2007年11月29日木曜日

ジャーヘッド(サム・メンデス監督)85点  


 「戦争はもう起きない」。観賞後そう深く感じた。もう、我々人類はあの、史上最も忌まわしい災禍の一つからようやく解放されることができたのだ。まさに快挙である。
 かの19世紀独の天才軍人・クラウゼヴィッツは「戦争」というものをこう認識していた。そして史実は、その認識が完全に正しいことを証明する。
「戦争は一回かぎりの決戦で終結するものではない」。
「戦争中両者は互いに挑発し合って闘争は際限なく発展し止まるところを知らない」。[1]
1991/1/17に「開戦」し、同年3/3に「終戦」した「戦争」、イラク国内への猛空爆「砂漠の嵐作戦」により南部の軍事施設は瞬く間に壊滅し、次ぐ地上戦「砂漠の剣作戦」によって既に弾薬も食料も底を尽き疲弊しきっていたイラク兵達はなす術もなく逃げまどい虐殺された。そしてイラクは降伏した。これが「湾岸戦争」と呼ばれたものの経緯である[2]
死者の数の対比をしてみれば、この時ここで起きたことの真実が鮮明に浮き上がる。
 アメリカ軍149人、イラク人15万人。その差、約1千倍。市民であれ兵士であれイラク人達の殺され方もまた、類を見ないほど凄惨なものだった。五体をバラバラに引き裂くクラスター爆弾、皮膚に張り付き人体を焼き尽くす白燐弾、小さな核と言われる気化爆弾。出口を封鎖され塹壕に留まっていた数千人ものイラク兵を生 き埋めにした米軍の戦車とブルドーザー。[3]
 わずか2ヶ月未満で終わり、殺され方も犠牲者数も、余りに一方的だった「戦争」、それが「湾岸戦争」に他ならない。上述したクラウゼヴィッツの格言は、この事例には全くあてはまる余地がない。もはや「戦争」という呼称自体が適切ではないのかもしれない。     
 したがって、実話に基づく本作の中でも[4]、登場する戦場の海兵隊員たちから私たちに最も強く伝わるものは、従来の戦争で兵士に見られた恐怖や緊張、昂揚ではなく、弛緩と退屈と厭世なのであった。終始、主人公たちには気だるさがつきまとう。いつも何かが噛み合わず、鍛えた体は持て余すばかりだ。待機に次ぐ待機、戦場のはずなのに戦闘にも出会えない。終盤ようやく主人公に訪れた、狙撃手としての腕の見せ場も直前のところで上官に止められてしまう。そして彼が何時間も機を窺って射殺するはずだった管制塔のイラク軍将校は、戦闘機の爆撃により5秒足らずで建物ごと木っ端微塵に吹き飛ばされる。再び気だるさだけがさらに大きくなって、主人公に襲い掛かった。ついに最後まで、敵兵に襲撃されることは一度もなかったのである。
 こうして、期待外れと空振りの連続だった彼の滑稽な「戦争」はその幕を閉じる。故郷に帰るバスの車内できっと彼はこう振り返っていたに違いない。
 「唯一エキサイティングだったのは、テレビ局のカメラの前で毒ガスマスクを付けて仲間とアメフトをした時だった」。と。戦闘と違い、こちらはワンサイドではなかった。
ボードリヤールは報道の視角から「湾岸戦争は起こらなかった」。[5]と喝破した。自分は旧来の「戦争」という史実から「湾岸戦争は起こらなかった」。と今、深く確信している。
[1] 広瀬隆『クラウゼヴィッツの暗号文』新潮文庫 140頁
[2] Wikipedia「湾岸戦争」参照
[3] ジョエル・アンドレアス『戦争中毒』合同出版 

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[4] アンソニー・スオフォード『ジャーヘッド/アメリカ海兵隊員の告白』アスペクト
[5] ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』紀伊國屋書店

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