれない。
「人間という種族から愛国心という奴を叩き出すまで諸君は決して静かな世の中をおくることはあるまい」。[10]ある劇作家の言葉である。
けれども、「国家」が存在する限り決して「愛国心」は無くなることはないであろう。だが、いまだ「国家」に代わるより良き統治機構が見つからない現在、「国家」は必要悪であり、誰もが依存せざるを得ないものである。ならば、唯一の解決策は「愛国心」との向き合い方だろう。上述したように、この感情は偏狭なものであり、常に排他的だ。同胞を愛することは他者を憎むことと同義となる。だから、いつの時代も「愛国」を叫ぶ政治家や集団は自国の外部と内部に「我々の敵」がいて我々の生存を脅かしている、と煽り立てて止まない。しかし、無論「愛国心」は彼らの占有物ではないのだ。したがって、たとえ「愛国心」を無くすことが出来なくともこれを悪用する「愛国者」は不要であり有害な存在でしかないため、無くすことが出来るし、無くすべきなのである。
そのために不可欠なことが、「木馬をトロイに決して入れない」という現実的な選択だ。デモクラシーの大義の下に、自由を否定する自由までをも許してしまったことにナチズムという狂気の台頭は明確に由来する。この問題は別の言葉で表すならばこうである。
 「「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」[11]
 進歩的知識人であったある人物は「そうすべきではない」と述べた。だが、戦後ドイツは反対に「そうすべきである」と明言した。ドイツの憲法では、かつてのナチスの教訓から「自由な民主的基本秩序」という憲法の基本価値に当たる部分の改正を禁止し、それを脅かす政党は憲法違反として解散させる、という規定も設けられているのである。[12]
 この考え方は、現在北欧で伸張している右翼政党に皮肉にも顕著に見られる。例えばデンマーク国民党はネオナチと異なり、社会民主党以上に福祉重視の政策を掲げ、同性愛者の権利を擁護し少数派の生き方を尊重する姿勢を強調する。他方でこのような価値を認めないイスラム教徒の移民排斥を訴えるのである。こうして、「不寛容なイスラム社会と対抗する寛容な国民政党」というイメージを前面に押し出すことに成功し多大な支持を得た。[13]
 いうなれば、彼らは「リベラルな保守主義者」という形容矛盾した新しい勢力なのである。だが、このような「トロイに入れる者は寛容な者のみとする」、という「不寛容」な考え方こそ、自由を守る賢い戦略なのではないか。そして、この政党のような「寛容に対してのみ寛容であれ」という勢力にとって、「愛国」を掲げることは「寛容な我々の社会を愛する」ということとなる。これは、運命共同体としての国家や伝統などではなく憲法の規範的な価値に国民のアイデンティティを求めるべきである、とする哲学者ハバーマスが提唱した「憲法愛国主義」[14]に相似する理念だ。
したがって、それはネオナチのような偏狭な民族主義とは異なる、暴力や流血を招かない、より穏健で安全な「愛国心」の形を示しているであろう。惨事をもたらしかねない、ナチスのような「右翼」から「民主主義国家」というトロイを守るものは実は、「あなたの意見には100%反対だがあなたがそれを言う権利は100%命を賭けて守る」[15]とする「左翼」ではなく「ただし、自由を脅かさない範囲内において」という留保を付ける、ナチスの影を振り払った新しい「右翼」なのかもしれない。
 最後に、ナチスに追われながらブレヒトが書き残した言葉を再び紹介しよう。
 「英雄のいない国は不幸だ!」「違うぞ!英雄を必要とする国が不幸なんだ」[16]
 なぜなら、英雄はいつも戦争を引き連れて現れるからである。了


[1] ベルトルト・ブレヒト『ブレヒト詩集』土曜美術社参照
[2] 野上元「『過去』が『歴史』へ変わるプロセス」『朝日新聞夕刊』2006/12/7付参照
