2007年12月22日土曜日

サルバドル(オリバー・ストーン監督)

 「汝殺すなかれ、兵士達よ、貧しい農民を殺すのを止めよ!!暴力は暴力を生むだけなのだ」と演説した直後、ロメロ大司教は「ブタ野郎」と罵られ、射殺された。犯人は市民虐殺を繰り返す「死の部隊」と称された極右組織の一味である。
 中米エルサルバドルでは1980年に内戦が勃発した。政府軍、極右、左翼ゲリラ、アメリカ軍入り乱れての戦いは、年を追うごとに激化の一途をたどっていった。死が日常に蔓延し、人々は恐怖におののいている。なかでも貧しい農民たちは左翼に共感する者が多いため、軍から潜在的な危険分子と見なされ、殺されたり行方不明になる者が後を絶たない。彼らを支援する神父や尼僧もまた弾圧される。政府にとって都合の悪い人々は全て「アカ」と名指され、「死の部隊」の影が付きまとう。
もはやこの国では政府は国民にとって有益な存在ではなくなっていた。義務教育や医療さえ保障していないのである。その機能は「軍隊」という暴力装置にのみ特化され、人々にもたらされるのは恐怖と破壊と死だけだった。
秩序ではなく混沌があり、法ではなく暴力が、倫理でなく悪徳に支配された社会が内戦下には広がっていた。本作では当時の民兵の無法ぶり、軍隊の残虐さを表す描写が嫌悪感を催すほど執拗に描かれている。
この物語は、取材のためにアメリカから同国に潜入したジャーナリストを主人公にすえて、彼の目を通して内戦の真実を描くという手法を用いている。彼はスクープ写真を撮るため、危険な現場に進んで足を踏み入れていく。そして、悲惨で残酷な現実の数々を直に目撃する。主人公を「外国の記者」としたことで、エルサルバドル内戦を知らない人々にもよく理解できるストーリーとリアリティある映像に仕上げることに、この作品は見事に成功している。
とりわけ克明に映されるのは軍部の非道ぶりである。そもそも中南米にあるのは「軍隊」ではなく「民兵組織」だけではないかと思える。この地域の軍隊は文民統制が行われず、米軍クーデター学校の異名を取るパナマの「米陸軍アメリカ学校」で訓練された者たちが中枢を占めている。そして、左翼・民主勢力が伸張の気配を見せれば即座に武力介入し、徹底弾圧を加える。すなわち、外国への防衛手段というよりも国内に対する治安装置なのである。[1]
だが、圧倒的な富の偏在という根本的矛盾を野放しにしたまま、それに異議を唱える人々を銃の力で黙らすという方法は何の解決にもならない。飢えた農民が共産を主義とするのはイデオロギーの次元ではなく、日々の営みの中に確固とした原因が存在するのだから。
物語の終盤、主人公は現地の恋人を助けるために、彼女を連れてアメリカへ出国を図る。しかし、あと一歩のところで恋人はアメリカの国境警備隊によって捕まってしまう。
「強制送還されたら、彼女は暴行されて殺害されるんだぞ!」主人公の必死の訴えも聞き入れられずに、荒涼としたメキシコの砂漠を彼女を乗せたジープが走り去っていく。本作は実話に基づいていて、このエピソードも本当にあったことである。ラストシーンまで余りに悲惨で、本当に見る者の心を強く痛めつける。
だが、自分が鑑賞後感じた苦しみなど、同地の人々の千分の一にも満たないのだ。了
[1] 伊藤千尋『燃える中南米』岩波新書1988 56~57頁参照

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