2007年11月28日水曜日
ロング・エンゲージメント( ジャン=ピエール・ジュネ監督)90点
「我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘れられず」
強い哀愁を帯びたこの歌は、若倭部身麻呂という、今の静岡に当たる地に住む一人の農民の手による。7世紀、政府は朝鮮からの侵攻を想定し、九州北部警備のために「防人」として東国の人間を徴兵した。彼にもやがて命令が下る。その折に詠まれた作品である。
防人の兵役は三年間とされていたが、実際はいつ帰れるとも知れず、また、帰る際の費用は全て自己負担であり、たとえようやく任を解かれても、行き倒れになって亡くなる者が数多かったという。(「防人の歌」『万葉集』所収 参照)
彼もまた、無事に妻と再会することが出来たのだろうか。この歌は、時代と場所を越え、20世紀のフランスで、戦場に行ったきりの恋人の帰還をひたすら待つマチルドにも届く。
灯台守をしていた青年・マネクは第1次世界大戦の勃発により、過酷な前線に徴兵される。敵前逃亡容疑での見せしめの処刑、凄まじい機銃掃射、止まらない砲撃など、凄惨な塹壕生活の中で、勇敢だった彼もやがて精神を蝕まれ、故意の負傷をしてしまう。
そして軍法会議にかけられ、他の4人と共に「ドイツ軍との中間地帯に放り出す」という残酷な刑が下る。そして、一人また一人と銃火に倒れてゆく。彼もまた重傷を負う。
だが、彼の死を直接見た者はいなかった。だから、マチルドはマネクの無事を信じ続け、小児マヒで不自由になった体をおして、懸命に彼の消息を探してゆく。
その姿はもはや、ただ嘆きながら恋人との再会を願うだけのか弱い女性などではなかった。戦場の兵士よりも強い勇気と意志に満ちていた。
彼女を駆り立てるもの、それは言うまでもなくマネクへの愛に他ならない。そして、マネクもまた、中間地帯の極限状況の中で、そばの枯れ木に彼女の名前を彫り続けた。
二人とも、戦争などによってその愛がついえることを決して認めたくはなかったのだ。
開戦前、マネクは彼女を背負って、自分が勤める灯台の近くの崖に登り、波の音に負けないくらいに大きな声で「マネクはマチルドを愛してる!」と叫んだ。そして岩場に二人の名前を刻んだ。決して消えないように、深く、しっかりと。
このシーンは作中で最も美しい。同時に、自分はある歌詞を重ね合わせた。
「べーラ!ベーラ!でもいいし、ヴンダバーでもいい。どんな言葉だっていい。あなたがどんなに素敵か伝えたかったの」。(アンドリュー・シスターズ 「素敵なあなた」)
ここには国境も時代も越えた、幸せに満ちた変わらない愛の情景がある。
だからこそ、若倭部身麻呂もマネクも、そして彼らの帰還を待つ妻もマネクも、戦争の勝利などよりただひたすら、平和の頃のこの情景を取り戻すことだけを望んでいたのだ。
しかし、そんな考えを決して国家は許さないのである。戦争に協力しない態度を見せれば兵士ならば処刑され、銃後の者ならば世間から「非国民」と罵られ、虐げられる。
普遍的な感情が、人為的な存在によって踏みにじられる。それが戦争というものなのだ。
最後に、遂にマチルドはマネクと再会する。だが、彼は記憶喪失になっていた。だから、またしても彼女は再び、ひたすら「待つ」ことを強いられてしまう。マネクが自分を思い出す時を、つまりは、海での愛の誓いの風景がもう一度蘇る瞬間を。
「国益」や「大義」や「防衛」の意味なんて、私たちはずっと知らないままでいいのだ。
ただ一つ必要なのは、「どんな戦争も必ず、大切な人との不条理な別離をもたらす」、という真実に気づく程度のほんの少しの想像力なのだ。ここに、平和を守るヒントがある。 了
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