2008年7月3日木曜日

パフューム(トム・ティクヴァ監督2006)80点 


 僕は余りに「匂い」を侮っていた。鑑賞後つくづくそう思ったのだった。
 ジェンダー医学論などでしばしば指摘されることだが、女性は男性よりも嗅覚が発達していて、俗に言う「ビビッときた」や「一目惚れ」も、匂いの一種であるフェロモンの要素によるところが大きいと聞く。[1]先日公表された世論調査でも「異性の身だしなみ」で気になる部分について男性は「メイクの濃さ」をトップに挙げたのに対し女性は「口臭や体臭」を選んでいた。[2] また、クレオパトラもナポレオンも匂いの持つ魔性を十二分に知っていたという。[3]色恋沙汰から世界史に至るまで「匂い」は影の主役といえるほど実は重要な存在なのかもしれないのだ。にもかかわらず、本作冒頭でも語られるように「匂い」は人々の関心の薄い分野であり、歴史書にも残らない地味なものであり、軽視され続けたものである。
 このテーマに関して、マレービアンの法則と呼ばれるコミュニケーションにまつわる有名な話を僕はぜひ紹介したい。
 アメリカのマレービアン博士の実験によると、人がある言葉を話す際に相手に与える印象、「好感の総計」の内訳は「言語7%+声などの周辺言語38%+顔の表情55%」なのだという。[4]意思疎通における非言語情報の大切さ、とりわけ顔の表情の重みを知らしめた名高い研究だが、ここからもやはり、体や衣服から発する「匂い」が他人に対して大きな影響力を本当は持っているのではないかと類推できよう。
 物語の舞台は18世紀、フランスはパリ。しばしば江戸は世界一清潔でエコロジーの進んだ社会だったと評価されるが、当時のかの国はその対極に位置していた。街は糞尿や生ゴミに溢れ、耐え難い悪臭に満ちていた。主人公グルヌイユは、その中でも最もひどい臭いが漂う生魚市場の一角で産み落とされた。彼は生まれつき体臭を全く持たなかったのだが、同時に人智を超えた嗅覚を天から与えられていた。彼の鼻は万物の香りを嗅ぎ分け、体臭を追うことで遥か遠くにいる女性の居場所まで突き止めることが出来た。
 彼は皮なめし職人としてこき使われる日々の中、訪れた街で偶然、絶世の「香り」を持つ若い娘を見つける。そして彼女を殺めてその体臭を嗅ぐという行為に及んでしまう。その後、天賦の嗅覚を買われて彼は街で著名な調香師の下で働くこととなった。だが、ありとあらゆる高貴で優雅な香りに包まれても、あの娘の香りがどうしても彼は忘れられなかった。そして「幻の匂い」を再現し保存しようと遂に禁断の凶行に走ってしまうのである。
それはまさに「何も香水をつけていない女性が一番いい匂いがする。」(プラウトウス)という格言を地で行くものであった。
こうして、悪魔に魂を売った代わりに絶世の香りを手にした主人公は最後にはその匂いの力によってナポレオンのような偉大で神聖な存在へと化けてしまうのである。
もちろんこの物語は虚構であるので誇張や脚色が大いに施されていて一見、荒唐無稽だ。けれども「香り」が持つ神秘性はこの作品を寓話のようにも感じさせる。
この作品を見た翌日、僕は生まれて初めて爽やかな香水の匂いをまとって外に出た。そして、道に迷った時、近くを通りかかった若い女性に場所を尋ねてみた。すると、彼女は満面の笑みを浮かべながら僕と一緒に目的地まで歩いてくれた。帰りの電車の中でも隣のOLが僕の方に何度もチラチラ目配せしてきた。こんな経験は今までになかったことだ。
この日、僕は間違いなく「王」になったのである。涼しいシトラスの香りによって。了
[1]レイチェル・ハーツ『あなたはなぜあの人の「におい」に魅かれるのか』原書房2008
[2] しんぶん赤旗2008/6/30付参照
[3] 高田明和『人もフェロモンで恋をする―匂いは性のシグナル』講談社1993参照
[4] 佐藤綾子『自分をどう表現するか』講談社現代新書1995 37頁参照

コメディアン ジョージ・カーリン 珠玉の論評(youtubeより)


ttp://jp.youtube.com/watch?v=0N9Vb8EzbnA

 現在のアメリカについて、ここまで歯切れがよくて身もふたも無い言葉を聞いたのはマイケル・ムーア以来 
 どこかの国とそっくり 必見