2007年11月28日水曜日

Vフォー・ヴェンデッタ(ジェームズ・マクティーグ 監督)90点


 「いい加減目を覚ましなさい!」、女性教師・阿久津真矢は、厳しい指導に弱音を吐く教え子の子供たちを叱りつけた。そしてこう続けた。
 「日本という国は特権階級の人たちが楽しく、幸せに暮らせるようにあなた達凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているのです」。
 そして、その特権階級になれるのは、全人口のわずか6%に過ぎず、だからこそ、泣き言を言わずに一生懸命勉強しなければならないと諭すのだった。[1]
 こんな話はドラマ特有の誇張だと感じた人も多いだろう。しかし、本物の政府自身が「現実」はそれ以上に苛烈であることを示すのである。
 政府の統計を見ると、この10年間で増えている階層が2つある。年収200万円以下の層と2000万円以上の層だ。前者は24%、後者は30%増えた。人口で比較すると、1000万人と20万人である。すなわち、ごく一部の大企業と大資産家が富めば富むほど、貧困層が広がり、格差が深刻になってゆくというのが、現在起きていることの真相なのである。
 つまり、50人いたなら、49人が「負け組」であり、「ヒルズ族」など、全人口のわずか2%しか存在しないことになる。現実は、もはやドラマを超えてしまった。
 この格差拡大という事態は無論、自然現象ではない。新自由主義路線を邁進する政府によって引き起こされた事態に他ならない。
 彼ら権力にある政治家のイデオロギーとは、端的に言ってしまえばこうだ。
 「社会というものは存在しない」。[2]
 あるのは、自立し、他者に依存しない強い個人だけなのだと。そして、大切なのは市場であると。必要なのは「経済」だけでありその成長を阻害する「社会」など不要なのだ。
 だから、1日8時間旅行代理店で働くのに、契約の身分のままなので年収180万円しか支払われていない若い女性の人生など[3]、彼らにとっては何の関心もない。
 彼女は「弱者」ではない。大学を卒業し、ドイツ語も身に付けている。しかし、社員になれないのだ。責任は明らかに本人ではなく、彼ら政治家にこそある。
 1999年、政府によって、派遣労働を専門職から一般業務に原則自由化する、労働者派遣事業法の大改悪が行われたことが、彼女のようなワーキングプア[4]の大量出現をもたらした最大の元凶である。政府自身が明確な意図を持って、国民の困窮化を推し進めていたのだ。
 言うまでもなく、日本国憲法は基本的人権の尊重を高らかに謳い、99条「公務員の憲法擁護義務」において、この憲法を政府が厳粛に守ることを要求している。
 ならば、現在の与党や政治家たちの行為は明らかに憲法違反であり、既に正統性を失っていると言える。しかし、その権力は逆に増大し、極めて強靭なものになりつつある。
 なぜ、こんなパラドキシカルな現象が起きているのだろうか。今の政府が自分たちの将来を輝かしいものにしてくれる、と思っている、実際は前述した統計のように成功など望むべくもない「負け組」たちが、数多く存在するのはどうしてなのか。
 中西新太郎・横浜市大教授は、「リアルな不平等と幻想の自由」という言葉でこの事象を鮮やかに分析している。目下の新自由主義的構造改革が単なる政策転換のレベルではなく、労働・生活世界の深部にまで狂気じみた改変を導いているためであるというのだ。[5]
 この我々の意識の「改変」へ、最も直接的に作用しているものが資本主義体制堅持の役割を担う「国家イデオロギー装置」と呼ばれる諸々の社会システムである。
 サトラー議長率いるファシズム国家となった近未来の英国、ここが本作の舞台だ。だから、「国家イデオロギー装置」も絶対的なものとなっている。政府にとって都合の悪い思想や事実は、メディアは決して報道しない。学校においても、サトラー賛美の洗脳教育しか行われていない。あらゆる表現活動は政府の管轄下に置かれている。
 しかし、このような過剰に堅牢な体制だからこそ、逆に主人公のVが政府転覆のゲリラ活動を始めると、巨大なダムが、アリの開けた小さな穴から決壊するように、崩れ始めた。
 だが実際の日本社会では、一見「自由」や「民主主義」が保障されているとされ、また初等教育を中心に、批判的な視点の芽を摘んでしまうような教育体制が進行しているために、なかなかこの「国家イデオロギー装置」の存在にも、その巧妙な策略にも人々は気がつかないのだ。[6]
 ビルマのアウンサンスーチー氏もかつてこう語っていた。
 「イギリスがなぜ発展したのかというと、彼らも日本と同様規律があるからです。ただ、彼らには日本と違う点が一つあります。彼らは、小さい子供のころから、考えることができるように教育します。(中略)七~九歳になると、子供はかなり考えることができるようになってきます。何に対しても批判できるようになってきます。(中略)何が正しく、何が誤っているのかといった批判精神を持つことを特に奨励するのです」。[7]
 また、明治の自由民権思想家・中江兆民は「日本人は論理的に物事を考えることが出来ない」。と指摘した。[8]この言葉は、未だなお、有効である。
中江の嘆きの由来はやはり多分に、スーチー氏が言うように教育にあるに違いない。
