2007年11月29日木曜日

RIZE (デヴィッド・ラシャベル監督)90点


これは“dance”というよりも“battle”の記録である。
 全米1の犯罪地域・ロサンゼルスのサウスセントラル地区。外を歩いただけで理由もなく射殺されるような極限の日常の中で、生きる活路をギャングでなくダンスに見出した若者たちの青春の軌跡をカメラは追いかける。
 麻薬の売人をしていたトミー・ザ・クラウンは出所後更生してこのように考えた。
 「ダンスに打ち込ませれば、若者達を悪の道から遠ざけることが出来るはずだ」。
 元来楽天家のトミーは、ロス暴動のあった‘92年、人々を励ますためにピエロのメイクをしてストリートで踊り始める。子供や若者たちを次々に引き込んでいき、やがてダンスは一大ムーブメントとなっていった。
 「ダンスは心の波動だ」。
 一人の青年は力に満ちた目で、こう語る。この言葉はまさに端的に、彼らにとってのダンスというものを表している。貧困・差別・暴力、彼らが日々直面する苦難への激しい怒りを全身で表現するのだ。だからチーム同士の対抗戦ではエキサイトし、互いを手で突き飛ばし、にらみつけ、挑発する。はたから見たら、今にでも殴り合いになるのでないかと不安にさせられる。けれどそれはギャング同士の抗争とは全くの別物である。どれだけ白熱しようとも彼らは決して力になど訴えない。ここではダンスこそが全てだ。トミーの一途な情熱により、若者達は次第に暴力を憎みダンスを愛する人間へと変わっていっていた。
 彼らが踊る「クランプ」と呼ばれるダンスは、リズムに乗せて、全身をけいれんしたように猛烈な速さで激しく動かす。そのスピードは本当に尋常ではない。その光景はある一節の文章を思い起こさせた。
 「モオツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつかない」。[1]
 腕を、足を、腰を、首を、肩を、生まれながらに恵まれた、黒人特有の優れたリズム感と身体能力で激烈な速度で揺さぶる。それはまるで、日常にまとわりついた悲惨と悲壮を全速力で振り切ろうとするかのようである。泣く暇さえもないほどの加速によって。
 従って物語の佳境、街のナンバーワンの座を賭けたチーム対抗ダンスバトルは、必見に値する大迫力のものとなっている。憤り、哀しみ、苦しみ、情熱、誇りといったあらゆる感情を互いに体中から爆発させてクランプによって真正面からぶつけ合う。それはまさに暴力のない戦争である。相手の体に一滴の血も流さないのに、どんな凄まじい銃の乱射よりも激しく相手の心に打撃を与える。「すごいクランプだ!オレの負けだ!ちくしょう!」と。けれども、銃撃を受けて殺された場合と違い、負けてもいつでも相手にリベンジできる。銃を手に取るのではなく、更なる一層の厳しい練習という正当な努力によって。
 トミーは、このダンスバトルを無事に大成功させた矢先自宅に空き巣に入られて家中を滅茶苦茶に破壊される。「頑張るといつもこんな仕打ちが待っているんだ!」涙ながらに心情を吐露する彼の姿からは、この街で生きることの想像を絶する苦難が伝わってくる。
 けれども、彼によってダンスの世界を知ったある若者はこのように言った。
 「どんなブランドより、高級品より、俺達自身に価値がある。俺達自身が特別なんだ」。 多くの若者がトミーによって、誇りと尊厳を取り戻した。彼はクランプする希望だった。
[1] 小林秀雄『モオツァルト・無常ということ』新潮文庫 参照

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