2008年2月1日金曜日
マグノリア(ポール・トーマス・アンダーソン監督1999)
何人もの人物のストーリーが同時に進行し、絡み合っていく。「群像劇」の妙は物語同士の「リンク」の仕方と観る者を飽きさせない「テンポの良さ」にあるだろう。その点、『パルプ・フィクション』[1]はお手本のような作品であった。
それでは本作はどうだろうか。ロサンゼルス郊外に住む12人の人間が同じ一日の間に体験する出来事を描いたストーリーは、どこでどのように結びついてクライマックスへと収斂していくのだろうか。だがしかし脚本は、巧みな手際を披瀝することは遂に最後までなく、結局多くの人物達はすれ違ったままであった。また、それぞれのキャラクターの造形は、トム・クルーズ扮する「性の伝道師」のみが突出した存在感を放っていただけで、その他は印象が非常に薄かった。
本作のコンセプトは「人生の哀歌」らしいが、その「哀」が類型的で胸に迫るものがなかったことも指摘しておきたい。例えば「死の床に瀕する末期ガンの老人」など余りに安易過ぎる設定に思う。
ストーリーテリングも、伏線やメタファーをうまく活かせず、冗漫な演出になってしまっていた。編集面でも問題があったのかもしれない。本編3時間という長さが裏目に出ていたようだ。しかし、エンドロールまでずっとバラバラのままの登場人物たちの頭上にはいつでも同じ空が広がっていた。そして、そこからは大粒の雨の代わりに大量のカエルが降り注いで、各人各様が抱えた人生の課題を蹴散らしていったのである。
この結末のために、やはり評論家の間でも本作は賛否両論となっており、松本人志も「僕は決してこの映画を勧めません」と述べている。[2]
「デウス・エクス・マキナ」のようなシュールな幕引きを「何でもアリが映画の魅力なのだ」と肯定できるか、あるいは「物語の破綻」としか思えないかでこの映画への評価は分かれるはずだ。
ただ、自分は鑑賞後「人生には解決法なんかないんだ。あるのは、前に進む力だけだ。解決法は、後からついてくるものさ。」[3]という言葉をふと思い出し、『マグノリア』が少し好きになった。了
[1] クエンティン・タランテーノ監督『パルプ・フィクション』1994
[2] 松本人志『シネマ坊主』日経BP社2002 70頁参照
[3]サン=テグジュペリ『星の王子様』新潮文庫2006参照
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