[3] 宮沢俊義『憲法論集』有斐閣参照
[4] ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』みすず書房参照
[5] 伊丹万作「戦争責任者の問題」『伊丹万作全集1』所収 筑摩書房参照
[6] ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』未来社参照
[7] ヘーゲル『歴史哲学講義』岩波書店参照
[8] 福沢諭吉『文明論之概略』岩波文庫
[9] 樋口陽一・山室信一「国家とは何か」『朝日新聞』2006/6/18付参照
[10] バーナード・ショー
[11] 渡辺一夫「「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」『渡辺一夫評論集 狂気について』所収 岩波文庫参照
[12] 樋口陽一『個人と国家』集英社新書参照
[13] 「新右翼の欧州」『朝日新聞』2006/12/1付参照
[14] 上述「国家とは何か」『朝日新聞』2006/6/8付参照
[15] ヴォルテール
[16] ブレヒト『ガリレイの生涯』岩波文庫

出口のない海(佐々部清監督)

 その「船」には、外へ逃れる扉がない。そして、真っ直ぐにしか進めない。したがって、一度出撃したならば、搭乗員には「生きて帰る」こと以外の2つの結末だけが待つ。
 一つは、目的通り敵艦に衝突し相手もろ共沈没することであり、もう一つは、敵に発見され撃沈されるか、操作を誤って岩盤に突き刺さり、暗い海の底で孤独に死ぬことである。
 これが、「天を回らし、戦局を逆転する」という願いを込められた、日本海軍の秘密兵器『回天』に乗り込んだ者へもたらされる運命であった。志願者は20歳前後の学徒出身兵や青年士官達である。終戦までに1375名の若者が訓練を受け戦没者は106名に上った。[1]
 主人公の並木浩二もその中の一人だ。彼は自慢の速球で甲子園を沸かせたスター選手だった。今は大学野球で活躍しているが、肩を故障し、剛速球を投げられなくなってしまった。それでも挫けずに、それに代わる新しい変化球の発明に日々腐心していた。だが戦況の悪化により1943年「学徒出陣」が行われ、彼もまた野球を辞め海軍に入ることとなる。
 そして、1944年に正式兵器として採用された『回天』に、彼は自ら乗り込む決意をする。
 狭く暗い潜水艦の中で何度も繰り返す「攻撃準備」と「待機」の命令。自分より先に発進し、「軍神」となった戦友。やがて、ついに自身にも「出撃」命令が下る。父、母、妹、そして恋人、野球をした仲間たち…短い人生で出会った大切な人々の記憶が頭をよぎる。
意を決して、発進レバーを引く。だがモーターは回らなかった。整備不良の為に、彼は命を救われたのだ。まるで、執行を待たされ続ける死刑囚のような極限状況である。
 また、訓練中の操作ミスで危うく命を落としかけた主人公を上官が殴り倒す場面はとても印象的だ。殴打された主人公は「ならば貴様が乗れ!!」と怒り狂って叫ぶ。
 古代ギリシャの言葉に「戦争では老人が語り、若者が死ぬ」というものがある。この格言は古今東西あてはまるに違いない。
 1943年3月に出された京都市本能国民学校(現在の小学校に当たる)の卒業アルバムでは以下のような、学校長の尋常でない祝辞が子供達へ贈られている。
 「私は『強く生きよ、最後まで頑張れ』、更に又『征け、戦へ、死ね』この二語をはなむけとして皆さんの門出を勇ましく送り…」[2]
 こうして無垢な若者たちは、戦場で死に「軍神」になることが人生で唯一至上の価値だと信じ込み、青春のすべてを戦争に捧げ、無惨に散っていったのである。
 主人公・並木浩二の姿は、戦前実在したスター投手・沢村栄治の悲劇と重なる。沢村は
数々の記録を打ち立て1936年巨人に初優勝をもたらす等プロ野球黎明期の立役者となった。だがその後徴兵され、戦地で重い手榴弾を投げさせられたため肩を痛めて速球を投げられなくなった。そして巨人解雇後に三度目の召集を受け1944年に27歳で戦死した。[3]
