2007年12月26日水曜日

草の乱(神山征二郎監督)

 「圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ!!」
 1884年、埼玉県は秩父の山間に雄叫びが轟いた。生糸の暴落と増税、高利貸しによる土地の取り上げに苦しむ民衆が、明治政府に正面から立ち向かった。後世の歴史に名を刻むことになった、秩父困民党の蜂起である。
 本作が導入部で描くのは現代からは想像もつかないような圧倒的貧困と不正義の跋扈だ。その日の食事にも事欠き、しかも裁判所や警察、役所もことごとく資本家の味方に回り、もはや困窮する彼らが頼れるものは無きに等しかった。ここからは「国家」というものが「暴力を通じて富を得る運動」である、という実体がうかがえる。国家は巨大な暴力を背景に自らの暴力だけを正当として税を徴収し、富を蓄積するのである。[1]
 それでは、本作の貧民たちのように合法的な意見表明と問題解決のための政治的チャンネルを完全に絶たれた者が、対峙する「国家」へ向けて取り得る最後の手段は何であろうか。
 それは、ガンジーが行った英製品ボイコット運動や塩の行進、あるいはキング牧師らが指導した公民権運動に代表されるような「直接行動」に他ならない。あまり知られていないが、この伝統は我が国にも存在する。
 江戸時代、慶長から維新期までの約280年間における百姓一揆の発生件数は、打ち壊し、強訴、逃散、不穏など様々な形態のものを総計すると3000件を超えるといわれる。[2]
 したがって、巷間に流布される「日本人は羊のようにおとなしい」という俗説は、全くの虚偽である。
 そして、さらに注目すべきは民衆の側が時には暴力の行使さえためらわなかった、という事実だ。この映画においても、民衆救済のために困民党を結成した農民達は、怒りに燃え上がってついに高利貸しの家を焼き討ちし、役場に乱入し、警察署まで襲撃する。
 この迫真の場面は、「暴力=悪」とし、「国家の暴力のみが合法」とする、我々がメディアと教育によって植え付けられた単純な認識を根底から揺るがした。
国家の名の下、警官は蜂起した民衆を射殺しても罪に問われないにもかかわらず、地主と結託して彼らを飢え死に寸前まで苦しめた警官たちを斬り殺した者は死罪に処されてしまう。
 したがって本作は、国家の暴力が正当性を持たず、正義にも拠っていないこともありうる、という極めて重大な真実を暴露している。
 この問題について、ある思想家はこのように述べる。
 「たぶん暴力/非暴力というカテゴリーは、このあまりに多様な力に満ちた溢れた世界を腑分けするには余りに貧しい言葉なのではないか。略、先ほどあげた、暴力とゲバルトという文節は、国家が自らの「不正な」物理力の行使を合法性や正当性というゲームのもとで隠蔽しているという認識から、むしろみずからに国家から向けられた暴力というカテゴリーを当の国家に向け返し、自らの対抗的な力の行使をゲバルトと呼びなおすことで、力をめぐる国家による「定義力の独占」に対抗し異なるゲームの場を開こうとの試みだと考えることができる。」[3]
 秩父事件は、まさに日本の近代史における国家と民衆の間に繰り広げられた「ゲバルトゲーム」の嚆矢に他ならなかったのだ。
 この戦いは、民衆の敗北に終わった。首謀者達は捕らえられ、処刑場に散っていった。だが、主人公であるリーダー・井上伝蔵は官憲から逃れて、北海道に潜伏することに成功した。そして、本作では、彼が晩年、死の床で子孫たちへ自身の正体と事件のことを語り出すシーンが描かれている。
 それまで、政府とメディアによって、「極悪非道の暴徒たち」が起こした騒ぎだと喧伝されていた事件の真相を初めて知った彼らの胸には、井上の魂がしっかりと受け継がれたように見える。
 19世紀仏の革命家ヴィウザックは「自由の木はただ暴君の血をそそがれる時にのみ生長する」と述べた。この言葉に対して強い拒否感を抱いたのなら、我々の「ゲーム」は敗北に終わるのである。了
[1] 萱野稔人『国家とは何か』以文社2005参照
[2] 青木繁「『佐倉義民伝』と上方歌舞伎」『しんぶん赤旗』2005/5/10付参照
[3] 酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社2004序文参照

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