そして、もう一つ最大のイデオロギー装置が、本作同様マスメディアなのだ。したがってその事実を知っているVは、国民を騙し、操縦する国営テレビ局を襲撃し電波ジャックして政府批判の主張を無理やり放送させる。民衆の目を覚まさせるために。
先の衆院選を思い出そう。優勢民営化反対派を「抵抗勢力」だと決め付け、「刺客」候補のことばかりを垂れ流し続け、自民圧勝に多大な貢献をしたものこそテレビに他ならない。
この今も、話し合っただけで捕まるという史上最悪の法案・共謀罪が国会で審議されているにも関わらず、ほとんど報道らしい報道をしていない。
そして、こんなマスメディアの正体を明白に決定付ける一件が、奇遇にも自分が本作を観たのとちょうど同じ日・同じ時刻に起きていたのである。
小泉首相が4月3日夜、金メダリストの荒川静香氏とオペラ「トゥーランドット」をサントリーホールへ鑑賞しに行った際、首相が2階席の最前列に現れた途端に観客たちが凄まじいブーイングの嵐を浴びせたという。だが、しかし翌朝の全国紙5紙はこれを一行も記事にせず、テレビは一秒たりともそのシーンを放送しなかったのだ。[9]
小泉はサトラーになったのである。だからもう、メディアはプロパガンダしか流さない。
そして、サトラーの秘密警察同様、ビラまきやデモで政府に反抗する市民に対しては専属の公安が尾行し逮捕し、長期勾留する。彼らとメディアの結託もまた甚だしい。
「テレビでも、新聞でも、俺たち警察が発表したことだけを報道する」。
今野敏著『隠蔽捜査』[10]では、国家警察の中枢に位置する長官官房総務課長が、妻に彼ら警察がメディアを通して国民をコントロールしていることを打ち明ける場面が登場する。
今や間違いなく、現実がこの映画に加速的に近づいている。
だが、この恐ろしい真実に気づいた者は未だに少数であり、しかも、Vのような超人的身体能力や頭脳もなく何の武器さえ手にしていないのだ。このような圧倒的不利な戦況で、一体私たちはどう戦えばよいというのだろうか。
一人であろうと、恐れず「声を上げる」こと、唯一無比の手段は、実はこれしかない。
Vは民衆に、かつて国王の圧政を告発するため、国会を爆破しようとして処刑されたガイ・フォークスを思い出せと訴える。自分は、フランスのCPE法を、我が国のPSE法を無名の市民たちが立ち上がって葬り去った先日の出来事を、そして何よりも、最高権力者の小泉首相へ大ブーイングを浴びせた多くの観客の良心と勇気を思い出せ、と訴えたい。
悪法と圧制を止めるには、悠長に数年後の次の選挙など待っていては遅いのだ。けれども、投票所と違い、中年の役場の職員ではなく武装した屈強な警察と軍隊が出迎える街頭へと繰り出すことを常に多くの人々は恐れ、一歩を踏み出す勇気を持てない。
だがたとえどんな武力も、正義が味方をしなければ必ず歴史に裁かれるのである。
1905年1月9日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルグにおいて、数万の労働者たちがニコライ2世の宮殿前へ生活苦を直訴しに行進したとき、警備していた兵隊たちが彼らへ無差別発砲を行い、4000人もの死者を出した。皇帝はこれにより、民衆を恐怖で支配できると考えたが、事態は瞬く間に逆の方向へ進展し始めたのだ。一挙に皇帝の権威は失墜し、この年全国規模の反政府運動が発生、その後のロシア革命の引き金となった。
我が国でも相似する事例がある。1952年5月1日、メーデーに参加した数万のデモ隊が「ゴーホーム、ヤンキー」などと叫んで皇居前広場に入り、二重橋前にいたところに武装警官たちが解散命令も予告せずに、一斉に警棒と拳銃で襲い掛かり、死者2名、負傷者1千数百人、逮捕投獄者1200人を出した「血のメーデー事件」だ。やはり当時の新聞、ラジオ、ニュース映画は警察に追随してデモ隊を「暴徒」と宣伝した。だが、その後市民たちは粘り強い裁判闘争を展開し権力側を追い詰め、ほぼ全員の無罪判決を勝ち取った。[11]リンカーンもこう語る。「力は一切のものを征服する、しかし、その勝利は短命である」。
本作のラストシーンはまさにこの歴史の真理を見事に表現している。独裁に脅えていた大衆がVのマスクをかぶり、軍隊の銃口にも怯まず国会前に怒涛の勢いで押し寄せるのだ。
不敵な微笑を浮かべた無言のマスクたちはこう語っているようだった。
「民衆が埋める街頭こそ、暴政の墓場なのだ」。               了
[1] ドラマ『女王の教室』2005 7~9月放送 日本テレビ系列
[2] マーガレット・サッチャー 森田浩之ホームページ「ロンドン通信」
[3]「年収200万円で暮らす・広がる格差社会」NHK『生活ほっとモーニング』06 2/28 
[4] 後藤道夫 他・著『平等主義が福祉をすくう』青木書店 2006参照
[5] 前掲書参照
[6] 的場昭弘『ネオ共産主義宣言』光文社新書 2006 180~181頁参照
[7] アウンサンスーチー『演説集』みすず書房 1996
[8] 『中江兆民全集』岩波書店 1983 参照
[9] 江川昭子ホームページ「EgawaSyoko journal」参照
[10] 新潮社 2006 参照 11
[11] 田中山五郎『五・一広場』本の泉社 2006参照

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