2008年1月8日火曜日

ゼイリブ(ジョン・カーペンター監督1988)90点


この作品はやはり大好きである。年を隔てて何回見ても新たな面白さを発見できる。
そもそも作品に対する自分の「評価・感想」というものはその時々の心理状態、境遇によって変化するものだ。例えば幼い頃は夢中で読んだのに今になって読み返してみたら良さが理解できない漫画も多々ある。あるいは子供のときに見ても退屈でしかなかったのに、大人になって見てみたら感動する映画も数多い。こうした変化を哲学者ハイデガーは「時熟」と名づけている。[1]
B級SFの王道を行く本作だが、秀逸なアイデアを採用して物語のテンションを大いに盛り上げている。それは「異星人判別サングラス」だ。主人公が偶然手に入れたこのサングラスをかけた途端、周囲の光景は一変する。
そこにはモノトーンの世界が広がり、人間に成りすました醜い顔の宇宙人を見破れる。また、店の看板や本、雑誌などに彼らが隠したメッセージも読み取れるのだ。こんな命令が執拗に発せられている。「買え」、「産め・増やせ」、「考えるな」、「黙れ」、「従え」etc
主人公はこの秘密道具によって、「この星は宇宙人に侵略されていた」という驚愕の真実を知ってしまったのである。彼らは人間そっくりの姿にカムフラージュし、警察・メディアなど国家の中枢部に食い込んでいた。そして、人間達を自分たちの奴隷として働かせようと画策していた。
「人と見分けのつかない異星人」という恐怖を描く点は名作コミック『寄生獣』[2]に通じる。だが、そうした発想を漫画ではなく大規模に実写で表現するのがハリウッドならではだ。
また、ある社会学者は「アメリカ人は実は“外”の脅威より“内側に潜む”脅威への不安の方が強く、国家的な潔癖症である」と以前述べていた。確かにかの国の歴史を見れば、魔女狩りから赤狩り、そして現在の中東系移民への不当弾圧などその証左にいとまがない。
したがって、この映画は社会風刺の側面も感じられる。前述した「買え」、「産め・増やせ」などのサブリミナル広告も、現代の資本主義経済では実際に存在しそうに思える。このように「エンタテイメント」へ「社会性」をバランス織り交ぜるのもハリウッドの特徴だろう。
主人公はついに単身で彼らに立ち向う決意をする。しかし、警察も軍隊も彼らの一味と化している今、勝ち目はほとんどなかった。そこで親友に「真実」を伝え仲間にしようとするが彼は「厄介ごとには関わりたくない」と頑なに協力を拒んだ。しまいには二人は殴り合いを始め、ようやく彼は説得を受け入れる。だが、ゲリラのアジトに行けばすぐ警察に強襲されて多くの同士が殺される。内通者がいたためだ。
このあたりの人間ドラマも巧みである。「権力」に向き合った時の各人の対し方がリアルに描かれている。媚びへつらう者、怯えて縮こまる者、逡巡する者、毅然と立ち向う者…
最後に彼ら二人はどうにか「大衆洗脳」の本拠地であるTV局に乗り込み、機動隊と銃撃戦を繰り広げながらアンテナを目指す。
傷だらけになりながらもようやく屋上にたどり着き、そして宇宙人を人間の姿にカモフラージュする電波を流すアンテナに向けて発砲する。すると見事にこの装置は破壊され、宇宙人の正体が全世界の人々に明らかにされた。だが主人公たちは既にこの瞬間、全身を撃たれて息絶えていた。もの悲しいハッピーエンドでこの作品は幕を閉じる。
見終わった後ふと思った。現実に目を向ければ、庶民を奴隷のように見なして、騙し、働きづめにし、上前を平気ではねる政治家・企業経営者たちのなんと多いことかと。
まるでどこかの映画に出てきた宇宙人そっくりだ。このように見ても本作は、制作費はB級でも内容は奥が深く、第1級だと言える。了
[1] ハイデガー『存在と時間』ちくま学芸文庫1996参照
[2] 岩明均『寄生獣』講談社1990~1995

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