 こよなく野球を愛した並木や沢村の手から白球を奪い、代わりに操縦桿や手榴弾を握らせたのは誰なのか。並木の回天は、海の岩盤に衝突し、彼は身動きの取れないまま死んだ。
 無謀な戦争によって、数多の前途ある若者達を犠牲にした挙句、日本は敗れた。そして、「征け、戦へ、死ね」と説いた大人達は、空襲で焼き尽くされた街で遅すぎる後悔をした。
 「逝いて還らぬ教え児よ 私の手は血まみれだ! 君をくびつたその綱の 端を私も持つていた しかも人の子の師の名において 嗚呼! 『お互いにだまされていた』の言い訳が なんでできよう 慙愧 悔恨 懺悔を重ねても それがなんの償いになろう 逝つた君はもう還らない 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ 涙をはらつて君の墓標に誓う 『繰り返さぬぞ絶対に!』」[4] 
 よく、「過去に縛られない」とか、「過去にとらわれない」などという声を耳にする。「過去」というものはまるで、人間が未来へ進むのを阻む足かせであるかのようだ。
 だが、主人公の並木は死ぬ前に仲間にこう言い残した。
 「俺は軍神になんかなりたくない。ただ、将来のこの国の人たちに、日本のためにと、自分のように自爆攻撃によって命を犠牲にした若者達がいたという事実を忘れないでおいてほしいだけなんだ」。
 けれども、余りに今の日本の私達は「歴史」を知らない。『回天』のことも知らない。
 だから、並木浩二は「忘却」という名の記憶に対する暴力によって、再び殺される。
 哲学者ヤスパースは、「ドイツ人は罪のない者も責任はある」と第二次大戦を語った。[5]
 この「責任」とは、当時まだ生まれていない世代にも生じるのではないか。それは、もう二度と再び自らの国に戦争をさせないという強い意志と決意を持ち続けることである。
 たとえば、劇団「地人会」は、22年間にわたって原爆をテーマにした『この子たちの夏』の公演を毎年各地で続けている。「俳優座」もまた同様だ。「私たちにできること」、それは「語り継ぐこと」だ、という揺るぎない思いが彼ら俳優たちからは熱く伝わってくる。[6]
 この国で約60年前に実際に起きたこと。極めて端的に言えばそれはこんな事だ。
「日本よい国花の国 五月六月灰の国 七月八月よその国」
 アメリカ軍の戦闘機B29はこう書いた宣伝ビラをまいた後、大編隊で無差別爆撃を行い、一晩の間に10万人が焼け死んだ。1945年3月10日の東京大空襲である。[7]
 それでもなお、日本は降伏せず、さらにB29はこんな新たなビラを広島にまいた。
 「日本よい国、カミの国、カミはカミでも燃える紙、この夏ごろは灰の国」
 「広島見たけりゃ今見ておきゃれ、ぢきに広島灰になる」[8]
 そして同年8月6日、広島は原爆を投下され、文字通り灰燼に帰し、10万人が死んだ。
 こうした悲惨な過去を記憶し続けることは、未来への「くびき」でしかないのだろうか。
否、そうではない。ナチスとドイツサッカー界の関わりを詳細に記した初の書物『ナチス第三帝国とサッカー』(現代書館)の著者ゲールハルト・フィッシャー氏はこう述べる。
 「過去に起きたことにきちんと向き合うことで、未来に自由が生まれる」。[9]
そして「およそいかなる平和もたとえそれがどんなに正しくないものであろうと、最も正しいとされる戦争よりは良いもの」[10]なのだ。これが並木ら戦死者達の願いであろう。 了  
[1] 『朝日新聞』夕刊 2006/08/31参照
[2] 早乙女勝元「『征け、戦へ、死ね』戦中の卒業アルバムから」『しんぶん赤旗』2004/03/24 
[3] 北原遼三郎『沢村栄治とその時代』東京書籍 参照
[4] 竹本源治教諭『るねさんす』高知県教員組合機関誌 1952年1月号
