2008年2月5日火曜日

アメリカン・ビューティー(サム・メンデス監督1999)


 リストラされかけているサラリーマンの夫と不動産のセールスをして働く妻、二人の間にいるあまり仲の良くない高校生になる娘、彼らの暮らす、郊外に建つ新築のマイホーム。ローンはまだ何年も残ったままだ。どこにでもいそうな、アメリカの典型的な中流階級の家庭である。「現代家族像」の危機と虚構をを巧みに暴き出したこの映画は快作だ。第72回アカデミー作品賞に輝いた。
 主人公一家は残念ながら誰一人として幸せではない。三人はいつも互いにいがみ合っている。ぎこちなく不自然な会話、微笑みのない食卓、バラバラに過ごす休日。そこにあるのは、乾いて冷め切った心と心のすれ違いだけだ。一体いつからこんなことになってしまったのだろうか。
 そんな日々の折、主人公である夫は娘の友達に恋をしてしまう。そして、彼女が「マッチョ好き」だと知った彼はその日から狂ったように筋トレを開始しだす。彼は変わった。職場にも自宅にも居場所のない、うだつの上がらない中年男が「恋の成就」という明確な目的を見つけたことによって蘇ったのである。
 彼女の存在に比べれば他のどんな物事も、彼には些細なことにしか思えなかった。仕事も家庭も、もはやどうでもよくなってしまったのだ。
 「ふっ切れた」主人公につられるかのように、妻もまた不倫に奔り出し、娘も隣家の男と遊び始める。こうして遂に「ファミリー」は完全に崩壊した。しかし皮肉にも今までと逆に、彼ら3人の心は今みずみずしく潤っていった。「家族」という存在はそれぞれの欲求と感情を強固に縛り付けるくびきでしかなかったのだと観る者は気づかされる。
 主人公はだが、ラストに射殺されてしまう。彼を撃ったのは、娘と付き合っていた隣家の男の父親である。この人物は元軍人で、常に激しくゲイを憎悪していた。しかし、実は自身が同性愛者に他ならなかったのだ。彼は自分の気持ちに正直に生きることが出来ないままであった。ゲイだと知られたくないために普通の結婚をし、子どもを作る選択をした。そして家族のために自己を犠牲にし続けてきた。こうした今までの葛藤が、息子と主人公の関係を「ホモ」だと誤解したことによって、一気に爆発したのである。
 それゆえ、この物語においては既成の価値観が見事に転倒させられている。「家族愛」を何よりの美徳とする従来のアメリカ的な考え方に対し反旗を翻した者たちが「幸せ」をつかみ取り、反対にいつまでも背を向けられなかった人間が最後には破滅した。
 「家族」という存在が父であり夫である男にとって、「人間らしさ」の解放を妨げる重荷でしかなくなったとき、必死で働いた末に手に入れたマイホームは、ローンの支払いで自分を拘束するだけの「自由の檻」と化する。そのとき、「約束された幸福」は郊外の幻と消えていくのである。了

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