2008年1月2日水曜日

突撃(スタンリー・キューブリック監督1957)85点


  洋の東西を問わず、ゴミにも劣る愚かな上司というのはいつでも存在するようだ。現代の日本の企業でも自身のミスを全て部下のせいにして保身を図る者、パワハラに明け暮れる者などが後を絶たない。
 本作に出てくる、第一次大戦での仏軍将軍も己の出世欲しかもっていない無能な人物だった。彼は武勲を挙げて昇進することしか頭にないため、到底不可能な突撃作戦を兵士に強制する。そして、案の定膨大な死者を出してしまう。しかし彼は全く反省もせず、責任逃れに走り、命がけで戦った部下に「敵前逃亡」の冤罪を着せてスケープゴートにする。
 理不尽なことにその後の軍事裁判もずさんであり、兵士達の必死の弁明空しく非情にも「銃殺刑」の判決が下される。
 本作に登場する上官たちは、将軍以外も誰も皆ろくでもない奴らばかりなのである。己の保身と出世にしか関心がなく、現場の部下の命など何とも思っていない。
 また、忘れてはならないのはこの話は決して誇張でもフィクションでもないことだ。どこの国の戦場でもこうした不条理な部下の処遇は常に横行していた。第2次大戦下の日本においても「上官の命令は天皇陛下の命令のある」とされ、『私は貝になりたい』[1]のような悲劇が繰り返された。あるいは、本作の将軍の作戦より遥かに無謀で無意味な「インパール作戦」や「ノモンハン事件」を現場の声を無視して軍上層部は引き起こし、数え切れない兵士の屍の山を築き上げてしまった。また、武器・弾薬・食糧がつきようとも「死して虜囚の辱めを受けず」という軍令によって「投降」は厳禁されていたため、万歳突撃による不毛な玉砕が各地で行われた。戦死した兵士たちの死因も、戦地にいない上層部が補給を軽視していたために大半が餓死だったのである。[2]
 近代の我が国の戦史を紐解くと、このように本作の将軍など小さく見えてしまうほど、本当に無知で愚かで冷酷な上官が多かったことが痛感できる。
 戦後に入っても、軍部と結託して国民の生命・財産を奪い続けた官僚組織は解体されずに存続した。そして薬害エイズ・C型肝炎、年金問題、贈収賄、汚職と各種官庁がそれぞれ国民の生活を破壊し、納めた税金をよってたかって食い物にしている。
 先日大ヒットしたある映画は「事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!!」[3]の決めセリフが広い共感を呼んだ。そのことが示唆するのはいかに現在の組織が「現場」というものを軽視あるいは無視して意思決定を行っているかという事実である。
 そうした最たる存在がいつでも「軍隊」なのだ。したがって、本作は実は『踊る大捜査線』のような、近代社会の組織制度のおかしさを告発したパロディ作品なのかもしれない。了
[1] 加藤哲太郎『私は貝になりたい』春秋社1995参照
[2] 藤原彰『餓死した英霊たち』青木書店2001参照
[3] 本広克行監督『踊る大捜査線』1998公開

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