[5] カール・ヤスパース『戦争の罪を問う』平凡社参照
[6] 菅井幸雄「演劇時評」『しんぶん赤旗』2006/09/21参照
[7] 宮本百合子『播州平野』新日本出版社参照
[8] 井上ひさし 演劇「紙屋さくらホテル」参照
[9] 『しんぶん赤旗』2006/07/09
[10] エラスムス『平和の訴え』岩波文庫

時代を撃て・多喜二(池田博穂監督)

「厳密に、大胆に、自由に『今日』を研究して、そこに我々自身にとっての『明日』の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である」。と石川啄木は記した。[1]
小林多喜二にとって、その「必要」とは、困窮と不正に満ちたこの暗黒の世界を変えるために誕生したプロレタリア文学に他ならなかった。
戦前、多喜二が現れるまでは、日本での反戦・反軍国主義の文学は北村透谷や与謝野晶子など日清・日露戦争以来流派や思想を超えた伝統を形作ってはいたが、文壇の主流は、政治の問題を取り上げない、作者の日常生活を描いた、「社会」のなき私小説であった。
多喜二はこのような現状に抗い、正面から「社会」をテーマとして扱い、また、彼が確立したプロレタリア文学は、初めて反戦・反軍国主義文学の組織的運動として追求された。
「自分の文学は、ただ小説を書くことじゃない。働いている大勢の人たちの世の中のために役に立つ小説を書くことだ。そのために一生を捧げるつもりだ」。と決意を述べる。[2]
「大勢の人たち」は当時、安い賃金で長時間働かされ、人間としての権利も認められず、貧困にあえいでいた。そしてたびたび政府が起こす戦争によって、兵隊にも採られた。
「おい、地獄さ行ぐんだで!」で始まる、漁夫達の奴隷労働を描いた代表作『蟹工船』の中で多喜二は、天皇へ献上する蟹缶詰に「石ころでも入れておけ!――かまうもんか!」と書き生活の問題と政治の問題を巧みに結びつけた。工船は当時の日本の縮小図だった。
だが無論、このような多喜二の作品を権力が許すはずがない。削除、伏せ字、発禁…、あらゆる弾圧が彼のペンには加えられた。それだけでなく、徐々に彼そのものが官憲に付け狙われ始めた。幾度にわたる逮捕・拷問・投獄…、がしかし、多喜二は決して信念を曲げることをしなかった。それどころか1931年には共産党に入り、地下に潜伏するに至る。
虐げられている多くの人々の為に命を賭ける日々。彼の心は、こんな一篇の歌だった。
「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど―」[3]
圧制を告発し、人民を鼓舞して勇気を与える多喜二の作品は、この国だけに収まらなかった。スターリンの大量弾圧が猛威を振るった30年代のソ連においても、自国での専制への隠れた抗議の思いを込めて翻訳され、読者の反権力的な自覚を促したという。[4]
だが、1933年2月2日、遂に多喜二は赤坂でスパイの手引きにより逮捕される。そして築地署において、畳用の太い針や鉄棒などを用いた容赦ない拷問を受け、惨殺される。
本作はこの多喜二最期の場面を克明に再現する。彼はどんな激痛を加えられても決して何も語らず、ただ「早く殺せ!!」とだけ叫んだ。それはチェ・ゲバラの死に際と重なる。
従って普通の人にとっては、彼は非凡な意志と才能をもった、自分達とはかけ離れた特別な人間にしか見えないのかもしれない。だが、彼はこう固く信じていた。
「国民が団結すれば勝つといふ事、多数は力なり」[5]
だから多喜二は『蟹工船』をこんな言葉で締めくくるのだ。
「俺たちの味方は俺たちしかいない」。「そして、彼等は立ち上がった―もう一度!」了
[1] 石川啄木『時代閉塞の現状』1910
[2] 米倉斉加年「多喜二を考えることは今を考えること」しんぶん赤旗 2004/12/04参照
[3] 石川啄木「悲しき玩具」『一握の砂・悲しき玩具』新潮文庫
