「国際競争力」、「日米経済摩擦」、「貿易黒字激減の危機」、「産業政策」等、マスメディアの経済欄で当然のように使われている言葉、語られている内容が実際は正確な定義も、まともな事実認識も出来ていないずさん極まるものである、という事実を本書から知り、自分は瞠目した。
本書を徹頭徹尾貫くのは「自由貿易の発展こそ全体の利益となる」という見解だ。というより、これは「思想」でなくれっきとした「事実」であると、著者は強い論理的説得力をもって説明する。安い輸入品による国内産業の衰退・失業増に対しては「管理貿易策」よりマクロ経済政策の方がずっと有効である、ということに目からウロコが落ちた。自分も常々たいていの人と同様、マスコミの影響などで「セーフガード」を強く支持し、「にわか経済ナショナリスト」となっていた。だが少し冷静になって考えれば大半の国民はその衰退産業の当事者ではないわけで輸入により、不利益よりも利益の方を享受するのだから輸入阻止を求めねばならない理由はどこにも存在しないのである。別に無理してまで高価な国産品を買う義理は現代の自由主義経済の中では持たない。
とはいえ、農業に関して、自分は著者と違い市場経済に完全に含めて考えるのではなく「食糧安全保障」の立場から特別な産業として政府が保護すべきだと考える。しかし、大半の産業分野においては常に人々の「最大多数の最大幸福」を実現するためには政治権力の介入は極力防ぎ自由競争に任せるのがよいだろう。その延長に自由貿易の推奨がある。
だが自由貿易の拡大は大きな苦痛を伴う。必ず比較優位産業・劣位産業を顕在化させ、後者から前者への労働力等生産資源を移転させるという「構造調整問題」を発生させる。
この「摩擦的失業」の発生は不可欠だ。その混乱が甚大な時はセーフガードも仕方ないが貿易利益を得るためにはあくまで臨時的措置にとどめるべきだ、と著者は述べる。ただし経済学者は自由貿易を「利益がある」から勧めるのであってあまりに摩擦的失業がひどいならケインズのような保護主義者にもなりうる、とも言う。
今の日本経済はまさにそのボーダーラインと思う。「第二次産業空洞化」といえる激烈な状況で「メイドインチャイナ」の製品ばかりが巷に溢れ返っている。先日中国産のネギ・シイタケにセーフガードが行われたがそれ以上に工業製品にこそ必要に感じる。この現状をどう判断すべきなのか。経済の専門家の間でも意見が分かれているようだ。不良債権問題でもそうだが経済専門家においても真っ向から意見が分かれている場合、政策担当者は一体、どのようにどんな人物を選びアドバイスをもらえばよいのだろうか。そう、ここにこそ「政策プロモーター」という怪しげな、そしてトンデモな人物が政治に介入し実権を握ってしまう余地があるに違いない。
それは日本政府が良い例だ。竹中平蔵大臣は一般受けは良いが経済学者の世界では全く評価されていないし、あまりにコロコロ意見が変わることから「らっきょう」とさえ呼ばれている。まさに典型的な政策プロモーターだ。大臣になったためますます著書は売れ、メディアへの露出が増えた。本人はさぞ幸せなことだろう。だが我々国民からすれば、デタラメ・トンデモ経済政策を政府に吹き込んで実行されたらたまったものではない。そういえば彼は、本書で「トンデモもの」として喝破されている「サプライサイド経済学」の強い信奉者でもあると聞いたことがある。知れば知るほどいい加減な人物に思える。
なぜ政治家はこんなトンデモ・エコノミストにやすやすと騙されてしまうのか。それについてのもっと深く突っ込んだ分析が欲しかった。自分としては彼らプロモーターは政治家・一般人に対し非常に分かりやすく経済問題を説明し、同時に自信を持ってその処方箋・特効薬を示すという点に特徴があるのだと思う。もちろんそれは「ブードゥ・エコノミクス」に基づくものであるのだが。それでも、とにかく選挙に勝ちたい、すぐに実績を上げたい気持ちで一杯の政治家には「天使の声」に聞こえるのだろう。
一般の人々も、複雑な事象を簡潔に説明する言葉に魅力を覚えてしまう性癖をもつ。この、政治家・一般大衆の性質を巧みに利用して己の地位・名誉を求めようとするのが彼ら政策プロモーターに他ならず、まるで古代や中世に権力者に取り入った呪術師、占い師とその姿が重なって見える。竹中平蔵は現代のラスプーチンだといえよう。
ではこうしたトンデモ・エコノミストに政治家が騙されないためには何が必要なのか。本書ではそれについての言及がないことが悔やまれる。自分としてはまず第一に「経済オンチ」を政治家に許さないことだと考える。だが小泉・阿倍首相も共に経済には疎いことで有名であった。
為政者がトンデモ経済学に騙されないためには、自分は新古典派・近代経済学派、マルクス経済学派といった各種の経済学派が「経済における地動説」に当たる公理を「経済学辞典」として編纂することを提唱したい。政治家はその書を政策判断の基準にすればよいだろう。
最後に本書に対する自分の最大の疑問を述べたい。
著者は「産業政策」というものを害でしかないと切り捨てているがかつて明治政府が行った殖産興業政策は日本の工業生産を急増させることに成功したという事実についてはどう考えているのだろうか。
また、戦後の高度経済成長をもたらした要因の一つである個人貯蓄率の高さについて所得税制での高額所得者に対する軽減措置など政府・日銀が財政・金融面でそれを促進する成長政策を実施していたという点に関しても著者は「害」であった、とするのだろうか。
経済は「閉ざされた体系」であるので一方の産業の成長は他方の衰退による、と語るが社会全体のさらなる成長すなわちGNP上昇はどう捉えているのか。
戦前の工業化、戦後の高度成長という社会全体の経済成長とそれに関与した政策に対する著者の見解に自分は納得できなかった。了
0 件のコメント:
コメントを投稿