2008年1月5日土曜日
愚か者の伝説―大仁田厚という男(高山文彦著 講談社2000)85点
自分がこの“カリスマ”へ初めて強い関心を持ったのは、1999年1月4日東京ドームでの新日本プロレス興業における佐々木健介との一戦をテレビで見た時である。
この戦いは今でも語り草となるほど衝撃的なものだった。くわえ煙草でパイプ椅子を片手に入場する大仁田。数万の観客達はよそ者の彼に向かって一斉に「帰れコール」を浴びせる。リングの上には彼を鬼の形相でにらみつける佐々木健介。それでも動じない大仁田は健介の前におもむくといきなりパイプ椅子を彼の頭上へ思いっきり振り下ろした。だが、まるで不動明王のように彼は全く動じず泰然と立ち続ける。この光景が彼ら2人の実力の差を全て物語っていた。
結末はゴングが鳴る前から既に誰もが分かっていたのである。マットで繰り広げられたのは「試合」というより「公開処刑」に近かった。健介が圧倒的なパワーで大仁田に襲い掛かる。ラリアットを喰らって血反吐を吹く大仁田。だが、最後に大仁田は火炎攻撃という反則技を繰り出し、健介を悶絶させる。そしてマイクを取って新日本プロレスを罵倒しまくりながら花道を去っていった。その背中は惨めな負け犬でしかないが、孤高な男気もまた、見る者に感じさせた。
爾来、自分は「大仁田」という人物に夢中になり、テレビ朝日で毎週土曜深夜「ワールドプロレスリング」を必ず見るようになった。
健介との一戦以来同番組では毎回、新日本の選手ではないにもかかわらず大仁田を取り上げ始めていた。そして彼の取材を担当したのが真鍋由アナウンサーだった。自身の生き様を「邪道」と卑下しつつ夢を語る大仁田に、時には理不尽にビンタされながらも真鍋アナは密着インタビューを続けた。二人の掛け合いは絶妙で後に多くの人に知られるところとなった。
そして大仁田はこの番組を利用して、今度は蝶野選手と戦おうと画策する。彼は全国放送で多くのファンを巻き込んで煽りに煽って、遂に蝶野との決戦を実現させてしまった。
運命の日は4月7日に決まった。その日が近づくにつれ、彼は話題を次から次へと振りまいた。「すいか爆破実験」、「定時制高校入学」、「蝶野襲撃事件」等等…
もはや、新日本プロレスは部外者大仁田を中心に回っていたのである。皮肉にも大仁田の参戦によってテレビの視聴率も上がり、観客動員も増えた。
ついに多くのプロレスファンが待ちに待った4・7が来た。いざ蓋を開けてみると驚くような意外な決着がついてしまった。
「両者(プラス海野レフリー)爆死、ダブルKO」
「邪の華」対「悪の華」と形容された両スターの世紀の一戦はどちらもそのブランドに傷をつけない痛み分けに終わったのである。それはいかにも「プロレスならでは」の光景だった。
しばしば「プロレス」は「やらせだ!」という非難がつきまとう。だが、それは間違っている。たとえ百歩譲ってそうだとしても、いずれにしろあのような人智を超えたバトルは普通の身体、精神の持ち主では絶対に真似できない代物である。したがって、それは金を払って見る価値が十二分にあるだろう。
前述した大仁田の話題づくりのように、プロレスというのは野球やボクシングと異なり、戦いそれだけでなく、そこに至るまでのレスラー同士の確執、愛憎、派閥抗争、世代闘争など様々に仕掛けられた伏線の中に「人間ドラマ」が存在する。単純に試合の勝ち負けだけに注目すべきスポーツではないのだ。その点を踏まえた上で改めてプロレスというものを見つめればきっと食わず嫌いの人々もファンになることだろう。
そんなドラマの一つ「大仁田劇場」はとどまるところを知らなかった。その後蝶野と彼はなんと手を組む。そして次には武藤選手をそそのかす。そして「グレートニタ」を復活させる。ついに8月には「ニタ対ムタ」のマッチメイクが実現する運びとなった。
だがこの戦いの後、大仁田は新日本側に「封印」されてしまう。「毒」に喩えられる彼をこれ以上使うのは「正統派プロレス」を自負する同団体には危険すぎると判断されたようだ。しかし、それでも彼はあきらめず、今度は長州力に挑戦状を叩きつけたのだった。
本書はこのような「大仁田厚」という暑苦しくて、アクの強い男の半生をシャープに端的に描いた作品である。
ページを開いていくごとに彼のつくづく反乱万丈な人生が臨場感をもって頭に浮かんでくる。本文中で紹介される、彼が小学生時代に書いたという「人道」という詩はそんな自身の将来を見越したような感動的な作品で、いつまでも記憶に残った。
レスラーを志して上京し、ジャイアント馬場の付き人を経て全日本プロレスの選手となったものの膝の故障で選手生命を絶たれた悲運の下積み時代。その後、コーチ、タレント、事業経営者などを転々とするがうまくいかず、自身でプロレス団体『FMW』を旗揚げして再起を賭ける。話題を集めるために普通の試合ではなく「有刺鉄線電流爆破デスマッチ」という斬新な演出を取り入れたことで、一躍彼はスターダムに躍り出た。
『FMW』は大仁田の人生そのものであった。マットの上で「俺は弱い、無様だ」と泣き叫び、のた打ち回る。あるいは額や肩からおびただしい血を流しながら一心不乱に相手に向かっていく。自身の生き様全てを彼はリングでファンにさらけ出したのだ。
こうした時代遅れの泥臭くて汗臭い大仁田という男のファイトスタイルは何かを求める若者たちの心をわしづかみにすることに成功した。興行を重ねるうち、いつの間にか彼は「若者のカリスマ」と呼ばれるようになる。
やがて彼は引退を表明するが、またすぐに復帰を果たす。数回の引退・復帰を繰り返した後、FMWを出て冒頭に述べたようにメジャー団体・新日本プロレスに参戦していった。
「若者のカリスマ」と言えば、大仁田がブレイクしているのと同時期、「尾崎豊」という早熟の才能が日本中の青年を熱狂させていたことが想起される。だが、二人の大きな違いは尾崎は栄光と喝采のなかで惜しまれながら夭折したが、大仁田は栄光が挫折に変わり、声援がブーイングに変わってもいまだマットに上がり続けていることである。
自分はこうした「殺しても死なない」不様で不細工な彼の体当たりの生き方に人生というものを深く考えさせられた。だから彼を敬愛してもいた。
しかし、悲しいことに大仁田は晩節をひどく汚してしまう。「アウトロー」のはずが2001年、自民党から参議院選に出馬し「タレント議員」として薄っぺらな言動を繰り返した挙句、昨年2006年、自身が引き起こした破廉恥事件が週刊誌に報道されたのをきっかけに政界を引退した。かつての輝いた大仁田厚の姿は見る影もなかった。
この本は2000年までの大仁田の半生を収めたドキュメンタリーである。奇しくもこの年を境に彼は前述したように没落の一途を辿っていった。だからもう続編が出ることもないだろう。「大仁田厚」の輝きは、今はもうこの本の中にしかないのである。了
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