[4] 「小林多喜二国際シンポ・下」しんぶん赤旗2004/09/10参照
[5] 石川啄木 1911年1月3日付日記 (片山潜指導の市電ストの勝利を受けて)

2007年12月6日木曜日

風のファイター(ヤン・ユノ監督)

 この物語は、チェ・ペダル(日本名・大山倍達)という一人の青年が路傍の雑草から稀代の美しき花へと大成するまでを描いた真実のストーリーである。
 第二次大戦中、軍人を志し、日本へと密航した主人公・チェ・ペダルは山梨航空機関学校に入学する。だが、そこで待っていたのは朝鮮人への凄まじい差別と虐待であった。仲間を救うべく遂に将校に対決を挑んだものの、全く歯が立たず無惨にも返り討ちにされる。
 そして戦後は、東京の闇市で同胞とパチンコ屋を開くなどして窮乏の中を必死で生きようとした。しかし、またしても朝鮮人であるがゆえに、不条理な差別と暴力に見舞われることになる。地元のヤクザによって商売を妨害され、袋叩きにされてしまうのだ。抜き身の日本刀を持った組長を前にして公衆の面前で失禁した彼は、笑い者となる。そしてその後、「池袋の小便漏らし」というあだ名で呼ばれ続けた。
 かくもこのように彼の半生は、恥辱と屈辱にまみれた余りに惨めなものであった。自らや同胞に容赦なく襲い掛かる様々な苦難に対して、やがて彼はこのように悟る。
 「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である。自分と他人を守れる力を育てなくてはならない」。と。
 そして単身、険しい雪山に篭もる。厳寒と飢餓の中、岩石に手刀を食らわせ、大木に蹴りを入れ、雪原を駆け抜け、凍りついた滝をよじ登る。こうした、狂気とも言える血を吐くような鍛錬によって、彼は猛虎へと生まれ変わることができた。
 「神聖なるものがあるとすれば、人間の身体こそ神聖である」と、ある詩人は語った。だからこそ、ペダルは己の肉体に宿る自分だけの「神」を信じて、全国を渡り歩いて各地の強豪たちと拳を交えていった。そして、どこまでも強靭な精神をもって修行を続ける彼はこの「神」に寵愛された。彼の武術の前にあらゆる猛者たちが崩れ落ちた。
「修練は、毎日、自分の限界を突破することをはっきりと意識して、挑戦的に進めなくてはならない。(中略)どうしても破れない限界を死力をもって突き破るのが、修行というものである」。[1]ペダルにとって、鍛錬とはこのようなものであった。
だからこそ、彼の繰り出す蹴りや突きは凄まじい威力で相手を打ち倒した。弓道家・阿波研造は、「弓術では弓は『私』が射るものではなく、私が無になったとき矢は放たれる」。と述べた。[2]ペダルはこのような超人的な集中力で、技を出したに違いない。そして、その一発一発はまるで、遥か遠くの平家の軍船にある扇の的を射落とした那須与一のような正確さと破壊力で相手に襲い掛かったのである。彼が「一撃必殺」を謳った由縁だ。
物語の最後に彼は、かつて航空機関学校で返り討ちにされた将校に再び挑み、圧勝する。
だがこう言う。「俺はいつも戦うのが怖い。それでも俺はいつも新たな強敵を探し求める」。
 三島由紀夫は語る。「青年たちは、自分がかつて少年雑誌の劇画から学んだ英雄類型が、やがて自分が置かれるべき社会の中でむざんな敗北と腐敗にさらされていくのを、焦燥を持って見守らなければならない。そして、英雄類型を滅ぼす社会全体に向かって否定を叫び、彼ら自身の小さな神を必死に守ろうとするのである」。(『行動学入門』文春文庫70頁)
彼はまさに生涯を賭してこの正義の英雄を否定するものへ挑み続けた永遠の青年であった。
[1] 大山倍達「第二章 たゆみない修練」『強く生きたい君へ』光文社2004参照
[2] オイゲン・ヘリゲル『無我と無私』ランダムハウス講談社2006参照

バイオハザード3(ラッセル・マルケイ監督)

 「台風が直撃する中、自宅にいる時に感じた楽しさ」、この感覚を覚えているだろうか?
