2007年11月28日水曜日
シリアナ(スティーブン・ギャガン監督)85点
「石油のために血を流すな!」、湾岸の時もイラクの時も大勢の人々はこう叫んだ。しかし、それでもアメリカは決して躊躇うことをしなかった。今までも、そしてこれからも、きっとアメリカは「石油のために血を流し」続けるだろう。シビアな国際政治の世界ではそれが当たり前なのかもしれない。資源を巡っては必ず血が流れてきたことは宗主国間の「グレートゲーム」が繰り広げられた、つい最近の数世紀を見るだけでも余りに明白な事実だ。
真に憂慮すべき、そして大きな批判を与えるべき問題があるとするならば、それは大国を率いる指導者たちの「政治における嘘」[1]である。平和を求めて戦争をするような、和平を言いつつ、軍に臨戦態勢を取らせるような、偽善を超えた欺瞞である。
冷戦が崩壊し、「自由民主主義の勝利」を声高に叫ぶアメリカ政府は、本当に今まで国際社会に対して「自由民主主義」こそ唯一至上の価値としてぶれることなく一貫して振舞ってきたのだろうか。否、事実は全く逆であったことは今更語るまでもない。
「中でもノースカロライナ大学のシュルツ教授による、ラテンアメリカにおけるアメリカの援助に関する研究は有名です。約二十年前の論文ですが、その中で彼はアメリカの援助と人権侵害に非常に強い相関性があると指摘しています。彼は『アメリカの対外援助は、市民に対して拷問を行っているラテンアメリカ各国、西半球において甚だしい基本的人権の侵害を行っている国に偏っている』と述べています。中略、彼は別の研究を行ってみました。中略、すると、アメリカの援助と投資環境の好転にもっとも強い相関性があることがわかりました。つまり、投資家にとって資源などを吸い取るチャンスが増大すればするほど、その国への援助も増加していたのです。中略、では、第三世界の諸国における投資環境を良くするにはどうすればよいか。もっとも良い方法としては、労働組合や農民のリーダーを殺害すること、宗教者を拷問すること、農民を虐殺すること、社会保障プログラムの土台を揺るがせること、などが考えられます。すると投資環境が好転します。」[2]
「それどころか、アメリカ政府は、アパルトヘイト政策をとる南アフリカ共和国と手を組み、ようやく独立したアンゴラに傭兵軍を送り込んで、アンゴラの新政権に戦争を仕掛けた。」[3]
傍証にはこと欠かない。アメリカという超大国のリーダーたちが「自由民主主義」という理念を諸外国に対して本気で希求したことなど、一度たりともなかっただろう。何より重視していることは経済的利益なのである。最近の例を挙げれば、ネオコン率いるブッシュJrによる「圧制国家」発言である。国民の自由を抑圧している国としてキューバや北朝鮮やイランを名指ししたが、なぜか、王室による強権支配が行われ人権侵害の横行しているサウジアラビアは全く含まれていなかった。それは無論、大きな産油国であり親米政府だからであろう。逆に「反米民主主義国家」に対してはチリのアジェンデ政権の悲劇のように、臆することなく武力を用いて、ことごとく瓦解させてきた。
「また、CIAと国防総省はアメリカ政府が気に入らない政権を転覆させるため、代理軍を組織したりもした。中略、とりわけ1970年代と80年代、CIAは、世界中のゲリラ軍を財政援助し、訓練し、武装するのに忙しかった。」[4]
そしてこのように、アメリカの「経済的利益」のために最も「活躍」し続けている政府組織の一つがまさに本作のテーマとなっている「CIA」に他ならない。
本作は実話を基にしているというが[5]、やはりここでもアメリカ政府にとっていかに「自由民主主義」という理念などより、「経済的利益」の方が遥かに大切なものであるのかが、余すところなく描かれている。CIAは、中東某国の王位継承者の暗殺をエージェントである主人公ボブに命じる。この王子は、石油を武器に築いた父の独裁政権を嫌い、議会を作って、司法機関を独立させる民主国家の建設を目指す「自由民主主義者」であるにも関わらずだ。ここには石油を独占的に支配するアメリカの企業が、別の企業を買収してさらなる支配を狙っているという策略が絡む。直接的にはCIAとこの石油企業の結託は分からない。だがしかし、実際にワシントンDCを我が物顔で闊歩している業界ロビースト達の姿を思えば、想像するに難くはないだろう。
4人の人物のストーリーが並行して進み、濃い霧がかかったかのように全体像はなかなかはっきりと見えてこない。示唆するに留める程度の抑制的なトーンが全編を貫き、「ブッシュ」や「ビンラディン」といった刺激的な固有名詞はほとんど出てこない。観ている側としては次第に、もどかしさを覚え始める。「この作品には映画としてのカタルシスなど存在するのか?」、「このまま終わってしまうのではないか?」と。だがしかし、このような危惧は終幕、見事に「吹き飛ばされる」ことになる。まさに文字通りの「爆発」によって。
一度目は、かの王子を主人公のエージェント共々粉々にするCIAのロケット攻撃であり、二度目は、かの石油企業を合併のあおりで解雇され、イスラム過激派に入信したパキスタンの出稼ぎ青年による、王子の国での同社の合併記念船上パーティーに対する自爆攻撃である。
この時ようやく、バラバラな四つの点でしかなかったストーリーが一つの線となる。そして、国王と米政府から次期王位を嘱望される、殺された開明派王子とは対照的な封建主義者の弟の、アメリカでの同社合併祝賀会の席で見せた満面の笑顔が、全編を覆っていた濃い霧を鮮やかに晴らすのであった。彼の微笑みはこう囁いているはずだ。
「利益の前には所詮、どんな崇高な理念も勝てはしない。」と。
本作は、「世界で最も恐ろしいタブー解禁」、「地球は陰謀でできている」というコピーだった。それは暗にアメリカとCIAの国際的謀略を指している。だが実際に本作が厚く覆っていたベールを剥ぎ取って白日の下に暴露してしまったことは、「金は素晴らしい物である!金をもつ者は、自分の望むことは何でもできる!」[6]という、社会においてはっきり公言するのが「タブー」とされていた否定し難い真実であり、地球を構成しているものは「陰謀」などではなく、剥き出しの獰猛な欲望なのだという、王子が殺された砂漠以上に荒涼とした、乾ききった現実であり、資本主義が民主主義を駆逐し続けている、この世界の凄惨な死に様に他ならなかったのだ。了
[1] ハンナ・アレント『暴力について』みすず書房 2000 参照
[2] 鶴見俊輔監修『ノーム・チョムスキー』リトルモア 2002 8~10頁
[3] ジョエル・アンドレアス『戦争中毒』合同出版 2002 21頁
[4] 同上 21頁
[5] ロバート・ベア『CIAは何をしていた?』新潮文庫 2005
[6] カール・マルクス『資本論』新日本出版社上製版 1997 221頁
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