2008年1月27日日曜日

八月のクリスマス(ホ・ジノ監督1998)90点


 鑑賞を終えると涙は溢れて、思いは焦がれた。平穏で凡庸な日々の暮らしの中で忘れがちな人生本来の「切なさ」、「はかなさ」という気持ちをこの作品は真正面から自分に思い起こさせたのだった。 
 残された生の時間が後わずかとなった時、「世界」と「愛」はどのように変わるのか、それを静かで優しいタッチで本作は描き出す。
 まだ若さの残る、写真店を営む男。だが、悟りきったかのように終始泰然とした穏やかな立ち居振る舞いをする。駐車違反の取締り業で働く女性タリムも彼のこうした人柄に惹かれていく。そうして街の片隅でほのぼのと育ち始める愛。けれども二人の前には余りに残酷な現実が待ち受けていた。彼は病のために、もはや余命幾ばくもなかった。
 ストーリーはシンプルな部類に入るといえるが、所々に物語を輝かせる巧みなアイデアが仕掛けられている。
 例えば、主人公がスクーターを使って行動する点だ。バイクや自動車でなくあえて「スクーター」を選んだことは彼のキャラクターに非常にマッチして見えた。小さくて速度も遅いけれど愛らしいこの乗り物は、彼の生命と性格を表す隠喩に他ならなかった。そして、アジア特有の雑多で喧騒的で人に溢れた街の中を二人を乗せたスクーターが疾走していくシーンは、どこまでもイノセントで爽やかであった。
 また、「思い出」や「記憶」の象徴である「写真」を扱う商売を主人公が営んでいるという設定も素晴らしい。観る者はどうしても、間もなく亡くなってしまう彼自身の「追憶」を思い、「最後の恋の成就」を願わずにはいられなくさせられる。
 物語の終盤、老婆が遺影用の写真を撮ってもらいに死の間際の主人公の店を訪れる、という皮肉で無情な場面があった。けれども彼はやはりいつものように朗らかな表情で何一つ取り乱すことなくシャッターを押したのだった。
 この老婆が去った後、彼はもう一度シャッターを切る準備をした。自分自身の遺影を撮るために。
 「余命わずかの者の愛」という主題の本作から強く伝わってくるのは、「世界の見え方の変化」だ。自分の生命の限界、死の時期が確定したとき、自身を取り巻く全ての存在は「未来」ではなく「過去」へ、「記憶」へと凄まじい速さで逆行し出す。『ソフィーの世界』[1]では「『死』とは『私』から『世界』が消えること」と書かれていたが同じことを指すだろう。
 今まで当然のように思えた風景や事物がまばゆく輝き始め、狂おしいほど愛おしくなる。そして、自分の周囲の全ての人々を赦し、受け入れられるようになる。だからこそ主人公はあれほど澄んだ優しい目をしていたのであろう。
 彼の死にどうにか間に合わせるように、不思議な運命の力は彼と彼女を8月に出会わせた。タイトルの「8月のクリスマス」とはだから、神様がサンタになって、少し早めのクリスマスプレゼントを特別に彼に与えた、という意味に思える。そして彼の死後、この写真店は彼女がしっかりと受け継いだ。
 彼が逝ったその日、雪が街を真っ白に染め上げた。彼の魂の美しさ、清廉さを表すかのように。それは奇跡の情景だった。了
[1] ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』日本放送出版協会1995参照

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