暴風が庭の木々を捻じ曲げ、暴雨が家々の屋根や外壁を打ちつける光景を子供部屋の窓から眺めたとき、不謹慎にも僕はこの上なくワクワクしたものだ。
 危険地帯の真っ只中へ、守られながら身を置く「安全圏の四面楚歌」とでも言えよう状況が私たちはとても好きなのかもしれない。
 ゾンビものの映画が根強い人気を誇る一因もここだと思う。
 逃げ込んだ建物のドアの前にテーブルやタンスを置き、窓に板を打ち付けてゾンビの大群の襲撃へ備える主人公たちに、台風の日の自分たちの姿を重ね合わせてとてもエキサイトするのであろう。
 本作の場合、生き残った人間たちは武装した大型トラックを連ねて安全地帯と物資を求めながら国中を旅している。今、彼らにとって唯一の安全圏は狭くて暗い車の中だけである。屈強な戦士たちが先頭に立って旅団の子供や老人を守っているのだが、ゾンビ化したカラスの大群に襲われ多くの仲間が犠牲になっていく。
 そうした窮地に現れて皆を救ったのが主人公アリスだった。そして彼らと行動を共にし、唯一の安全地帯と聞いたアラスカを目指すことになる。だが、ゾンビウイルスを開発し、世界を破滅の危機に追い込んだアイザックス博士は人工衛星まで駆使して執拗に主人公を追いかける。主人公にゾンビを倒し得る特殊な遺伝子を発見したためだ。
 しかし皮肉にも、自らが開発したゾンビに噛まれて博士自身も凶暴な巨大ゾンビと化して主人公と戦うことになる。この狂気のアイザックス博士という人物は、かの『博士の異常な愛情』[1]に登場したマッドサイエンティストのストレンジラブ博士を思い起こさせる。同博士の水爆に対する愛情はそのまま、アイザックス博士のゾンビへの執着と重なる。ただ二人の博士を取り巻く状況は大きく異なる。前者は冷戦期の強大なアメリカ政府が後ろ盾となっていたが、後者は近未来、アメリカ経済を支配する超大企業・アンブレラ社がスポンサーとなっていた。
 「国家をも凌ぐ存在となった大企業」という描写は私たちの未来への暗い予言にも感じられる。この作品は、人類破滅の局面が近づいているにもかかわらず、不思議なほどに軍隊や警察といった国家に属する武力組織が登場してこない。地上は無政府状態であり、唯一万全に機能しているのはアンブレラ社が司る地下組織だけである。
 博士を倒した後、主人公が大量に製造されていた自分のクローンたちを発見するシーンで本作は終わる。まるで主人公の存在までアンブレラ社の実験であったかのようだ。
 日曜の夜というのに劇場は大勢の若い人で溢れかえっていた。一見、ただ流行のゾンビ映画を楽しみに来ていただけに思えたが、鑑賞後そうではない気がしてきた。
「希望は戦争」と語る、31才フリーターのように[2]大企業と政府がもたらした貧困や過労によって「安全圏」を奪われていく中で漠然と若者達は「この世の終わり」を願っているのかもしれない。だからこそ、ゾンビに覆いつくされた世界に惹かれる。だからこそ、「絶望」に喝采を送るためにわざわざ劇場へ足を運ぶ。月曜の朝が来ないことを望みながら。
[1] スタンリーキューブリック 1964年
[2] 「『丸山真男』をひっぱたきたい」赤木智弘 『論座』2007年1月号

それでもボクはやってない(周防正行監督)

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」
 「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
以上は日本国憲法第31条「法的手続きの保障」及び36条「拷問及び残虐刑の禁止」条文である。このように現憲法は戦前の刑事手続における異常な人権侵害の経験を踏まえて、第31条以降で極めて詳細に刑事手続における人権保障の規定を設けている。ところが実際の刑事捜査では、職務質問・所持品検査・別件逮捕・代用監獄での長期拘留・自白を強要する過酷な取調べなど、人権を侵害するような違法な行為が頻繁に生じている。
