2007年12月6日木曜日

バイオハザード3(ラッセル・マルケイ監督)

 「台風が直撃する中、自宅にいる時に感じた楽しさ」、この感覚を覚えているだろうか?
暴風が庭の木々を捻じ曲げ、暴雨が家々の屋根や外壁を打ちつける光景を子供部屋の窓から眺めたとき、不謹慎にも僕はこの上なくワクワクしたものだ。
 危険地帯の真っ只中へ、守られながら身を置く「安全圏の四面楚歌」とでも言えよう状況が私たちはとても好きなのかもしれない。
 ゾンビものの映画が根強い人気を誇る一因もここだと思う。
 逃げ込んだ建物のドアの前にテーブルやタンスを置き、窓に板を打ち付けてゾンビの大群の襲撃へ備える主人公たちに、台風の日の自分たちの姿を重ね合わせてとてもエキサイトするのであろう。
 本作の場合、生き残った人間たちは武装した大型トラックを連ねて安全地帯と物資を求めながら国中を旅している。今、彼らにとって唯一の安全圏は狭くて暗い車の中だけである。屈強な戦士たちが先頭に立って旅団の子供や老人を守っているのだが、ゾンビ化したカラスの大群に襲われ多くの仲間が犠牲になっていく。
 そうした窮地に現れて皆を救ったのが主人公アリスだった。そして彼らと行動を共にし、唯一の安全地帯と聞いたアラスカを目指すことになる。だが、ゾンビウイルスを開発し、世界を破滅の危機に追い込んだアイザックス博士は人工衛星まで駆使して執拗に主人公を追いかける。主人公にゾンビを倒し得る特殊な遺伝子を発見したためだ。
 しかし皮肉にも、自らが開発したゾンビに噛まれて博士自身も凶暴な巨大ゾンビと化して主人公と戦うことになる。この狂気のアイザックス博士という人物は、かの『博士の異常な愛情』[1]に登場したマッドサイエンティストのストレンジラブ博士を思い起こさせる。同博士の水爆に対する愛情はそのまま、アイザックス博士のゾンビへの執着と重なる。ただ二人の博士を取り巻く状況は大きく異なる。前者は冷戦期の強大なアメリカ政府が後ろ盾となっていたが、後者は近未来、アメリカ経済を支配する超大企業・アンブレラ社がスポンサーとなっていた。
 「国家をも凌ぐ存在となった大企業」という描写は私たちの未来への暗い予言にも感じられる。この作品は、人類破滅の局面が近づいているにもかかわらず、不思議なほどに軍隊や警察といった国家に属する武力組織が登場してこない。地上は無政府状態であり、唯一万全に機能しているのはアンブレラ社が司る地下組織だけである。
 博士を倒した後、主人公が大量に製造されていた自分のクローンたちを発見するシーンで本作は終わる。まるで主人公の存在までアンブレラ社の実験であったかのようだ。
 日曜の夜というのに劇場は大勢の若い人で溢れかえっていた。一見、ただ流行のゾンビ映画を楽しみに来ていただけに思えたが、鑑賞後そうではない気がしてきた。
「希望は戦争」と語る、31才フリーターのように[2]大企業と政府がもたらした貧困や過労によって「安全圏」を奪われていく中で漠然と若者達は「この世の終わり」を願っているのかもしれない。だからこそ、ゾンビに覆いつくされた世界に惹かれる。だからこそ、「絶望」に喝采を送るためにわざわざ劇場へ足を運ぶ。月曜の朝が来ないことを望みながら。
[1] スタンリーキューブリック 1964年
[2] 「『丸山真男』をひっぱたきたい」赤木智弘 『論座』2007年1月号

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