2007年12月14日金曜日

害虫 (塩田明彦監督)

 海に面した小さな町での、1人の小さな女子中学生の身に降り懸かる、彼女にとっては抱えきれないような大きくて重い出来事たちを描いた悲しく痛い青春映画である。「青春という痛み」を見事に描いた作品といえばすぐに岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』が思い起こされるが、この作品は『リリイ』の後に作られたものである。リリイという金字塔を前にしていかに埋没しない作品を築けばよいのか。その過酷な難題に塩田監督は自分なりの答えを示すことが出来たといえよう。
 本作の特徴はその極めて抑制された演出だ。BGMやセリフは少なく、起伏の緩やかなストーリーテリングが基調となっている。細かなカット割りもなく、カメラはゆっくりと呼吸をして情景をフィルムの中へと吸い込んでいく。北野武や岩井俊二の作風とも重なるが彼らとの決定的な違いは「映像の記号性、象徴性、あるいは代表性の強さ」である。各シーンがそれぞれに「今、何が起きているか、この人物はどんな気持ちなのか」を力強く語る。あいまいで不要に思えるシーンはない。色彩で喩えるならどの映像も皆「原色」なのだ。グレーやピンクや紫はない。そのため、「抑制した演出」という「沈黙」の世界の中でそれぞれの場面がしっかりと主張する、「黙して語る」とでも言える両義性を本作は帯びている。一例を挙げれば、主役の女子学生の洗髪後の濡れた髪を丁寧にいたわるように優しくタオルで拭く小学校教師とのシーンだ。このわずか1分にも満たない映像から「2人の間には深い愛情があった」という事実を見る側に全て伝えきってしまう。そして、「象徴的なのにベタではなく陳腐でもない」のである。したがって、文学で言えばこの作品は一篇の美しい叙情詩のようだ。また私小説的でもあるため、リアリティも合わせ持つ。
 「原色」の映像たちが見る側の感性に遠慮なく迫り、疼くような痛みを与え続ける。ラストの後味の悪さと残酷さも、「救い」の存在に淡い期待を抱いていた観客を冷たく突き放す。彼女にとっては「生きること」それ自体が「敵」なのであった。けれども赤や緑だけでなく、実は時には「透き通った白い」色をした映像もあったように思う。この純白こそが青春であり、彼女の前に広がる未来なのだろう。日常という平坦な戦場を、彼女はきっと生き延びる。[1]
[1] 椹木 野衣『平坦な戦場でぼくらが生き延びること―岡崎京子論』筑摩書房2000

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