そして、作中の弁護士の言葉を借りれば、「痴漢冤罪とは、現在の刑事裁判の問題点がはっきりと表れている」事案に他ならない。
フリーターの金子は満員電車で女子中学生に痴漢と間違われる。そしてパトカーに乗せられ警察まで連行される。最初から犯人だと決め付ける刑事によって、取調べでは怒鳴られ脅され罵倒され続ける。「正直に認めれば、略式起訴で罰金払ってすぐ釈放だ」。とささやかれても、それでも彼は否認し続けたため、実に3ヶ月も拘留されることになった。
まずこの点に刑事捜査の重大な問題点の一つが浮き彫りにされる。いわゆる「代用監獄」と「人質司法」である。警察は、逮捕した被疑者を署内に設置されている留置場(代用監獄)に最短でも23日間収容できる。4,5人の容疑者がまとめて狭い一室に入れられ、睡眠・食事・運動・入浴から面会・差し入れまで、生活や行動の全てを警察の管理・規制のもとにおかれる。また、ここは外からの監視もチェックもない密室だ。警察はその権限を存分に使って自分たちが思い描いた通りの自白を強制するのである。「冤罪の温床」と呼ばれる由縁だ。
「カローシ」と並び「ダイヨーカンゴク」は国際的に通用する日本語となった世界の非常識である。被疑者の人権を守るため、捜査機関と身柄拘束施設を分離するというのは世界共通の原則だ。日本の代用監獄制度は国際人権連盟、国際人権委員会、国際法曹協会などから厳しく批判されている。だが、驚くべきことに政府は逆に代用監獄恒久化のための「拘禁二法案」を82年、87年、91年と三度に渡り提出した。しかし国民的な批判でいずれも廃案になった。だが2006年にも再度提出し、ついに可決されてしまったのだ。[1]
警察にとって代用監獄制度が好都合なのは、いまだに「自白は証拠の王様」と考える刑事裁判のために、とにかく被疑者から自白を取ることだけを中心にした捜査を進めるからである。この制度を用いれば被疑者を家族や弁護士から隔離して、長時間、深夜に及ぶ取り調べが可能になる。そして、自白するまで数ヶ月拘留し続けることもできる。[2]
裁判官は法廷での被疑者の陳述より、自白をした調書を重視するのが現状なのだ。「やりもしていない犯罪を認めるわけがない」。という先入観にとらわれているためである。だから刑事裁判は「調書裁判」とも言われる。このため、被疑者が罪を認めない事件の場合、調書に基づく事実認定に相当の時間を要してしまい、裁判が長引く要因にもなっている。[3]主人公は否認を続けたため、3ヶ月の留置所生活の後、200万円の保釈金を払い、その後在宅で1年以上も裁判を戦うことになってしまう。
身の潔白を訴える彼の言い分は検察官にも全く聞き入れもらえず、起訴される。そして、起訴された次に待つのは有罪率99.9%の刑事裁判だ。被疑者が犯行を否認している事案であっても無罪判決が下るのはわずか3%だと、彼を担当する弁護士は吐露する。
始まった裁判においては、現代の裁判官と検察が抱える問題が鮮明にされてゆく。端的に言えばそれは「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が全く守られていないということである。
裁判は本来、検察側の有罪立証に対して弁護側が合理的な疑問を差し挟むことが出来れば無罪なのだ。ところが、実際は捜査権のない弁護側が無罪の証明をしないと無罪を勝ち取るのは難しい。モノ・行為の存在を巡って、「あること」に比較して「ないこと」を証明することが極めて困難であることは古代から「悪魔の証明」や「ヘンペルのカラス」という言葉で語り継がれているほど有名なアポリアである。なおかつその証明義務を、予算も人員も司法当局より遥かに劣る被告の私人に対して負わせているのが実態なのだ。
