2007年12月20日木曜日

天国の口、終わりの楽園。(アルフォンソ・クアロン監督)

 ティーンエイジにとって「性」は「生」そのものである。それは欲求の中心であり、興味の中核を成す。本作の主人公の高校生2人も無論例外ではない。彼女とのセックスに耽り、タバコを吹かし、ドラッグを楽しむ姿は、舞台である夏のメキシコの気だるい昼下がりと重なって、持て余した若さが弛緩しきった光景である。だらだらと快楽だけを貪るシーンが冒頭から展開されていく。
 そんなある日、2人は美しい人妻と出会う。そして、ふとしたきっかけで3人で「天国の口」と呼ばれる伝説の海岸を目指すことになる。とはいえ、彼らにとって本当の目的は実在するかも分からないそのビーチに行くことではなく、彼女を連れ出すことであった。
 そして長い旅が始まる。道中彼らはえんえんと様々な話を繰り広げる。ロードムービーの真髄とはこの「会話」だと自分は思う。車内で交わされる言葉こそが物語を編むのである。変化する風景だけを車窓から映した作品など、何も面白くもないだろう。
 本作の場合、ストーリーの転機となる会話は主人公2人の「秘密の告白」である。2人はかつて互いの恋人とセックスしてしまったことを打ち明け、共に懺悔する。この出来事は彼らにとって、怠惰な日常に訪れた久々の懊悩と煩悶となった。さらに彼らは旅のさなかにこの人妻と関係を持ってしまい、3人の関係性は大きく揺れ動く。
 3人の会話や行動を見ると彼らは皆「性」に完全に支配されているかに見える。刹那の愉悦ばかりを求め続けるその姿は「赤裸々」という表現さえも上品に思える。ただむき出しの衝動だけがスクリーンに溢れている。
 しかし、性描写が多い本作だがポルノ映画のような下品さは感じられない。なぜなら誰もが若かりし頃体験するであろう「性の甘さ」とでもいうものを上手にカメラが汲み取っているからである。
 最後に彼らは「天国の口」らしき海岸に遂にたどり着く。この美しいビーチは琉球で語り継がれるニライカナイのように、彼らに豊饒をもたらすかのように自分は感じた。
 だがそれは全く違った。もたらされたものは人妻の「死」であった。彼女はこの旅の直後ガンで死んだ。実は余命幾ばくもないのを押し隠して2人に同行していたのである。
この事実は1つのペーソスを感じさせる。すなわち、2人の「性」の圧倒的な過剰と彼女の「生」の絶対的な不足である。限られた命においては「性」は「一瞬の悦楽」でなく「生の実感」へと転化する。2人はきっとそれを彼女から教わったに違いない。このとき「性」への劣情は「生」への熱情へと昇華し、彼らは少しだけ大人への階段を上がったのである。了

0 件のコメント: