2008年1月16日水曜日

紅いコーリャン(張芸謀監督1983)90点


 ハリウッドに属さないアジア映画ということで、「楽しむ」よりも「味わう」ものであり、「文芸作品」であるという先入観を持って本作を見始めたのだが、それはすぐに裏切られることとなった。
 冒頭のシークエンスでの神輿担ぎたちの合唱が、自分を心地良く酔わせて優しく作品の世界へと誘っていった。
 美しく広がる緑色のコーリャン畑は『天国の日々』[1]の麦畑を連想させた。そして、映像、ストーリーともに本作は他の「非ハリウッド作」とは大きく異なっていることに気づいた。
 確かにハリウッド以外にも素晴らしい映画は多いが、娯楽要素のふんだんなアメリカの作品ばかり見てきた我々には、非ハリウッド作にしばしば見受けられる「視覚的地味さ」、「テンポの遅さ」、「メッセージ性の強さ」などの特色があまり水に合わない。この前に鑑賞した『アンダーグラウンド』[2]でも、自分は途中で寝てしまった。
 しかし、本作はこうした「弱点」とは無縁だった。まず感心したのは「編集の巧みさ」である。通常は長くなりがちの伝記モノを正味90分に収めている。やや説明不足に思えるほど削り込んでいるのだ。それは、カメラがコーリャン畑と隣の酒造場から全くといっていいほど離れないために可能となった。視点を一箇所に固定してしまうことによって、冗漫になりがちな、当時の世相や時代背景の描写を極力捨象できるのだ。
 「歴史の中のコーリャン畑」ではなく、「コーリャン畑の歴史」を描くというスタンスである。したがって観る者の目は酒と畑に留まり続ける。まるでこの場所は、俗世からかけ離れた浮世か極楽に思えるような倒錯感を次第に自分は覚え始めた。「紅」を基調とした本作の映像は、コーリャン畑をとても耽美的で幻想的なものに見せていた。
 非ハリウッド系の映画は、「よく知らないところの人々のよく知らない生活と文化」を詳しく学べるという側面もある。この要素が強いと、見る側は知的好奇心を大いに刺激され、飽きることなく最後まで鑑賞することができる。本作ではこうした「生活情報」に加えて前述したような「独創的な視覚表現」も駆使されているため、非常に大きな牽引力を持っている。
 また、「紅いコーリャン酒」を用いた伏線と隠喩も素晴らしかった。
 嫁いですぐに、嫌いな主人が死に本当に愛していた使用人の男と結ばれた若き女性チアウル。コーリャン畑も酒造場も手に入り、何不自由の無い幸福な生活を送っていた。だが、第二次世界大戦が勃発し、侵略してきた日本軍によって畑は踏み潰され、住民達も処刑される。そして自身もまた、最愛の息子を残して殺されてしまったのだった。
 当初は「幸福と繁栄」の象徴だった「紅いコーリャン酒」が今や「悲劇と没落」の証と化した。もはや、大地を伝う赤い液体は日本軍に殺された人々から流れ出た血液なのか、コーリャンの酒なのか見分けがつかなくなっていた。
 戦争は、人間の生命だけでなく、長い時を隔てて連綿と受け継がれてきた美酒までを殺したのである。もう、二度と桃源郷の日々は帰ってこない。涙と血の浸み込んだ大地からは、コーリャンはもう育たないのだから。了
[1] テレンス・マリック監督『天国の日々』1978
[2]エミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』1995

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