本作でも主人公は支援者と協力して、多大な費用を費やしスタジオを借り電車内の再現ビデオを作ったり、駅で早朝からビラまきをして目撃者探しに奮闘することを強いられる。
本来、こうした検証作業は警察・検察側の仕事のはずだ。それが為されていないのだ。[4]
 また、主人公の弁護士が公判において、検察側に被告の無罪を示しうる証拠も提出せよ、と迫るが「不見当です」の一言で片付けられる。たとえ実際にそれが存在していたとしても検察官には提出義務がないのである。日本の刑事裁判の場合、被告人の無実を示唆する証拠があっても、検察官が隠匿するのを止めることが出来ない。捜査によって無罪の証拠を入手したとしても検察は無視してしまうのだ。この実態もまた、冤罪の温床とされる。[5]
 このような「証拠」を巡る深刻な現実の次に暴かれるのは、公正中立の立場で良心に従って真実を見極めるべき裁判官の、理念とは程遠い姿である。
 社会経験が皆無に近く、満員電車に乗ったこともない裁判官が被告に対して、「前にいるのが女性であるのを分かっていたのにあえて背中からでなく正面から乗車したのですね?」などと検察の言い分を鵜呑みにした、予断に満ちた質問を繰り返す。
 裁判官に求められる最大の能力とは、法廷に出された証拠から正しい事実認定をする能力のはずだが裁判官は単に法律のプロで事実認定のプロではないのが日本の現状なのだ。[6]
 このように実際の裁判では、公判廷における審議は形骸化し、もはや真実を争う場ではなくなっている。事実上、検察の作成する起訴状が有罪判決書と化しているのである。[7]
 全精力を注いで手にした証拠、証人を裁判に提出した後、主人公は長い戦いの末、遂に判決の日を迎える。
 「判決 被告人を懲役3ヶ月・執行猶予3年と処す」
0.01%の無罪を勝ち取ることはやはり、不可能であった。
かつて哲学者フーコーは以下のような状況を黙認することは危険であると語っていた。
「裁判官らが不安から解放され、自分は何の名において裁きを下しているのか、そして、自分は、裁きを下している自分は一体何者であるのか、そういった数々の疑問に頭を悩ますことから免れて、単身、裁決に携わり続けている」。[8]
一体、真実はどこにあるのだろうか。それは、検察・警察の側が被告に尋問して作成したにもかかわらず「私は正直にお話します」で始められる不可思議な一人称の調書の中にあるのではなく、「話される言葉こそが魂に裏付けられた言葉である」というソクラテスの格言のように[9]、被告がまさに自らの言葉で裁判官に対して全力で真摯に話す法廷の中にこそ、本当に存在するはずだ。
その法廷の中で主人公はこう、大きな声で裁判官に向かって叫んだ。
「それでもボクはやってない!!」
けれども、今日のこの国の刑事裁判ではそうした訴えはどこにも届かない。無数の無辜と真実が日々、この現実の前に犠牲にされ続けているのである。了
[1]「主張 代用監獄」『しんぶん赤旗』2006/4/8付参照
[2] 佐野洋・西嶋勝彦『死刑か無罪か』岩波ブックレット 1984参照
[3] 「焦点 論点 検察取り調べ可視化」『しんぶん赤旗』2006/6/10付参照
[4] 周防正行「裁判官の仕事」『朝日新聞』朝刊2007/1/22付参照
[5] 寺西和史他『裁判官を信じるな!』宝島社文庫2001 214頁参照
[6] 「裁判官がおかしい!」第1回『週刊新潮』2002/10/24付参照
[7] 寺西他 同上 192~194頁参照
[8]フーコー『ミッシェル・フーコー思考集成』筑摩書房2000参照
[9] 保坂幸博『ソクラテスはなぜ裁かれたか』講談社現代新書1993参照