2007年11月28日水曜日
ミュンヘン(スティーブン・スピルバーグ監督)95点
「報復は報復しか生まない」、「テロと報復の連鎖を止めねばならない」、事件が起こるたび、これらの言葉が決まって繰り返される。けれどもそう言われた後も必ず更なる、より悪い事態が繰り返される。すると再び、これらの言葉が繰り返される。
この言葉ほど、頻繁に使われるのにも関わらず、全くといっていいほど力を持っていない言葉も稀だろう。
9・11テロの後にも「報復しないことが真の強さである」という言説が語られた。しかし、やはりアメリカは苛烈な報復に打って出た。そしてまた、同テロ以上に多くの無辜の人々が容赦なく殺された。憎悪と暴力のみに支配された絶対的現実の前に理性は、余りにも無力である。幾千万の言葉を積み上げても、一発の銃弾さえ止められはしない。
本作は、1972年に発生したパレスチナゲリラによるミュンヘン五輪テロ事件へのイスラエル政府の報復作戦という史実を忠実に映像化したものである。『プライベートライアン』同様、「叙事的」に描くことが「叙情的」に描くより遥かに「叙情的」になるという、逆説的表現手法が窺える。
11人の犠牲に対して、報復チームは最終的に9人の犯人達を殺した。しかし、7人目を殺した時点で主人公は作戦から降りる。「報復は報復しか呼ばない、空しい」と。既にこの時、3人の仲間が殺され、各地で暗殺への報復テロも起こっていた。「報復の連鎖」は止めようがなかった。主人公も自分に問うた。「報復しか手段はないのか?」
「報復」という任務を途中で止めたこと自体に確かに、人間としての最後の「理性」を僕たちは感じるかもしれない。しかし、そうだとしても「テロと報復」は終わらない。また今日もどこかで爆発と銃撃が繰り返される。だから、ここに希望を見出したとするなら、それは余りにか弱いかもしれない。
本当に一縷の望みがどこかにあるとしたなら、僕はそれを主人公が囁いた「殺すのでなく、逮捕すればよかった」という言葉の中に唯一、確信とともに感じるのである。
イスラエルという国は無論、法治国家だ。罪を犯したものは、被害者や遺族の仇討ちではなく、裁判によって法に基づき罰せられる。また、この国は通常犯罪での死刑を廃止している。[1]それならば、なぜ「テロリスト」を「暗殺」という方法で、裁判にもかけずに一方的に処罰してしまうのだろうか。
その理由とは、カントのいうところの「共通感覚」を、イスラエルはパレスチナとの関係において否定していたからでないか。そして「我らと異なる他者」である彼らとの間の「通約可能性」もまた、ことごとく拒絶していたためではないか。したがって、イスラエルは「同胞」の国民に向けては法という「理性」で統治するのに、他方、「異教徒」であるパレスチナ人に対しては、むき出しの暴力という「獣性」で支配するのであろう。
『見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行』[2]では、イスラエルと旧ユーゴは「隔てる」ということが共通しているという。また、隔てられた者の痛みを見ないことによって普通の日常生活を保とうとするのも共通していると指摘する。イスラエルにおいてその象徴的なものが現在占領地に建設されている「分離壁」であろう。
「苦しみはそれを見る者に義務を負わせる」とかつてボンヘッファーは述べた。[3]だから、自国の軍隊がパレスチナ人を理不尽に虐待し、時には殺害している現実を目撃しながら、自分たちだけは安全の保障された平穏な日常を営んでいるという矛盾に耐え切れず、イスラエル人はこうしたこと全てを「見なかった」ことにするという態度を選び取るのだろう。
逆説的だが、高く分厚い壁の向こうから、必死で自分たちの存在を訴えようと壁を叩き続ける人々の悲壮な眼差しを「見る」ことを「辛い」と思うような感情があるならばそれは、ぎりぎりのところで彼らがまだ「理性」を無くしていない、ということの証ではないだろうか。「共通感覚」や「通約可能性」への希望はついえたわけではないかもしれない。
自身もパレスチナ人であるエドワード・サイードも「一つの土地に二つの民は共存できるはずだ」と訴える。その主張の根幹にあるのは「共通の人間性」への信奉である。[4]
「非合法に殺すのではなく、罪を犯した同胞と同じように、逮捕して法の裁きを受けさせる」という方法は、まさに裏返しの「共通の人間性」への信奉に他ならないのだ。
ユダヤ人画家ヌスバウムが、ナチスに捕まり、ガス室に送られて殺された二ヶ月ほど前に描いたとされる「死の勝利」という作品は、白や黒の長い衣をまとう骸骨たちが踊りながらバイオリンや笛を奏でている絵である。[5]これを「殺す側の勝利」だと見るならば、今パレスチナを覆おうとしているのは皮肉にも、「殺す」側に回ったユダヤ人たちによる「死の勝利」だろう。だが、本作の主人公のように「殺すのでなく逮捕すればいい」と考えられる理性あるユダヤ人たちが、少数派になろうとも確固として存在し続けている為に「死の勝利」というむき出しの暴力がどうにか寸前のところで食い止められているのでないか。
「異なる他者」との同じ土地での理性に基づいた共存は、理想論でしかないのだろうか。
「アドリア海の真珠」と形容され、世界遺産に指定されている美しい町並みを誇る、クロアチア領の小都市ドゥブロブニクは中世以来、複数の民族や宗教が共生し続けている。
内戦の勃発により1991年この都市はユーゴ連邦軍とセルビア人による集中砲火を受けて市街地の八割が破壊され、多数の死者を出した。そしてユネスコの危機遺産に登録された。だがその後市民たちは以前のように、民族や宗派を超えて手を取り合ってかつての素晴らしい街を甦らすために立ち上がり、やがて1998年ついに登録を解除されるに至った。
セルビア人であろうとクロアチア人であろうとムスリム人であろうと、この都市の人々は自らをこう称するのである。「私たちはドゥブロブニク人だ」と。誰であれ、この街に住み、この街を愛する者ならば、平等にドゥブロブニク人としての資格があるという。信仰も出自も異なる「他者」同士を結びつける、この街にあるただ一つの価値観は「自由」だ。欧州で最も早く奴隷制度を廃止し、無償の医療体制や上下水道、孤児院も他に先駆けて築き上げた。全ては「自由」という決して揺るがないドゥブロブニクの信念の所産である。[6]
この都市の中世以来の実践は、イスラエルにもパレスチナにも、そして僕たちにも「異なる他者」との「通約可能性」や「共通の人間性」が決して夢想ではないことを如実に伝えるだろう。だからこそ、「テロリスト」は「暗殺」ではなく「逮捕」すべきなのだ。たとえ自分と同じ「国民」でなくとも彼らもまた、自分と同じ「人間」であるのだから。了
[1] アムネスティhttp://www.amnesty.or.jp/
[2] 四万田犬彦、作品社参照
[3]村上伸『ボンヘッファー』清水書院参照
[4]エドワード・W・サイード『オスロからイラクへ』みすず書房参照
[5]大内田わこ『ガス室に消えた画家 ヌスバウムへの旅』草の根出版会参照
[6]NHK『世界遺産の旅』2006 2/2放送参照
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