2007年12月11日火曜日

クイルズ(フィリップ・カウフマン監督)

 「『精神の自由』よりも『自由な精神を』!!」という警句をかつて発したのは、マルキ・ド・サドを日本に紹介した作家・澁澤龍彦[1]である。
 この作品はそんなサド伯爵の「自由の精神」をエンターテイメント仕立てで描き出したものだ。ともすれば高尚で難解な物語にも成りかねないテーマを、ハリウッドならではの豪華な衣装や大掛かりなセット、テンポよい編集などによって小気味良く楽しい映画へと仕上げている。
 時はナポレオンの支配する19世紀のフランス。1789年のフランス革命は人間の自由と平等を実現しようとする、歴史上の大事件であった。しかし、そんな時世においても、低俗趣味のポルノや皇帝などの権威を茶化すものばかりのサドが書く小説は常に発禁・焚書の憂き目に見舞われた。しかし、それでも彼は決してペンを取ることを止めなかった。彼は精神病院に収容されるのだが、そこでもまだ凄まじい執念で書き続ける。ペンと紙を取り上げれば、次は自身の排泄物を使って部屋中の壁に文字を綴っていった。はたから見ればその姿はまさに狂人だった。
 しかし、ナンセンスな言葉を常軌を逸した手段を使ってまで一心不乱に書き続けるその姿は「表現する」というテーマについて根源的な問いを私たちに投げかけている。「本当に我々は『表現の自由』を享受して、何ものにも縛られず、自由に表現をしているのだろうか?」と。
「自主規制」や「差別表現」の名において自縄自縛に陥りながら次々と言葉を封印していく現代日本の文学やジャーナリズムのあり方をサド伯爵ならばどのように皮肉って書くことだろう。了
[1] 澁澤龍彦『サド伯爵の生涯』中公文庫1983等参照

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